日記

 図書館に借りた本を返しにきていた。書架の間を歩いていたとき、目に入るものがある。本と本の間になんの変哲もないノートを見つけたのだ。表紙にはタイトルも何も書かれていない。何気なく手に取り、ページを開くと鉛筆で走り書きされた文字が並んでいた。

 それは日々の暮らしや思ったことを書き綴った一冊の日記であった。はじめは見てはいけないという気持ちにはなったが、ノートを読むうちに次第に心を奪われていった。その日一日の出来事を丁寧に綴る文章は美しく、まるで詩を読んでいるようだった。

 私は夢中になって読みふけり、気がつくと閉館時間が迫ってきていた。慌ててノートを棚に戻して図書室を出たのだが、辺りは真っ暗になっていた。

 次の日、私は図書館に赴いた。目的は言うまでもなく例の日記である。だが、いくら探してみても見つからない。司書に尋ねてもみたが、そのようなものは知らないと言う。実際に見当たらなければ仕方がない。諦めて帰るしかなかった。

 それから一週間ほど経った日のことだ。立ち寄った喫茶店で、日記を見つけた。壁側のソファーにノートが一冊、忘れ物のように置いてあったのだ。私は一目であの日記だということを確信した。すぐに手に取って中身を確認する。やはり同じ人物が書いたものだった。だが、ページを進めていくうちに違和感を覚えた。


 どうしてあの場所にノートがあったのだろう。誰かが置き忘れてしまったのか、それともわざと置いていったものなのか。

 どちらにしても不思議な出来事だ。そのときはさほど気にしなかったのだが、あとになって思い返すと妙な話だと思った。わざわざあんな場所に置いておく理由などないはずだからだ。私に対するメッセージのようなものを感じずにはいられなかった。そして同時に興味を抱いた。あれだけ美しい文章を書く人間がどんな人間なのか知りたいと思うようになった。

 そこで私は日記に登場する場所に足を運んでみた。同じものを食べ、再現できる行動を出来るだけ試した。もちろんそれで何か分かるというわけではなかったが、それでもやる価値はあると考えた。そうやって少しずつ日記の人物へと近づいていき、いつしかその想いは日記の人物になりたいという気持ちに変わっていった。それが叶うなら死んでもいいと思うくらいに。

 だが、残念ながら私の願いは叶わないようだ。日記の人物に近づくことはできても、完全に同化することはどうしてもできない。日記の人物になったつもりで行動していても、どこかしら違和感が生じてしまう。どうやらそれは他人ではできないことらしい。結局、私ができることといえば、せいぜい日記を読んで記憶を辿り、それを自分のものにすることぐらいなのだ。とうとう再現は最後のページに辿り着いた。日記の人物に倣って私のやるべきことはただ一つ。

 私はあなたになりたかった。


 以上が最後のページに綴られた手記である。違和感というのは、最後のページだけ筆跡や文章の雰囲気が明らかに違っていることだ。おそらくこれは同一人物ではない。別人のものだろう。つまり、このノートは日々の暮らしを書いた人物とその日記に心酔した人物のものであるということだ。

 日記の人物は自ら命を絶った。それに倣って魅了された者もまた……。

 そして私もこのノートに魅せられている。最後の言葉が頭から離れない。

 

 私はあなたになりたかった。

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