廃列車の野原
その場所にはもう辿り着けないのだろうか。
幼い頃に行った小高い丘にある公園。遊歩道をそれて、坂道を下り、林を抜けた先にひらけた野原があった。風で揺れる草原の中に古びた廃列車が一両ぽつんとある。線路は草に埋もれて、錆びた鉄の匂いが鼻孔を刺激した。
私はその場所に何度でも行きたいと思った。けれど、どうしても辿り着くことができない。いつも途中で道がわからなくなってしまうのだ。
大人になって地図で公園の場所と周辺を調べてみた。近くには線路が敷かれていた形跡がない。あの線路は何処に続いているのだろう。そもそも本当にあったのだろうか。夢だったのではないか。記憶すら疑わしく思えてくる。そんなことを思いながら日々を過ごしていくうちに、いつしか年月が過ぎていった。
そうして今日、ふと昔訪れた場所に行ってみようと思い立った。子供の頃の記憶を頼りに公園の遊歩道から坂道を下り林の中を歩いた。しかしどれだけ歩いても一向にあの草原に辿り着かない。おかしいなと思って引き返したが、やはり同じ場所に戻ってくるばかりだ。 私は途方に暮れた。
そのときである。急に強い風が吹いて私の帽子を吹き飛ばした。咄嵯に手を伸ばすものの届かない。空高く舞い上がった帽子はくるくる回転しながら宙を舞う。風に煽られ、木の葉と一緒に地面に向かって落下していった。
私は走り出した。足下の悪い草地を駆け抜け、落ちた帽子を追いかける。すると突然視界が大きく開けた。目の前に現れた光景を見て思わず息を飲む。そこには確かにあの日見た景色が広がっていたからだ。古びた列車。風が吹き抜けていき、草原が波のように揺れ動いた。
間違いない。ここだ。
私はゆっくりと廃列車へ向かって行った。扉は開いている。中に入ると座席や床にはうっすら埃が積もっていた。私は手近にあった窓際の席に座ってみる。
列車の走行音が聞こえてきたような気がした。耳を澄ましてみると遠くの方からかすかに車輪の音のようなものが聞こえる。それは徐々に近づいてきた。
ガタンッ! 大きな音を立てて車体が激しく揺れ動く。
驚いた私が顔を上げると、窓から差し込む夕陽を浴びて佇む人影を見た。逆光になっていてその男の表情まではわからない。けれど、誰かに似ていると感じた。
誰ですか、と問いかけに返事はない。代わりに男は右手を差し出してきた。
「その切符をこちらに。」
気付かないうちに、私の手の中には一枚の切符が握られていた。私は不思議に思いながら、どうぞ、と言われた通りに切符を差し出した。彼は安心したように頷いた。泣いているような笑顔だった。
そのうちに列車はトンネルに入り、瞬く間に闇に包まれてしまった。
慌てて立ち上がり辺りを見回すが誰もいない。気が付くとさっきまで響いていたはずの走行音も消え失せている。車内には静寂だけが残っていた。
先程までの出来事は何だったのか。白昼夢でも見ていたかのようである。
考えているうちに恐ろしくなり、私はその場を離れた。早くこの場を離れなければと思ったのだ。
帰り道を急いでいる途中、後ろ髪を引かれるように振り返った。もう二度とここに来ることはないかもしれない。そんな予感めいたものがあった。だから最後にもう一度だけ見ておこうと思ったのだが――そこには何もなかった。
あれほどまでに存在感を放っていた廃列車の姿はなく、ただの草原が広がっているだけである。
涙が頬を伝った。何故だかわからなかった。けれども何か大切なものを失った気がする。胸の奥にぽっかり穴が開いたみたいだ。
私は呆然と立ち尽くしていた。
遠くで汽笛が聞こえた気がした。
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