第21話 思いは一つ

 宮殿内に戻ると、毒に当たった人たちが集められた寝台や、毛足の長い絨毯にに寝かされている。


「とにかく水を飲ませて全部吐かせるの。どんどん水持ってきて。ぼーっとするんじゃないよ」

 フィリップの命令で使用人たちが走り回り、口の中へ滝のように勢いよく水を注いでは桶で受け止めていく。吐いてもまだ止めてもらえず、まるで新手の拷問みたいだ。


「あっ、ポール⁉︎ どうしたの? 大丈夫なの?」

「マリー…、良かった、無事に逃げられたのか。そうか、地下にはザントライユがいたんだよな」

「うん、すっかり忘れてたよね」


「フィリップ様がマリーを地下に連れて行かせた理由はこ…ゲホッ、ゲホゲホゲホッ」

 咳き込んで最後まで言うことができなかった。

「大丈夫? それに背中が火傷になってるよ⁉」


「もしかして、この人たちもあなたの傷も全部インチキ野郎の仕業ですか? っかーーっ! ギエエエエエエエ!」

 奇声で怒る占い師に、フィリップが瓶を押し付ける。


「叫んでる暇あったらこれをみんなに飲ませてあげて。解毒剤だから」

「ひゃいぃい! 陛下! 私が本物でありまして地下にずっと監禁されていたでありますぅ!」

「いいから早く行って」

 くるんくるんの髪を跳ねさせ去っていく後姿を見送る。


「フィリップ陛下、あの、ジル・ドゥ・レの呪いなんかじゃなくて占い師は偽物で、あたしは何にも———」


「んふふ、分かってるから心配しないで。ちょっと怖い思いさせちゃってごめんね。けどジェルメを誘拐するなんて、ブルターニュ公は随分強気に出たもんだね」

 言いながら器に入った軟膏のようなものを、おもむろにポールの背中に塗っていく。

「いっ⁉ フィリップ様が自らされなくてもぉ!」

 ぴゃんとポールの上体が跳ねるが、フィリップは逃がさない。


「今は従者だから君の体は僕のものだよ。火傷にはすり下ろしたアロエがよく効くんだから。解毒剤飲んだよね? 毒の方はもうすぐ楽になるよ」

 大公爵なのにこんなに優しいなんて。ブルターニュ公やアンジュー公も見習ってほしい。


「客人たちは胃の中まで洗浄して解毒剤を飲ませたから、全員命に別状はないからね」

「良かった…、俺たちのせいで申し訳ないです。フィリップ様が毒にまでお詳しいとは、まさかプレラーティも想像しなかっゲフッ、ゲホッケホッ」


「以前、大事な人に使ったことがあってね。結構勉強したから、解毒剤も色んな種類を持ってるんだ。んふふふふふふふふふふふふふふ」

 人に使ったことがある…? それ以上は怖くてマリーもポールも聞けなかった。


「ブルターニュ公は領土と示談金持って謝りに来いってレベルだよね。僕を誰だと思ってるんだ」

 帝王の顔で塗り終えると、指に残ったアロエを従者に拭かせる。


「あっ? ブルターニュ公だけじゃなくてリッシュモンの野郎も出て来てんじゃなかったっけ?」

 ボリボリ尻を掻きながらのザントライユ。いいから早くお風呂入ってよぅ! ていうかそれ言っちゃいけないやつだし!

 案の定、帝王の眉が上がった。


「え、リッシュモンて言った? 弟の方なの? 大元帥相手とか無理なんだけど」

「おっしゃあああああ! 働きまっせえええぇぇぇぇ!」

 うそ、ザントライユに勤労意欲が芽生えるなんて。


「ふざけるんじゃないよ。フランス相手に戦争させるつもり? いくら君たちのためでも、軍を動かせるわけないでしょ」

 ブールゴーニュが大元帥を相手に軍を構えたら、再びフランスは内乱状態になってしまう。それはマリーにも分かるから、尚更もどかしい。


「えええええええ、アタイ戦いたぁいぃぃ」

 ブリブリするザントライユに、フィリップが顔の真ん中にシワをよせる。

 するとさっきのグリーンの女性が戻ってきて、フィリップの前で一礼した。


「馬に乗ってディジョンを出たところまで辿りました。今夜は新月で灯火が無ければ走れませんが、そんなことをすればわざわざ居場所を知らせるようなもの。近くに潜み夜明けを待っているでしょう。どうします? フィリップ様が許可してくださるなら手伝いますけど」


「ちょっ、ヴァイオラ⁉ 手伝うって一体どういう風の吹きまわしよ?」

 女性の隣で血相を変えているのは、個性的な柄物を着こなしている洒落者のおじさんだ。腕を振るたびにネックレスやブレスレットがシャラシャラいう。でも全然嫌味じゃないし成金って感じもしない、爽やかな人だなぁ。


「僕は客人を見捨てたくはない。助けてあげるって約束したからね、ブラッドサッカー」

「えええっ? フィリップ坊ちゃんまでぇ! 俺たちはちょっと立ち寄っただけなのにぃ」


 天下のブールゴーニュ公を坊ちゃん呼びした? グリーンのヴァイオラさんのことはさっきザントライユが『イングランドの密偵』って言ってたし、このおじさんもすごい人なのかな。


「お前はここで待つか、先に船に戻っていてもいいぞ」

「うぇっ…」

 ヴァイオラから置いてけぼり宣言されたブラッドサッカーは、キッとザントライユを睨んで指さす。


「反対ー! 俺はこいつに腹刺されたんたぞ⁉ そんな奴にヴァイオラを近づけるなんて嫌だ!」

 えっ、刺した⁉ やっぱりザントライユってワルなんだわ。


「あ~~~ん?」

 もう、あくびしながらボリボリ首を掻くなー! 

「アタシは自分の身くらい自分で守れるから平気だ」

「んだんだ。一周回って過去の事はきれいさっぱり便所に流そうぜぇ」


「お・ま・え・が言うなあああああぁ! 俺は刺されたことも部下の腕を飛ばされたことも全っ然これっっっぽっちも忘れてないからなぁ!」

「ふぇ~? そんなことありましたっけぇ?」

 突きつけた指をプルプルさせるブラッドサッカー。そうだよね、やられた方は覚えてるのにやった方は全然覚えてないって最低だ。


「んふっ、プレラーティがこれだけ強気に出るってことは、リッシュモンの元へ向かうんだろうね。奴は今どこに展開してるんだっけ?」

「ノルマンディです」

「イングランド軍ひしめくノルマンディね。やっぱり顔が利く君が必要なんじゃない? ブラッドサッカー」


「…分かったよ! フィリップ坊ちゃんのために行きますよ行かせていただきましょう! リッシュモン相手にしながらイングランド軍をかわせばいいんでしょう⁉ けどブールゴーニュ軍を出せないっていうのに、この少人数でどう戦うんです?」

「君たちがいるならランカスター王家に頼むのもアリかと思ってたけど」


「いやぁ、厳しいでしょうね。ノルマンディにはヨーク公リチャードがいますけど、ラ・イールの相手で手一杯だ。リッシュモンもなんて…」

「「あ」」

 マリーとポールの声が揃う。


「いた! 名前だけは何度も出て来た人!」

「オルレアンの英雄にしてジャンヌ・ダルクの盟友だ。イングランドに捕われた時は、解放しようと共に尽力してくれた」


「なるほどね。んふふふっ、ラ・イールならリッシュモンの部下だから、上司とやり合う分には戦争にならないね。けど反乱起こさせるようなものだよ? どうやる?」


「ジェルメの危機を伝えてもダメでしょうか?」

「リッシュモンとプレラーティの目をかいくぐって? どうやって伝えようか?」

 男性にしてはほっそりした顎に指を添え、フィリップはちょっと首を傾げる。


「ンッフッフッフッフッフッフッ」

 低くて汚い笑いに、傾げた顔が不快そうに歪む。


「オレ様の出番じゃねぇ~のぉ~? だってオレ様とラ・イールは同じガスコーニュ出身のマブダチだしよぉ~」


「「「………」」」

 まぶだちって何だろう。ガスコーニュ地方の方言かな。


「英雄と親友なんて、一番信用ならないやつだよな」

 全員ザントライユの顔を見ないようにしている中、心底仕方なくポールが返してくれた。こういう時はやっぱりポールだ。


「ああん? いいぜいいぜ、全員オレ様に感謝でひれ伏すことになるからよ」

「コイツならラ・イールの軍勢相手に一人で突っ込ませてやられても問題ないでしょう。あとは土地の人間を使うなど、何とかします。夜明けと共に出発するから、それまで少しでも休んでおくといい。特にアンタは」


 ヴァイオラに声をかけられ、ポールは小さく頷いた。その肩にフィリップが手を乗せる。

「本当は療養してけって言いたいけどね」

「頂いた恩をお返しできず申し訳ありません、フィリップ様。けど、どうしても行かなきゃゲフッ、ゲェホッ」


「うんうん、心も命もしっかり広げて取り戻して来なよ。そしたらもう一生離さないこと。今度こそ求婚するんだよ、いいね?」

「フ、フィリップ様ぁぁ…」

 顔を赤くしたポールに、ヴァイオラがニコッと笑う。大人の女性が一気に子供になったような笑顔で、こっちまでドキッとしてしまった。


「アンタも眠った方がいいぞ。アタシが側にいてやろうか?」

「ふえ、えええと…」

 ふわわわわ! 近くに来られるといい匂い…。


「僕が添い寝してあげようか? んふふ」

「ふえええええええええ!」

 そんなことされたら余計に眠れないし!


「じゃあオレ様———」

「絶対ヤダ!」

 ポールの隣が一番安心できる。

 

 辺りが白み出した夜明けと共に、五人はディジョンの城門を出発した。

 思いは一つだ。

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