第16話 ジェルメーヌ
「ジャンヌ・ダルクは魔女として処刑されたんじゃなかったっけ。あれ、じゃあ火あぶりになったのは誰なのかな?」
処刑。
火あぶり。
言葉の重みにマリーはふらつくところだった。
リニー伯が以前ジェルメを捕らえた。それはあの館で監禁されたことからなんとなく分かっていたけれど、何があったのかジェルメには聞けずにいた。
けど、ジェルメは処刑されるようなことをしたの? ジル・ドゥ・レと同じように。
ふっくらとした頬の優しい瞳をした人が、マリーを大好きだと言ってくれた人が、大罪人として処刑されるはずだった———
「身代わりになったのは姉です。一つ年上の」
はっとした。
身代わりとして亡くなったと聞いた。けれどただ死んだだけではなかったのだ。今、フィリップは火あぶりと確かに言った。処刑されればお墓もないし、残された家族は死を悼むことすら許されない。
だから、
「ふぅん、君を救い出したのはアンジュー公なのかな」
「はい」
「どうして?」
フィリップはちょこっと首を傾げる。
「君をイングランドに売り渡したのは僕だけど、それは同盟相手の為でね。ジョンはどうしても君を亡き者にしなきゃならなかった。宗教裁判の形を取って、救世主の存在ごと抹消したかったんだ。フランスとの戦争を事実上一人で戦う彼にとって、唯一で最大の誤算は君だったしね。そしてフランス王も阻止しようとしなかった」
ひじ掛けに頬杖をつき、ジェルメの表情をゆっくりと観察するよう、わざと時間をあける。
「バタールやジル・ドゥ・レをはじめとする貴族は身代金を出そうとしたが、どれもみんな個人的な感情でだ。でもフランス王だけは違う。自分を王にしてくれたはずの少女のために、ビタ一
「…そうですか、バタール様やジルが私のためにお金を。それは今まで知りませんでした」
「そこで謎なんだよ。フランス王に捨てられた少女を、なぜわざわざアンジュー家が救出したのかな。しかも実の姉をすり替わらせるような手間暇かかる工作をしてまでね。だって妹のためとはいえ、死んでくれって頼むんだよ?」
「イングランド総帥の目をごまかすには、その位しなければならなかったと聞かされています。私と姉は一つ違いで、うり二つでしたから」
「確かにジョンは鋭い人だったよ。けどあまりに周到で慎重すぎるよね。そこまでしてアンジューが君を手に入れたかった理由は、何?」
話さないのなら、滞在どころかブルターニュ公に突き出すのも
穏やかな笑みをたたえた物腰だが、
「憎みました。自分を、それから姉を犠牲にしたアンジューを。けれど言われた通りに生きるしかなかった」
「僕だったら『アンジュー公に仕えないのなら親きょうだいを殺す』とか言って君を脅すけど。どう?」
「その通りです」
「アンジューは一体なぜ、そうまで君を欲しがったのかな?」
「それは”声”です。私の声には人を縛る力があります」
「…ちょっと、よくわからないんだけど」
フィリップが首を反対側に傾げた時だ。
『裸になって踊りなさい』
プレラーティに襲われた時と同じ、体の芯を突き刺すようなジェルメの声が玉座へと向かう。
「ッ‼」
フィリップが立ち上がり、しゅるりと絹ずれの音をさせ丈の長い上着を肩から滑り落とす。胸のボタンを外そうとする手を無理矢理玉座へ向け、背の部分をつかんだ。そして眉根を寄せた苦しそうな顔を、ジェルメに向ける。
抵抗しているんだ。
遠目に見て分かるほど手をぶるぶるさせながら、ぎこちない動きで黒い服に手をかける。白い鎖骨が露わになる。
「ク……ッ! アアアアアアアアッ!」
「フィリップ陛下!」
「フィリップ様!」
蒼白顔の従者が駆けより、護衛はジェルメに槍を向ける。
「騒ぐんじゃ…ないッッ!」
フィリップがその場を制した瞬間、周囲を取り巻く空気がほどけたのがマリーにもわかった。がくりと膝をつき、玉座につかまったフィリップは肩で大きく息をし、額と顔にはびっしょりと汗をかいている。
「陛下!」
「いかがされましたかフィリップ様⁉」
「おのれ貴様、陛下に何をした⁉」
「騒ぐんじゃないと言ったよね。いいから汗拭いて」
従者の手を払いのけて、フィリップは再度玉座に腰かけ、顔を拭かせると帽子の角度を直した。
「抵抗され抜くとはさすがフィリップ陛下です。どうかお許しください」
ジェルメが深々と頭を垂れる。
「んふふ、危なかったぁ、ほんとに裸で踊らされるところだったよ。君、そういう趣味あるの?」
「フィリップ陛下の裸踊りでしたらぜひとも拝見したく」
「おふっ! 誘われちゃった。人を縛る力か、なるほどね。バタールとリュクスの話を合わせると、その子はブルターニュ公から命を狙われている。そしてあわよくば君の声も狙っていると見ていいのかな。で、アンジューもオルレアンも、今はブルターニュと対立したくない」
「はい、ご明察です」
「んふっ」
「それにプレラーティという危険な人物が暗躍しています。彼はジル・ドゥ・レを殺人者に貶めた真犯人です」
「ふぅん。じゃ、そんな危険を引き受けるんだから僕からも一つ要求していいよね?」
「……仰せのままに」
ジェルメに少し緊張が走る。それすらも楽しむように「んふ」とフィリップが小さく息を漏らした。
「僕を誘ったんだからね。君、こっちに来て」
指さされた先はジェルメ…ではない。マリーでもない。ポールは後ろを振り返る。
「振り返ったって誰もいないよ、髭モジャ君」
俺⁉ と前髪の下で目が大きくなり、慌ててぴょこぴょこ前に出て拝礼した。
「ここにいる間、僕の従者をやって」
「俺がですか⁉ しかし従者の経験などなく…」
「貴族の教育受けてるんでしょ? なら問題ないよ。早速僕の部屋においで」
言うなりフィリップはもう立ち上がり、広間から出て行ってしまう。出口で「ついて来るんだよ」と妖艶に振り返った。
「は、ひゃいぃっ!」
弾かれたようにポールはダッシュでフィリップの元へ駆けて行く。
「ポール…、大丈夫かな」
「まあ、彼は大人だし、フィリップ陛下も取って食べたりはしないでしょうし」
それから案内された客間に「うわぁ…!」と二人で声を合わせた。
今まで見たどんな場所よりも豪奢で美しい。壁紙は淡いピンク色で繊細なモールディングが施され、化粧をするドレッサーまでしつらえてある。
けれど大きくてふかふかしたベッドよりも、修道院の小さくて硬い寝台の方が良く眠れたなと、次の朝起きて思った。
「おはようマリー」
服も提供してもらった。ジェルメは柔らかなブラウスに毛織物のジレを羽織っている。下は元々履いていたズボンだが、これも昨日採寸して新しいのを作ってくれるそうだ。マリーにも暖かなローブと下履きをあつらえてくれるというので、大公爵家のサービスは桁が違う。
「おはよう」
身支度を整えると、マリーは深呼吸した。起きたら聞こうと、昨夜決めたのだ。
「ジェルメ、ジャンヌ・ダルクって誰なの?」
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