第15話 黒衣の帝王

 ブールゴーニュ公国の都、ディジョンの歴史はパリよりも遥かに古い。規模でこそオルレアンやルーアンには負けるが、三角屋根を連ねて冬を迎えた街並みには、どこか牧歌的なやさしさを感じる。


「あれがブールゴーニュ公宮殿だ。美しいだろう」

 衛兵が誇らしげに見上げる建物は、まさに威風堂々。派手派手しい装飾は盛らず、クリーム色の外観は奇をてらわないながらも、細部まで優美で洗練されている。なるほど、街を守り戦うための城ではない。これはブールゴーニュ公家の威信を示すための宮殿だ。


 このフランスで最も豊かさを持つ者。一度イングランドに王座を奪われ、諸侯から蔑まれ脅かされてきたフランス王のそれとは比較にならぬ、盤石の豊かさがある。これ見よがしに宮殿を飾り立て、誇示するまでもないのだ。

 派手は好まず戦よりも経済と産業優先。そんなブールゴーニュ公フィリップは市民から善良公ル・ボンと親しみを込めて呼ばれているという。


 宮殿の中はどんななんだろう。心をときめかせていると、イヤ〜な声が聞こえて来た。


「だからよぉ、このザントライユ様とフィリップの坊主はマブダチで、何度も会ってるんだってば。ちゃんと坊主に確認とってくれよぉ」

「善良公に坊主とは何事か! 絶対に通すものか!」


「ほんのガキの頃から何度もブールゴーニュ軍と戦ってきたしよぉ、一周回ってもう家族みてえなもんだろ?」

「意味わからんし! ますます近づけられんわ!」


 アアア…あの髭面にヨレヨレのボロ服。やっぱり見間違いじゃない。仲間ですって言うのすっごいヤなんだけど。


「お! 遅かったじゃないの! こいつら全然信じてくんなくてよ、バタール・ドルレアンの紹介で来た客人てのはオレ様たちのことだもんな! ギャッハッハッハッハ!」

 思うことは同じで、三人とも頷こうとしない。


「うおおおぉおい⁉ 全員無視するわけぇ?」

「どうぞお構いなく」

「ちょっとぉ⁉ 助ぁすけてぇぇ~~フィリップ様ぁ~~! あなたのザントライユがここに落ちてますよぉ~! 拾ってぇぇ〜」

 アアア…バカでかい声が響き渡ってるよぅ…、みんな目を合わせないようにしてるじゃん。


「うるさい! 善良公ル・ボンにご迷惑だろうが! あんたらも知り合いならどうにかしてくれぃ!」

 衛兵にそう言われてしまっては無視できない。仕方なく事情を話すと不審がられながらも何とか入れてもらえ、ザントライユだけは念入りな身体検査に武器は没収された。


「あぁ~ひでぇ目に遭った。この恨みは忘れねぇからな」

「あのね、今まで私たちは何倍も迷惑かけられてるんだから、棚上げすんじゃないわよ。どうせ敵に間違われて、リニー伯の兵士に追いかけられてたんでしょ?」


「んなわきゃねえだろ。皆ぃーんな倒してやったぜ」

「……私たちがわざわざ監禁された理由が分かったわ」

「うん、あたしも。リニー伯が怒って当然だよね」

「「何してくれてんのよ!」」


「痛て、痛えなオイ。怒ると美容に悪いぜぇ? んでよ、敵さん一人とっ捕まえて誰の指図だってキューっと絞めたんだがよ。あらビックリ、ブルターニュ公じゃなくて弟の方だとよ」

 ブルターニュ公の弟、大元帥リッシュモンはフランス軍の中核だ。そんな人が本気でマリーとジェルメを狙いに来ている…。


(いいわね、ブールゴーニュ公には黙っときましょう)

 ジェルメに目で訴えられ、何事もなかったように歩いていく。


 大貴族は来客に合わせてスケジュールを変えたりしない。バタールの時のようにたっぷり待たされるだろうとと思いきや、意外にもブールゴーニュ公はすぐに会ってくれるという。

「どんな人かな? 怖い人じゃないといいなぁ」

「毛織物の産地フランドルやネーデルラント(現オランダ)も所有し、莫大な富を築いているそうよ。お貴族はお貴族でも超実力派の経営者っぽいわよね」


 とジェルメが言うので、ごつくて厳めしい爺さまを想像していたが、玉座に座るのは細長い印象の人だった。ぴかぴかに磨かれた革靴から丈の長い羽織から絹のリボンが垂れ下がった洒落た帽子まで、全身真っ黒だ。


 黒にもいろんな黒色があるが、この人は湿り気を含んだ夜の森だと思った。女性のように滑らかな白い肌との対比が鮮やかな黒い瞳は、深い水の底できらめく宝玉みたいだ。


「んふっ、よくここまで来たね。僕のリュクスが失礼をしたみたいだけど、あれは僕を守ろうとしただけだから。悪く思わないでね」

 黒い森の中には何が潜んでいるのか計り知れない。そんなブールゴーニュ公フィリップはひじ掛けに斜めにもたれ、ちょっと首を傾げて一行を眺めた。


「リニー伯のご厚誼に痛み入るとともに、このように迎え入れていただき感謝致します」

 ジェルメが跪いて頭を垂れたので、あわててマリーもそれに倣う。


「うん、バタールからの手紙を読んだよ。なかなか込み入った事情だけど、君たちを庇護しよう。この宮殿に部屋を用意するから使うといい」

「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」

 ジェルメの声が高くなる。

 良かったぁ! ここまで来てもし断られたら、ジェルメに申し訳なさすぎるもん。


「女の子二人と髭モジャ君はいいよ。でもさ、君のことキライって言ったよね? なのにどうして何度も来るわけ?」

 口を尖らせたフィリップが睨みつけている先は、汚い方の髭面だ。


「んなことありましたっけ? もうお互いにいい歳になったわけですしぃ、水に流しましょうぜぇ。ガハハハハハ!」

「ガハハじゃないよ、ったく。年齢の問題じゃないって言ったでしょ。僕は昔から君の顔がキライなの」


「そう言うフィリップ陛下だって輪郭が下がって、だ~いぶ老けたんじゃないですかぁ? おいくつになったんで? もう四十超えた?」

「ずけずけと言ってくれるね。若い頃よりも歳を重ねてからの方が魅力的な人はたくさんいるんだよ。僕の同盟相手は四十代になってからますます美人だったんだから」


「死んじまったイングランド総帥ですかい。おっそろしく冷たい目をした」

 イングランド王ヘンリー5世の死後、フランスに対峙したのは弟のジョン・オブ・ランカスターだった。総帥としても為政者としても超一流、おまけに外見も非の打ちどころのない貴人という、端的に言ってイヤな奴だ。


 この男にフランスはギリギリまで追い詰められたが、潮目が変わったのがオルレアンの戦いだ。バタールの尽力により、イングランドと同盟していたブールゴーニュを撤退させたのだ。


 その後フィリップはイングランドとの同盟を破棄したが、これが決定打となり、フランスは勝利目前まで巻き返している。


「冷たいだけじゃないんだけどね。ていうか何度も捕虜になってるくせに、なんでジョンは君みたいのを生かしておいたかなぁ」

「毎回おちょくってやりましたぜ。あいつ、頭でっかちの顔ばっかりで口はてんで弱えの。食事に虫を出しやがったんで、バリバリ食ってドン引きさせてやってな」


「ジョンだって君と喋りたくなんかないよ。僕の前で彼の悪口言わないでくんない」

 急にフィリップの機嫌が悪くなった。眉間に皺まで寄せている。だが今のザントライユの舌には脂が乗っている。


「きれいな金髪を引っつかんでしゃぶらせてやりてぇもんだって、顔見るたびに想像してな! けど案外夜の方は弱そうだもんなぁ。出来すぎで嫌われモンのうえに浮気の一つもできねぇ小心者で、あそこも小っせぇの! 負けたら泣きべそかいて、嫁さんにヨシヨシして~とか言ってんだぜきっと! ギャーッハッハッハッハッハぁ!」


 ベキイィィッ! 


 手にした黒い扇をフィリップが折った。生白い顔にそうとわかるほど血管を浮き上がらせ、唇がへの字になっている。

「ジョンの妻は僕の妹だったし。浮気の一つもしないでどこが悪いって?」


 すかさずジェルメが剣の鞘ごと振り回して、ザントライユの股間をぶん殴った。

「アッ————ヒッ!」

 下品な笑い声が甲高い悲鳴に代わる。


「誠に申し訳ございません! 失礼極まりないこいつを地下牢に放り込んでください。今すぐに。どうかお願いします!」

 フィリップが大きな鼻息と共に「連れて行って」と命じると、三名の護衛が股間を押さえ悶えるザントライユを連れ去っていく。


「どうかお許しください。あいつのことは煮るなり焼くなり刻むなりお好きにして構いませんので」

 もう一度跪いたジェルメの必死さがマリーにも伝わり、同じように頭を下げた。うん、こんなことで追い出されるのやだもん! ザントライユのこと一生呪うもん!


「んふ。よくあんなのと一緒にいられるね? ジェルメといったね、アンジュー公の家臣だって?」

 願いが通じたのか、その顔はさっきまでの般若の形相から戻っている。主君が投げ捨てた壊れた扇を、見目麗しい従者が素早く拾った。


「オルレアンの戦いで、バタールの使者として包囲を解くよう交渉しに来たのはザントライユだった。オルレアンの乙女が必ずフランスを勝利に導くからと」

 フィリップの黒い目がすっと細くなる。


「覚えてるよ、その顔。だって君を捕らえたリュクスに、イングランドに引き渡すよう命じたのは僕だもん。オルレアンの乙女ラ・ピュセル、またの名をジャンヌ・ダルク」

 そして唇が横に伸びた。


「んふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」

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