第三章 ブールゴーニュ
第13話 黒トリュフは危険の香り
追われている。
「こりゃヤベェ。この間の奴らとは比べ物になんねぇな」
十五騎。放射状に配備された騎馬たちが、そうと分からぬよう遠方から少しずつ、包囲を狭めている。こちらがそれに気づいた時にはもう、抜け出す隙間は無くなっていた。
ポールが感知できぬほどその技は巧みで、ザントライユが認めるほど熟達している。
「つまり大大ピンチってことだよね」
「何とかできないのザントライユ⁉ こういう時のためにあなたを連れて来たのよ!」
「あぁ…お嬢ちゃんと共にオレ様の夢の城が…」
「ちょっと⁉ なにマリーを犠牲にするつもりになってんのよ⁉ ふざけないでよね!」
「あたしも、もういいよ…」
「マリーも諦めないの! ポールッ! 何かない⁉」
「森しかない。あそこ、見えるだろう」
ポールが指さす先には、こんもりと木が生い茂っている。
「深そうね…、吉と出るか凶と出るか。行くしかないわね」
森を利用して逆転できるか。できなければマリーたちの末路は決まってしまう。
森に入ると急に日差しが遮られ、すぐには目が慣れない。
「馬から下りて。走るわよ」
「後で迎えに来るからね」
ソレイユにそう告げ、森の奥へと向かう。たくさんの落ち葉でやわらかい地面は、一歩踏み出すたびにカサカサいう。
ブールゴーニュ地方の冬は、ブルターニュよりずっと寒い。そして晴れの時間帯が少ない。日が差して来たと思ってもすぐにまた雲に覆われてしまうのだ。
対照的に夏はカラッカラの快晴が延々と続き、暑いらしい。そんな土地に最適なのがブドウで、ブールゴーニュは古くからワインの産地だった。
ブルターニュは海からの風で年間を通して湿気があり、あまり寒暖の差が無かった。初めて気付いたけれど、暮らしやすい土地だったのだ。
常緑樹の黒っぽい緑色と、赤、黄色、雌鹿色に染まった葉が入り混じってそびえ立つ森は美しいし、壮大な息吹を感じるが、今は修道院のそばにあったエニシダの小さな雑木林が懐かしい。
「マリー、ここに隠れて」
ジェルメに手を引かれたのは大きくせり出した岩場の陰だ。すぐさまポールは手ごろな木の枝に上り、足場を安定させると背中に担いだ弓を構えた。隠れたところからあれで迎え撃てば、敵をやっつけられるかも!
「なあ、これ見ろよ。この森にいくつも生えてるぜ」
緊張感のないザントライユが手の平に見せたのは、黒くて丸っこい泥だんごみたいなの。しかも強い匂いがする。
「今そんな場合じゃないでしょう!」
「お前さん知らねぇのか? 黒トリュフっていってよ、お貴族の間じゃかなり高値で取引されるんだぜ? お嬢ちゃんにもやるよ」
「あ、ありがとう…」
あんまりいい匂いには思えないけど、ここで断るとまた大声でしゃべり倒されそうだから受け取っておいた。
そのままザントライユはどこかへ消える。敵は一方向から来るとは限らない。何もできないマリーには、敵が通り過ぎてくれるようただ祈るしかなかった。
だがその祈りも空しく、ポールの弓がパシン!と放たれる。どこかで「ウッ!」と声がし、すぐさま次の矢をつがえて狙いを定めている。
ここからは見えないが、接近しているのは一人だけではなさそうだ。ジェルメが苔むした岩からほんの少し顔を出した。
鼓動がドクドクと速すぎて、おかしくなりそう。吸った息が胸の中にちっとも入ってこないし、脇が冷たく濡れている。別の方向から「うりゃあああぁ!」とザントライユの大声がして、思わずビクッとなる。
再びポールの矢が飛ぶと、その先から男が転がり現れた。避けられたんだ! 続けて放たれる矢をかわしながら、男はこちらに目掛けて一直線に迫ってくる。
「走れ!」
木から飛び降りながらポールが剣を抜く。着地と同時に男へ斬りかかるが、一瞬の隙間を抜けられてしまう。
「マリー! こっち!」
ジェルメに手を引かれる。後ろを振り返るのも怖くて、考えたら体が固まってしまいそうで、とにかく前に走る。
「ここ上って。早く!」
倒木から木の上へと上りやすくなっている。ジェルメに下からお尻を持ち上げてもらい、震えながら全身で木の枝にしがみつき体を安定させる。
「上から見て、どっちから敵が来るか教えてちょうだい」
そう言ってジェルメは剣を抜いた。
さっきの追手は姿が見えなくなっているから、ポールが倒したんだろうか。敵はどこから来るのか分からないんだから、後ろも見なきゃ。
お願いだから誰も現れないでほしいよ…! 見つけてしまった時の恐怖に怯えながらせわしなく見回していると、ふいにジェルメの背後でモサモサした茂みが動いた気がした。
「ジェル…」
知らせなきゃと思った時にはもう、そこから何か飛び出して来ていた。速っ、速すぎる…!
「「ワォン! ワン! ウォン! オン!」」
「犬ぅ⁉ ちょっ、そんな吠えないでよ、見つかっちゃうじゃん!」
猛スピードで寄ってきた、黒と白の毛がふさっとした犬が二頭、マリーの木の下で遠慮なく吠えまくっている。
「一体どこから来たのかしらこの子たち…」
ジェルメも困り顔で周囲を見回す。
犬たちはますます吠えたて、まるでマリーに下りてこいと言わんばかりだ。
するとついに恐れていた敵が迫ってきて、ジェルメは剣を構える。しかし男はその姿を認めるなり、両手を広げた。
「待て待て、剣を下ろしなさい。君たちの追手ではない。俺はその犬の調教師だ」
そんなことを言われても信じがたいが、男が手を叩いて呼ぶと、犬たちは吠えるのを止めて男の方へ走っていく。
「よし、いい子だ。待て、ほらご褒美だぞ」
男の手の中には干し肉の欠片でもあるのだろう。撫でまわされながらも犬たちは、じーっと目を離さない。
「我々の狩の最中に行き合って幸運だったな。君たちの安全は確保されているよ。犬たちが吠えて、居場所を教えてくれて助かった」
手の平を開くとあっという間に犬たちはたいらげ、その後も名残惜しそうにぺろぺろ手の中を舐めている。
「そうとは知らず、ご加勢感謝します」
どうやら本当だと判断したジェルメに下りて来るよう促されたが、体が震えてしまってうまく下りられない。すると男性が手伝ってくれた。
「ありがとう」
「どういたしまして。ところで君のポケットの中身を見せてもらってもいいかな?」
「ポケット?」
探ってみると、黒い丸っこいのが二つ。あ、さっきザントライユからもらった泥だんごみたいなの。
「やっぱり。この子たちは黒トリュフを探すために訓練された犬でね。これの匂いを嗅ぎつけて吠えたわけだ。運が良かったね」
ほんと…、今回ばかりはザントライユに感謝だ。
「この辺りは私のお仕えするリニー伯の領地だ。ついてきなさい」
森の外ではなんとソレイユがちゃんと待っていた。えらいよソレイユ!
「他に仲間がいるのですが」
「そうなのか? 姿は見ていないな」
ポールとザントライユはどこに行ったんだろう? 二人は顔を見合わせるが、今はついて行くしかない。
連れられたのはヨンヌ川の支流沿いの小さなのどかな村だ。川沿いに建てられた一番大きな館の広間に、マリー達は通された。待っていたのは、白髪とグレーの混じった髪の大きな目の男性で、着ているものからこの人がリニー伯だろう。
「黒トリュフを狩りに行ったらまさかお嬢さんを助けるとはね。どんな旅をされているのかな?」
「ブールゴーニュ公へお目通りを願いたく、オルレアンからディジョンへ向かっています」
「オルレアンから。それは大変な長旅でしょうな。追われていたのは何故か? しかもかなりの手練れのようだった。こちらの姿を認めると退いていったが」
「それは…、詳しく申し上げられないのですが、相手はブルターニュ兵です」
「ほう。盗みや騙しで追われたわけではないのだね?」
「そんなことはしていません! この子は命を狙われているのです」
「穏やかではないな。何故ブールゴーニュ公にお目通りを?」
「彼女を助けられるのは、このフランスにブールゴーニュ公の他にいないからです」
少しの沈黙の後、リニー伯が隣の男(さっきの犬の調教師だ)を見ると、周りの護衛たちがにじり寄ってくる。
なに…、なに⁉
「私の主君はブールゴーニュ公フィリップ様だ。大好物の黒トリュフを献上する代わりに命を狙われているという娘を近寄らせては、フィリップ様の身も危険に晒されるというもの。ここはお引き取り願おう」
護衛たちに連行されそうになったジェルメが大きな声を出す。
「お待ちください! オルレアン総督のバタール様より、フィリップ陛下へ手紙が届いているはずです! 私たちの身元は保証されています、どうか!」
「オルレアン公家が? フィリップ様に?」
リニー伯の顔色がさっと変わる。
「急ぎフィリップ様に確認を取ろう。だが許可が出るまでの間、この館から動いてはならぬぞ」
「…また私を捕らえるのですか。リニー伯リュクス様」
その言葉にリニー伯の動きがぴたりと止まる。大きな茶色の瞳が、立ち上がったジェルメを上から下まで捉える。
「信じがたいが、私の勘違いでも他人のそら似でもないというのか。まさか生きていたとは」
見つめ合う二人の間には言葉以上の何かがある。しかし決して友好的なものではないと、マリーは肌で感じた。
「昼夜問わず見張りをつけるから、あの時のように逃げ出そうなどと思わないことだ」
最初とは一転して、有無を言わせぬ厳しい表情のリニー伯。
大丈夫だよね? まだ終わってないよね…?
リニー伯と同じように唇を引き結んだジェルメを見上げるが、こっちを見てはくれなかった。
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