第12話 大好き

「プレラーティこそジルを殺人犯へと貶めた張本人。そしてアニエスさんの弟子だった」

「あのアニエスさんの?」


「ええ。マリーも見た通りアニエスさんは薬師で、それも今まで誰も治せなかった病気の治療薬を次々に作っているの。ブルターニュ公の命も救ってね」


「やっぱりアニエスさんはすごい人なんだね」

「そうよ。巷では嫉妬を多分に含んで"赤い魔女"なんて呼ばれているけど、アニエスさんは全然気にしてない。優秀で心の強い魔女なのよ」


 魔女は悪魔と契約を交わした悪い女性を指し、キリスト教では最も重い罪に問われる。しかしアニエスもジェルメもそういう意味では言っていない。修道院育ちのマリーにとって、それはちょっと驚きだった。


 年上の人を魔女と呼び、魔女と呼ばれても平然としている人。そこにはきっと、マリーの知る小さな世界を遥かに超える関係があるのだろう。


「何人かいたお弟子さんたちは独立して人々のために薬作りをしているけど、プレラーティだけはそうならなかった。不老不死を与えるという”エリクサー”を錬成するために、あらゆる毒物や危険物、果ては怪しい呪術や儀式にまで手を出すようになったそうよ」


 それであんな見た目になったのだろうか。こそげた頬を長い髭で覆い、細い目の光ばかりがギラついた明らかに不審者だった。


「私がアニエスさんに助けてもらった十年前はまだ、他のお弟子さんたちと共にプレラーティはあの家にいたの。だから向こうも私のことは知っているはず」

「じゃあ、あいつは君の”声”を狙っているのか」

 ポールに言われ、ジェルメは頷く。


「きっとそうだと思う。あいつがジルを犯罪者にしたせいで、ブルターニュ公はレ家の領地を手に入れるチャンスを得た。間違いなくグルでしょうね。許せないわ」

 ”声”を狙うってなんのことだろう。ジェルメの声は聴いていると心地よくて、まるで体の中を巡るようで———


 そこで急に思い出す。さっきのジェルメの声。いつもと違い突き刺されるような感じで、それを聞いた男はマリーの足を離し、静止していた。そして殺されるというのに、何の抵抗もなくそれを受け入れた。


「ジェルメの”声”に何があるの…?」

 恐ろしいと思うが、それ以上に知りたい。だって、大好きなジェルメのことだ。

「あたし平気だよ。ジェルメのことが好きだし」


「マリー…。ごめんね、ちゃんと説明するわね。言葉に力があって人の心を動かすように、私の声には人を縛る力があるの。さっき、見たでしょう?」

「うん」


「オレ様がバイトさせられたのもそれだぜぇ! お前さんの声には逆らえねえんだよチクチョウ」

 そうだった、バタールにお金を渡すのをあんなに嫌がっていたのに、ジェルメに言われた途端に笑顔で渡していたっけ。


「私はかつて、たくさんの人を戦に向かわせ死なせてしまった。戦に出なければ死なずに済んだ人もいたのに。オルレアンの戦いだけじゃないわ。『フランスを救え』という私の声で人々が戦いに身を投じた。だからもうこの力は使わないつもりだった」


「それはジェルメのせいじゃない。何度も言ったじゃないか。君の声は侵略者からフランスを守った。生まれ育った場所を守るために戦い命を落としたとしても、家族や孫子まごこが幸せに暮らしてくれるなら後悔はない。多くの人はそのために武器を手に取ったし、憎むべきは侵略者のイングランドだ。君の声は俺たちに勇気を与えてくれた。そうじゃなきゃ、俺たちは殺されていたかもしれないし、奴隷のような生活を強いられていたかもしれない」


 ポールがこんなに喋るのを初めて聞いた。だからこそ彼の想いがマリーにも伝わってきた。

 ジェルメが悪いことをしたとは到底思えない。それに、明日へ立ち向かう勇気をマリーにくれたのは、間違いなくジェルメだ。


『あなたを助けに来たわ。今は私を信じてついて来てほしいの』


 修道院で助けられた時、ジェルメの言葉は乾いた布が水を吸うようにマリーの全身へ染みわたった。あれが声に縛られた結果だったとしても、そう言ってくれなければマリーは逃げる気力すら失い、とっくに命を諦めていたはずだ。


「ジェルメが一緒に前に進もうって言ってくれて、あたしは嬉しかったよ。さっきだって命懸けで守ってくれたし。ありがとうジェルメ」

 ジェルメはきっと、マリーが想像するよりもずっとずっと、大きく重たいものを内に抱えているのだろう。ほんの少しでもいいから、あたしだってジェルメの力になりたい。気持ちはポールと同じだ。


「マリー、大好きよ」

「あたしも」

 抱き寄せられて、ほっぺをくっつけ合わせる。あったかくて柔らかくて、人からこんな風にされたのは初めてかもしれない。


「つまりよぅ、プレラーティってのとブルターニュ公は、お前さんを捕まえて”声”を悪用しようとしてるんだろ? 悪人の考えることっつったら、征服だよな」

 こっちがほっこりしてるのに、素知らぬ顔で鼻クソをほじりながらのザントライユだ。仕方ないのでポールが応じる。


「ああ。ジェルメの声で人々を煽り、諸都市で暴動を起こさせる。手始めは隣のアンジュー領だろうな。暴動で荒れ果て弱ったところでブルターニュ公が攻め込み、一気に制圧していく。そんなとこだろう」


「しかも、ブルターニュ公の弟のリッシュモンは大元帥ときたもんだ。フランス中の兵力を握りつつあるんだろ? そこにジェルメの声で主要都市を味方につけりゃ、あっちゅう間にフランス=ブルターニュ帝国の出来上がりだな」


「その力はブールゴーニュをも凌ぐだろうな。そうだ、その線でブールゴーニュ公を説得し、支援を取りつけてはどうだろうか」

「あの黒衣の坊主が、ブルターニュにつく方が得策とか言い出さなきゃな」


 さっきからザントライユが的確なことばかり言っている。この人、こんな面もあるんだと感嘆の目で見つめていると、不意に目が合ってしまう。

「フフフん、オレ様のギャップに萌えな」

 キメ顔のザントライユ。


「オエッ」

 マリーじゃない。隣のジェルメだ。

「うおおぉい! オエじゃなくて萌・え!だっての!」


「丸めた尻拭き紙みたいな見た目の、一体どこをどう探せば萌え要素があるのよ?」

「アッ、見た目で決めつけるわけね? この居酒屋アイドルをただ顔が良いだけの男と思うんじゃないわよ!」

 全員で笑った。


 プレラーティという不気味な存在は怖いが、それでもこの人たちとなら無事にブールゴーニュへたどり着き、きっと良い明日が待っている。

 今のマリーにはそんな希望が見えるのだった。

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