第10話 襲撃

 それからバタールに見送られオルレアン市を出発し、三日目になる。


 ここまでは旅籠に泊まったが、ザントライユには禁酒命令が出された。おかげで酒が抜けたオッサンは、死んだ魚のような虚ろな目をして馬上に揺られている。ぽかんと開いたままの唇はカラカラに乾いているようだ。


 マリーはジェルメと一緒に乗っているが、この旅で一人でも乗馬できるようになった。万一の時は一人でも逃げられるようにと、教えてもらったのだ。

 ソレイユと名づけた栗毛の牝馬を毎日世話して、つぶらな瞳と見つめ合い話しかけたりもしている。


「今日からは野宿になるかもしれないけど、我慢してね」

 この先は村が少なくなり、運よく屋根のある場所を見つけられるか分からないという。


「でも、宿で他の人に迷惑かけるよりいいかも」

 迷惑なのは魂の抜けたオッサンだ。誰よりも早く寝つく上にイビキがひどい。マリーも何度も起こされたし、他の客から苦情も来たのに当の本人は全く起きやしないのだから。文句も言わず頭を下げるのは、何も悪くないポールなのだ。


 野宿になったその夜は、焚火に当たっていても震えが止まらないほど寒かった。バタールが持たせてくれた毛織物の寝具を頭からかぶり、ジェルメとピッタリくっついてやっと少しウトウトできたが、ザントライユはこんな時でも大いびきだ。


「人間ってここまでやれるんだね」

「あの人、石をかじって生き延びられるからね」

「なにそれ?」


「イングランド軍の捕虜になって一週間以上食事を与えられずに、牢獄の石壁をかじって耐えたらしいわ」

「…そこまでして生きようとするんだ」

 なにか、自分とこの人とは体の組織の一つ一つが根本から違う気がする。


 寝不足と寒さで疲れが抜けない体に無理を言わせて、翌日も南東へと歩を進める。

「あ~~~~~ぁ、酒飲みてぇ~~~~~」

 バカでかい声で叫ばないでほしい。


「そうだろジェルメェェ~~~?」

「一緒にしないで」

「良い子ぶりやがって、忘れたとは言わせねぇぜ。お前さんとジルでどっちが先にツブれるか勝負してたくせによ」


「ちょ⁉︎ マリーの前で何言うのよ!」

「あ~~~? 都合悪い事だけ隠す大人なんてズリィよなお嬢ちゃんよ。こいつは飲んべぇで、しかも相手にも強引に飲ませるタチの悪っりい酔っ払いでな。ジルのこともブッ潰して転がし…」


「わーわーわーわー! ジルってばお貴族同士で飲めばいいのに、どうしてわざわざ私たちのところへ飲みに来たのかしらねー? それも一回や二回じゃなかったじゃなーい?」

「そんなに強くないくせにわざわざやって来ては安酒浴びてな」

「そうそう。そのくせ『演説の言い回しがダサかった。さすがド田舎娘、俺には真似できん』とかいちいち癪に障ること言ってくるんだもの。ちゃんと聞いてるくせに」


「ジェルメに敵わねぇくせに負けじと飲みまくってな。かわいらしいったらありゃしねぇな」

「なんでよ? ジルのどこが?」

「ぜ・ん・ぶ」

 ザントライユのウインクにぶるぶるっとする。


 父ながら、ジル・ドゥ・レは城に引きこもって何をしているのか分からない不気味な人だと思っていたけれど、先日のバタールの話といい、どうやら昔はそうじゃなかったっぽい。


 すると、ウインクしていたザントライユが今度はニタリと笑う。

「おいでなすったぜぇ」


「え? 何のこと?」

 しかしジェルメの体に緊張が走ったのが、鎧の胸越しに伝わる。

「マリー、しっかりつかまって」

 てっ!敵襲なんだ! みんな切り替え早すぎ。あたしもしっかりしなきゃ!


 両足の内ももにしっかり力を入れる。誰が倒れても、たとえ一人になっても駆けて逃げること。そうジェルメと約束している。

「そこの髭モジャあんちゃんは?」

「足手まといにはならない」

「いいぜ、援護しな」


 ザントライユが剣を抜く。あの剣、あんなに長かったんだ。

 剣をまじまじ見たことが無かったからあれが標準サイズなのかと思っていたが、隣のポールと比べるとまるで槍のようだ。


 馬のスピードを上げる。右の林の向こうに、何か動くものが見えた気がした。

「ヒャッ!」

 すぐ上を矢がかすめていく。これは気のせいじゃない!


 次の矢は後ろにいたポールが剣で叩き落す。そのままザントライユは右の方へ進路を取り、林の陰から現れた敵へと向かう。

「どいたどいたぁ! 主演・演出ザントライユ様の舞台が始まるぜぇ! まずは挨拶代わりの可憐な先制攻撃」


 敵の攻撃が届く前にザントライユの長剣がビュッ!と唸り、剣を持った人の腕が吹き飛んでいく。

 うえっ、どこが可憐なのよ!

「マリー! 前を向いて、走るのに集中!」


 修道院の恐怖が蘇って歯が鳴りそうになるけれど、しっかり食いしばる。敵は全部で五騎いて、そのうち二騎がすぐ後ろについてきているんだ。

 ジェルメが馬の腹を蹴り、たてがみがなびく。ソレイユ、頑張って!


 けれど相手の馬の方が大きいし速い。ドドッ!ドドッ!と蹄音が近づいてくるのが分かり、ジェルメが右に反れ、急に左に方向を変えたりして、攻撃をかわそうとしている。

 その時馬蹄のリズムが変わって大きな音がしたのでほんの少し振り返ると、敵の馬が倒れていた。すぐそばに剣を抜いたポールが駆けていて、ポールがやっつけたんだ!


「俺が引き付けるから二人で先に行け」

「わかった!」

 ポールがもう一騎に向けて反転する。その姿はすぐに見えなくなった。


 すると今度は左手から新手の三騎が現れる。

「隠れていたのね」

 もう一度ジェルメが馬の腹を蹴る。ソレイユがどこまで走れるかでマリー達の運命は決まるだろう。


 ソレイユお願い、どうか頑張って…! 祈ってつかまることしかマリーにはできない。

 ジェルメも剣を持っているが、抜こうとしない。というかこんなに激しく揺れる馬の上でバランスをとりながら剣を振るうなんて人間技じゃない。それを軽々とやってのけているポールはすごいし、一瞬見たザントライユなどまるで踊るようだった。


「頭を低くしてマリー!」

 ジェルメの体にぎゅっと押され、ソレイユのたてがみが顔にチクチク痛い。けれどすぐ横で別の馬の鼻息がしたから、それどころじゃない。


「キャアッ!」

 急すぎる方向転換。振り落とされないよう必死にしがみつく。ジェルメも必死なのが、息遣いで分かる。どっちが右なのか左なのか分からなくなるほど激しく、ソレイユも駆け回っている。


 その時、下からなぜか熱が立ち上った気がした。すかさず乾いた大きな音がバン!ババババン!と連続する。

「キャアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 心臓が止まるかと思ったのはマリーだけではない。ソレイユも同じだったようで、悲鳴のような声とともに棹立ちになった背中から放り出される。


「マリー!!」

 浮遊する体をジェルメが引き寄せる。地面に衝突する…痛いだろうな…

 だがジェルメの体が下敷きになり、想像していたほどの痛みは無かった。だが転がるうちにジェルメの腕から抜け出てしまう。


「ジェル…メ…!」

 小さい子供ではないマリーの下敷きになったのだから、ジェルメの体には相当痛いだろう。顔を上げてこっちを見ているが、倒れたまま動けないでいる。


 這い起きてジェルメの元へ行こうとするが、その足を何者かにつかまれた。優しさの欠片も無い、乱暴な握力。

「!!」


 恐怖に声も出せない。修道院での記憶が蘇る。マリアンヌの無惨な姿が———

「マリーッ!!」

 ジェルメの叫びがだんだん遠くなるようだった。

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