第8話 祈り

「こっちはポール。アンジュー家の家臣よ。そしてこの子はマリー・ドゥ・レ」

「てこたぁアレか?」

「ジル・ドゥ・レの忘れ形見よ」


「ポールって奴ぁお前さんのコレで、ちちくり合ってんのか。ぃよっ! めでてぇめでてぇ」

 親指を立てたザントライユに、今度こそジェルメは空瓶を振り下ろす。

「おいおい暴力反対だぜー。って、っててて悪い悪うございましたよぉ、いて」

 鈍器による連続打撃を浴びせられ、ザントライユは三つ指ついた。


「忘れ形見ってこたぁジルの奴———」

「今朝処刑されたそうよ」

「処刑? あいつ何やらかしたん?」


 ジェルメがこれまでの経緯を語るのを、ザントライユは床にあぐらをかいたままウンウンと頷きながら聞いていた。


「ヤベェなジルの奴! 繊細で管理職には向かないタイプって思ってたけどよ」

「マリーの前でそういう言い方やめてくれない?」

「子どもを監禁して拷問して殺すとか、いっちばん非道じゃねぇか。オレ様も略奪は数えきれねぇくらいしてきたけどよ、そういうのは無かったし、んなサイコパスも見たことねぇな」


「だから、人の話聞いてる?」

 再びジェルメの鈍器が光る。


「マリーが正統に所領を相続するために、ブールゴーニュ公フィリップ様の元へ行きたいの。ブルターニュ公に対抗するにはそれしかないわ」


「ふんふんっとねぇ。あの黒衣の変人坊主がすんなり受け入れるとは思えねえが、それしか無えってんならいいぜ」

 言いながらブリッ! とまた屁をこいた。やっぱり最低だこの人。


 最悪男にじーっと見つめられ、マリーは必死に顔を逸らしてジェルメの陰に隠れた。

「大丈夫よマリー、人としてはどうかと思うけど、危害を加えたりはしないから」


「ガハハハハ! 食ったりしねぇからよ! んで、報酬はいくらだ?」

「無いわ」

「ほえぇ? 今無いって聞こえたんですがね、あっしの耳にカスが詰まりすぎてるでやんすか?」


 ぶっとい小指でホジホジして、指をしっかり見てからブゥーっと吹いた。しかも何回繰り返すんだろう。ばっちい…ばっちいよ…危害なくてもヤだよ…


「無いわよそんなもの。アンジュー家からは支援を断られてるし、バタールが出してくれるのは私たちの分だけよ」

「この傭兵ザントライユ様にタダ働きさせようってのか⁉ うわ、ないわーそれ。今時ブラックノワール過ぎよそれ」


「あなたそう言える立場じゃないわよね⁉︎  働かせてくださいって言うべきよね? ニートの穀潰しなんだから」

「この居酒屋アイドルを連れ出すんだから相応のモン払わなきゃだろ。オレ様がいるだけでみぃ〜んな幸せなんだぜ? 独り占めするってんならきっちり耳揃えてもらおうか」


「お願いよザントライユ。私たち本当に困ってるの。あなたが必要なのよ」

「泣き落としか? その手には乗らねえぜ。さ、もう一眠りっと」

「ふざけんじゃないわよ、働きなさいよ!」

「あたくしタダで身を捧げるほど安い女じゃありましぇーん」


「じ、じゃあ、あたしが払うよ」

「ああん?」

 ザントライユがギョロ目でこっちを見た。コワ…地顔なんだろうけど怖いです!


「あたしが無事にレ家の財産を相続できたら支払うよ。だから、それまで力を貸してちょうだい」

「ふーん? ジル・ドゥ・レの娘ねぇ。名前は?」

「マリー」

 ザントライユはマリーを上から下まで眺めた。


「じゃ、城くれるか?」

「馬鹿すぎよねそれ。こんな小さな子に城くれとか頼むってどういう神経してんのよ」

「小さくたってジル・ドゥ・レの跡目だろうよ? 領主なんだからよ、下々のモンに分け与えるのが務めだぜ」


「だからって城とかありえないし」

「あんな、オレ様はいつかザントライユ城を持つのが夢なんだよ。それをお嬢ちゃんが叶えてあげたいって思うんなら、全力で守ってやるってもんだ」

「たかるんじゃないわよこの意地汚いゴキブリ傭兵が!」


「あんだとぉ⁉ オレ様のどこが汚いって⁉︎  この最高にプリっとしたケツを見てもそう言えるか! ホレ! 見ろ!」

 お互いに食い気味で次から次へと繰り広げられる応酬。ザントライユが薄汚れたズボンの尻をこっちに向け、ツンと突き出した。


「どうだ! 薄布では覆い隠せん美尻だろう! しっかり堪能するがいい!」

 そんなの見たくないし迷惑だし! それにこの状態でまた屁でもこかれたら命に関わるので、慌ててマリーは答えた。


「わわわわかったよ。城ね、小さいのでもよければあげるから。あたしは要らないし…」

 そもそも、城が残っているのかどうかも知らないけど。借金まみれなのかもしれないし。


 しかしザントライユは足の間からさかさまに顔を出して来た。

「さすが話が分かるお嬢ちゃんだな、優秀優秀。年代にはこだわらないからな、オレ様が改築してやる」


 ジェルメが両手を腰に当てて大きな溜息をつく。

「ほんと見損なったわ。武功立てて自分の力で手に入れるんじゃなくて、小さな女の子からぶんどる程度の夢なのね」


「何とでも言えや。夢も目的もなくただただ生かされてるどっかの誰かさんより、ずーっとずーっとマシだと思うけどな」

「………オッサンのくせに」

「夢見るのに年齢は関係ありましぇーん」


 もう一度ジェルメ空き瓶を握りしめたが、それ以上はせずにクルっと振り向いて、小屋から出ていく。

「ガハハハハハハ! よしよし、楽しい旅にしようぜお嬢ちゃんよ!」

 ザントライユが爆声の酒臭い息で笑う。やだ…、絶対楽しくない!


 いやだいやだと思いながらもお屋敷の中に戻った後、一休みすると急に眠くなってしまった。本当はお風呂で体の埃を落としたかったが、それよりも眠気の方が上で、寝台に倒れ込む。


 乾いていてあったかい布団にくるまれると、不安で過敏になっていた感覚がゆっくり溶かされていくようだ。


 次に気付くと部屋は真っ暗になっていて、窓の外には星が見える。夜まで眠ってしまったようだ。

 寝台の中にジェルメがいない。いつも隣にいてくれるはずなのに、どこに行ったんだろう。


 にわかに不安になり半身を起こすと、離れたところの窓辺でジェルメは祈っていた。

 涙に濡れた横顔を、星の光が映す。

 声を上げるわけでもなく、静かに一人で涙を流し、祈っている。


 誰のための祈りなのか——— 

 それはマリーにも分かった。だから見なかったふりをして音を立てないよう、もう一度布団にくるまり目を閉じた。

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