第4話 悪魔は踊る

 天守に旗が掲げられた。

 白地に黒い三つ斑点と黒い百合の紋がいくつも散りばめられた旗は、この地の王であるブルターニュ公爵家のものだ。


 主のいなくなったティフォージュ城を占拠したブルターニュ公ジャンは、地下の仰々ぎょうぎょうしい鉄扉に閉ざされていた部屋から上がってくる血肉の腐臭に耐えていた。ここは二階にある大広間だが、扉が開け放たれるのをずっと待ちかねていた死者の魂が一気に放出されたように、においは上へ上へと上っていく。


 鉄扉の向こうは、さほど広い部屋ではない。ただ、四方の石壁も床も真っ白に塗りたくられ、そこに赤黒いシミが縦横無尽に無惨な絵を描いていた。

 血糊だ。噴き出し、押し付けられ、叩きつけられた声なき断末魔が浮かび上がり、突入した全員が声を失った。

 赤を際立たせるために、わざわざ壁と床を白くしたのだ。


 そして所狭しと置かれている、悪趣味としかいえない拷問器具。四肢を裂き、全身に穴を開け、あらゆる痛み、苦しみ、恐怖を与えるための数々には血の跡がこびりつき、それに囲まれながら黒髪の男は妖艶に微笑んでみせたのだ。


『あなた方がお探しのものはこれでしょう?』


 待ち構えていたように血色の幕を引き開けた壁には、首だけになった行方不明の少年たちが積み重ねられていた。光のない目がこちらを見ているのもあれば、顔の半分以上が腐食しているものもある。既に壮年となり、戦場や人生のあらゆる修羅場をくぐり抜けてきたと自負するブルターニュ公といえど、その光景は未だに忘れられず背筋が寒くなる。


『なぜこんなことをしたと聞きたいのでしょう? 復讐ですよ、この世界への』


 常軌を逸している。そう糾弾したブルターニュ公に対し、ジル・ドゥ・レは至極冷静に、フランス元帥だった頃の優雅さをそのままに答えた。半ば朽ちた少年の顔を指の背で撫でながら、しかしその瞳に狂気じみた光は無く、この男が魔に憑りつかれ自己を見失って猟奇殺人を繰り返したのではないと悟る。


『あぁ、私は壊れているよ。罪を否定する気はありません。しかしこの世界もまた同様に壊れてしまった』


 言動の意味は測りかねるが、己の罪を告白し抵抗することなくジルは逮捕に応じた。


「しかし、領民は未だジルの所業を信じていないというのか?」

「はい。あの立派な領主さまがそんなことをするはずがない、悪魔の仕業だと騒ぐ者が後を絶ちません」


「ともかく遺体と骨を片付けよ。急ぐのだぞ」

「はっ」

 従者が駆けていくと、威厳を保つために堪えていた息を吐きだして窓を開ける。しかし部屋の空気は変わらない。この城一帯にジル・ドゥ・レの狂気が淀んでいるようだ。


「悪魔の仕業か。あながち間違いではないの」

 それは部屋の隅に控える、削げた頬に狐のような細い目をした、風変わりな男に向けたものだ。口元は長く伸ばした髭に覆われている。


「死体の数を随分と水増しして記録したのではありませんか? 嘘を隠すために処分を急がせていらっしゃる」

「ホッホッホッホッ。口を慎むがよい、この悪魔めが。あの男を地獄へと引き込んだのはお前であろうに」

 不潔な印象さえ与える男は、しかし浮浪者とは一線を画す目の光り方をしている。


「地獄とは何かという議論はありますが、まぁいいでしょう。私はジルが欲しがる情報を提供したまでですよ。拷問器具を入手したのも、実際に使ったのも彼自身です。それよりもこの城の奪うために彼を怒らせて嵌めたのは、あなた様でしょう? そんなことをしなければ、彼のおぞましい性癖は露呈せず、民もこれまで通り穏やかに暮らせたのに」


「子供が百人以上消えているというのに穏やかはなかろう。少年の泣き叫ぶ姿を隣で喜んで見ていたお前が、悪魔でなくて何だという」


 そう、ジル・ドゥ・レが壊れていったのは今に始まったことではない。


 かつてはフランス元帥に列せられた男が、戦列を離れた十年前から一つずつ歯車が抜け落ちるように無気力になった。それからしばらくすると、今度は狂った歯車をはめたように散財し、躊躇なく所領を売却してはまた湯水のごとく使い込んだ。ギャンブルと酒に見境なく手を出しては金をばら撒き、武力で土地を奪取してはまた売る。


 君主たるブルターニュを相手にだけでなくライバルのアンジューにも売っていくのだから、たまったものではない。だからこの城を手放される前に取り上げようと策をろうしたのだが、まさか地下にこんな秘密が隠されていたとは思いもしなかった。


「ジルが人の道を外れたのはお前の仕業であろう、プレラーティよ」

「私はあなた様と違い、人の心を壊すのには興味ありません。生き延びることは再生すること。壊れた心がどう再生していくのか、その過程こそが真に美しい。ジルにとって、少年への凌辱と殺戮はまさにそれだったのですよ」


 逮捕後のジル・ドゥ・レは尋問に対し、性的な目的で少年を監禁し危害を加えたと話している。全くの嘘ではないが、真実は語っていない。直感的にブルターニュ公はそう感じていたが、しかし真実などどうでもよい。


「早急に裁判を終わらせ処刑する」

 それが重要だ。その為には死体の数に弁護や酌量の余地があってはならないし、動機はえげつないものの方が都合が良い。


「ええ、ジルの心を壊して地獄に突き落としたのはあの少女…。ああ、かわいそうなジル、救世主にさえ出会わなければ領主として平穏に暮らせたはずなのに」


 両手のひらを天井に向け、壁の血痕を見つめていかにも哀れっぽく天を仰ぐ。プレラーティというこの男、見た目とは裏腹に演技派のようだ。もしやこの無粋な外見も計算のうちか。


「ホウ? あの娘は火あぶりで死んだはずであろう?」

「生きているのですよ。噂と占いによると」

「くだらぬ。ホホホ」


「そう言い切られるのは性急というもの。ご存じでしょうか、あの少女の背後にアンジュー公家がいるのを」

「アンジューだと?」

「修道院への襲撃では、何者かにより目当ての娘マリーが連れ出されました。これに救世主が、つまりアンジュー公家が関わっているとしたらどうです?」


 アンジューはフランス王家との縁が深い。このブルターニュとは領地が隣り合っているのだから、幅を利かせるのを指をくわえて見ているわけにはいかない。

「ホホホホ…、退くわけにいくまいな」


 するとプレラーティが黄色く染まった歯をニイィと見せる。それが何とも言えぬいやらしさを感じさせ、ブルターニュ公は思わず顔をしかめた。


「その答えを待っていました。ジル・ドゥ・レの側に居た甲斐があったというものです。公爵陛下はジルと娘のマリーを亡き者にし領地を手に入れる。私は今度こそあの少女を手に入れる。私たちの利害はこれまでもこれからも一致しています。よろしいですね?」


「くどいぞ」

 ブルターニュ公は唸った。


「次は私も動きましょう。引き続き捜索をお願いしますよ」

 お前などに言われなくてもやっておるわ。そう言いたいのをぐっと飲みこんだ。


 錬金術師を自称するこの胡散臭い男は、歯車が狂ったジルに取り入り、少年への拷問や非道な殺害を全て共にしておきながらジルだけを突き出し、逆に自らを売り込みに来たのだ。


『私の師、赤い魔女はかつてあなた様に延命という贈り物をしましたが、私はそれ以上のものを捧げましょう。それは歴史です。ジル・ドゥ・レの所領を手に入れて、それだけで終わりにしてよろしいのですか?』


 ハナから信用するに値しない。しかし普通の人間なら踏み込むのを躊躇う心の闇に、この男は好んで触れて相手を虜にする。それに拷問や毒などの知識を持ち、常人離れしているのは確かだ。いつ飼い主の手に噛みつくか分からないのだから、機嫌の良いうちにせいぜい働かせておけばいい。


「頼りにしておるぞ、プレラーティよ。ホッホッホッホ」

 作った笑みは、我ながら嘘くさいものだった。

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