第32話 部長復帰。視点、皇二

 部員確保に成功し、再スタートした柔道部は騒動が嘘のように淡々と練習に励んだ。

俺が散々悩んで恥ずかしい思いしたのが嘘のようだよなぁ。


「隙あり!」


「うぉ!?」


 彼の一声を浴びた直後、朝練ということもあり、ひんやりした畳に頬を付けさせられた。

彼というのは覆面事件の際、助けに入ってくれた1年の神田のことだ。


「先輩、自分どうですかね!」


 神田は最初に遭遇した部員ということもあってか、俺に積極的に話かけてきている。

コミュ障の俺が、まさか後輩と仲良くなるとは思わなかったが、最近は慣れてきてたどたどしく返すことは少なくなってきた。


「う、うん。俺より上手いし、いいんじゃないかな」


 そう返答すると、「いやいやそんな」と謙遜しつつも嬉しそうな顔をしていた。

実際、彼はここ数日で動きのキレが格段に上達している。

俺みたいな根っからの運動嫌いでもなかったのだから当然といえばそうだろう。

しかし、なんだろうこの空虚な気持ちは。

俺の作戦は失敗したが、柔道部は軌道修正し、良い方向に向かっている。

なのに何故か、心が満たされない。


「みんな、今日が選手登録用紙の最終提出日だからね! 明日から夏休みだけど、締めよく終わるために頑張ってね!」


 縁下さんはそう言い終わると、へそ出しのチアガール姿で練習の応援に戻った。

部活勧誘でしたいと提案して却下されたのだが、どうやら興味が湧いてマネージャーの傍らやり始めたらしい。

女の子に応援される練習というのは今までと違い、最後までやり切れるパワーが出る。

だが同時に、ふいに彼女の方を見るとけしからん感情が湧いて集中できないこともしばしば。


「あれ、効果があるのか微妙ですよね」


 神田は鼻の下を伸ばしながらそう呟く。

「あぁ、たしかに」と、同意したくなるところだが踏みとどまった。

下品な部員を入れたくなかった身としては、そういう考えに陥るのは何としても食い止めねば。

しかし、今日が選手登録の最終日か。

熱士が復帰する可能性を考慮し、提出の期限ギリギリまで待つことに決めたのだが、やっぱり謹慎はそう簡単に短縮するものではないようだ。

このメンバーで出場したら、初戦敗退は免れないけど仕方がない。

彼ら4人の願いは達成されるのだから、それだけでも十分だ。

って、他人のことばっか考えているけど俺って結局何したかったんだ?


「またしても隙あり!」


「うわっ!?」


 またしても油断し、神田に投げ飛ばされた。

しかし今度は完全に意識が戻るのが若干遅れ、受け身のモーションに入り損ねた。

畳に背中よりさきに手の平を置くと、全身の体重がそこへのしかかる。


「いてっ!」


 その瞬間、体験したことのない激痛によって叫び声を発してしまった。

捻った手を擦っていると、道場内の全員がこちらに近寄る。


「どうしたの、大丈夫?」


 縁下さんが腰を下ろし、目線を合わせてこちらに話しかけた。

俺は痩せ我慢で笑顔を作ろうとしたが、痛みが走り表情が歪んだ。


「隠さないで、捻挫よこれは」


 優しい声でそう宣言する彼女は、表情が曇っていた。

無理もない、俺が嘘を吐こうとしたのは大会の出場人数を減らさないためだったのだから。


「てことは、俺ら大会に出れないんだな」


 田中のその呟きが耳に入ると、矢に射抜かれたように己の責を痛感した。

俺は......俺は人の役に立とうとしても、ダメなのか。


「まぁ、ここまでよく頑張った方だよ。思い出作りには、十分だ」


 遠藤は重い空気を取り繕うようにそう喋りかける。

そして縁下さんが沈黙し、神田がみんなに謝り続けた。

この場にいる全ての人間を悲しませてしまった原因が俺であるという事実。

それがたまらなく、この場にいることを苦痛にさせた。


「お、俺、今から勧誘してきます」


 この空間から飛び出したくてまた......逃げた。

柔道場の下駄箱で靴を履き替え、そっと扉を開く。


「お、佐藤皇二ではないか! 久しぶりだなぁ」


 逃げようとしたその目の前には、熱士が立っていた。

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