第2話 皇二、奇行に走る。視点、皇二

「じゃあ行ってきます」


 玄関でそう挨拶すると、母親は慣れたセリフで返す。


「行ってらっしゃい、気を付けるのよ。あなたは我が家の宝なんだからね。万が一、変な人に絡まれたら即通報するのよ。あ、その次にお家に電話してね。大丈夫、すぐ駆けつけるから。後......あ、三者面談あるからね!」


 長い。

普通の家庭なら"行ってらっしゃい、気を付けるのよ"で終わりだ。

俺の家庭は、というより佐藤皇二(さとうこうじ)だけはいつもこう長ったらしく見送られる。


「皇気(こうき)、じゃあな」


 先に家を出た中2の弟、皇気と信号待ちで出会う。

俺は信号が青へ切り替わった際、そう声をかけた。

もちろん弟の反応は無視だ。

俺は彼と別れた後、ぼーっと歩き中学校へと到着。


「じゃあ、こんな問題で悪いけど。皇二君、どうぞ!」


 数学の教師に名指しされ、俺は黒板にチョークを付けた。

そして数秒後、手に着いた粉を払いながら席へ戻る。


「流石皇二君! 大正解だ! みんな、皇二を見習って真面目に勉強するんだぞ!」


 はぁ、そういうのやめてくれよ先生。


「えーだりぃ」


「そうだよ、皇二にしか解けない問題出すなよ」


 ほらな、予想通りクラス中が野次を飛ばす。

もちろん俺にしか解けない問題ではない。

レベルとしてはちゃんと中三レベルのはず。

だがまともに勉強しているのなんてほんの僅か。

俺以外はみんな恋愛や部活、友達との遊びで夢中だ。

別に高望みなんてしなきゃ勉強できなくても高校は行ける。

大学だって普通に進めるし、恐らく仕事も悪くないだろう。

すべて普通を望んでいれば、大した苦労はいらない。

俺もそうでありたかった。

だが、無理だ。


「奥さん、本当に皇二君は素晴らしいですねぇ。私もこんな子どもが欲しかった」


 三者面談が始まり、先生は母親に褒めちぎった言葉を送った。


「あらそう? まぁ、そんなことは置いといて先生。皇ニ、行けるかしら?」


 母は親父に買ってもらったブランドのバッグから、私立の有名な男子校のパンフレットを取り出した。

本丸よりまずは外堀を。

というより、外堀も本丸もなすすべもなく侵攻されている。

勇気を出すんだ俺!

ここで進路に反対しなければ、俺はきっと学生生活の間に童貞を卒業できない!

男子校なんてブチ込まれたら、ただでさえ口下手な性格が余計悪化してしまう。

猿山卒業した暁には、女と話すだけで絶頂してしまうやもしれん。


「母さん、俺」


「もちろんですよ母さん! 皇ニ君ならお茶の子さいさいです!」


 吹けば飛ぶような声でそう発するも、先生に被せられた。

教師が話し終えたのを確認し、再度口を開く。


「なぁに、皇ニ? 何か言いたいことがあるのかしら?」


 母親と先生、2人のとてつもない眼力に思わず屈服した。


「いや、早く勉強したいな……なんて」


 はぁ、いつもこうだ。

俺はプレッシャーにとことん弱い。


「ガハハ! 皇ニ、お前は真面目だなぁ!」


「もう皇ニったら。おほほ!」


 2人は何故か爆笑し、その後の俺は一言も発することなく面談を終えた。

帰りの送迎車の中でも無言を貫き、玄関の扉を開ける。

食事を終え、風呂上がりの弟と出会った。

弟はすれ違い様舌打ちし、お泊まりに来た男友達と自室へ帰る。


「ブンブン、ハローサキュチューブ! 今日はですねぇ!」


 彼の部屋の扉が閉まり、数分後にはハイテンションな声が聞こえてきた。

弟はサキュチューブという動画配信サイトで動画を投稿している。

ドッキリ系の動画が主体なのだが、完全に演技である。

もちろん人気者と呼ばれるレベルに達しているわけではない。

ただの男子中学生同士の、大根芝居で再生数が取れるほど甘い世界ではないようだ。

だが俺は応援するぞ弟よ。

俺が彼の動画にグッドした直後、父がトイレへ行くため目の前を横切った。

素通りするかと思ったが、服を脱ぎ始めた俺に話しかける。


「皇ニ、お前はあぁならないでくれよ。スペアが壊れた今、お前がこの家の面子を保て」


 父は母よりもタチが悪い。

官僚から天下りしたクズのくせに、俺に学歴を求めて厳しく育てる。

弟は俺の代替品として扱われ、中学入学時点で完全にグレてしまったようだ。

彼も辛いだろうが、その影響をもろに受けた俺はもっと最悪だ。


 風呂を出た俺は、勉強机の上に参考書や筆箱を置く。

そしてポテチを一気に貪り食い、袋を空にした。

スマホを青のりの残る袋の中に入れ、小さなお姉さんの動画を堪能する。

ふふふ、これが俺の密かな息抜きの一つ。

某デ◯ノートでは新世界の神になろうとしていたが、俺はこういう使い方の方が賢いと思うね。

あと少しで快感が訪れると少し鼻息が荒くなった。

しかし、その直後父の激昂が壁を簡単に突き破り俺の脳に直撃した。


「皇気! そんな馬鹿なこといい加減、家でやるな! 皇ニの受験勉強が妨げられ、失敗したらどうすんだ! おら、外で撮ってろ!」


「ふざけんな! 聞こえないように防音にしたじゃねぇかよ! おい、クソ親父!」


 完全防音ではないが、彼の部屋の壁は防音素材が貼り付けてある。

彼の部屋の前に行かなければ音は他のどの部屋にも伝わらないはず。

しかし、親は古い考えのせいなのか激しく怒っていた。

2人の喧嘩は数分続き、俺の息子は萎えに萎えた。


 俺は絶望した。

どこにも息抜きできる場所がない。

プレッシャーに耐えられない性格ゆえ、こうして限られた息抜きで多少なりともガス抜きしてきた。

しかし、それでも溜まった鬱憤はもうこの程度の憂さ晴らしじゃ治らない。

学校も家も何もかも、居場所がない!

俺はみんなが寝静まった深夜、こそこそと家を出た。

そして、マンションの屋上へエレベーターで向かった。

異世界へ行く方法は色々試した。

魔法陣を描いた紙の上に立ってみたり、おもちゃのトラックにぶつかったり。

本物のトラックは試せなかった。

転生物で一番多い展開だが、おじさんが可哀想すぎる!

トラックの対歩行者に対する過失割合はほぼ100パーセント。

転生した俺は楽しい人生を謳歌できるやもしれんが、豚箱で寂しく余生を過ごすおじさんがずっと脳内にチラつきそうで嫌だ。


 というわけで、残された手段は一つとなった。

そう、屋上から転落することだ。

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