第56話 頼りになる婚約者

季節は流れ、ジーメンス領に冬が訪れようとしている。

遠い山の標高が高いところにはわずかに冠雪が見られ、その山から吹き下ろされる寒風は、やがて平地にも雪をもたらすことだろう。

僕が爵位を継いでから1年半程が経ち、2回目の冬を迎えた。

1回目の冬とは違う事、それはジーメンス領に人が増えた事だ。

領内も少しずつではあるが着実に豊かになっている。


「あ、カール君。おはよう。」


執務室に入ると、アイナが話しかけてきた。


「うん、アイナ。おはよう。もう仕事していたのかい?」


僕はそう言いながらアイナの隣に座った。

テーブルには何枚もの書類が広げられていた。


「ええ。フリーデルに教わったことを参考にして、商業取引の帳簿のチェックとかしていたの。」


アイナは商業国家オルロヴァ・オールブリンク家の令嬢であるからもともと聡明であったのだが、秋から始めたフリーデルの授業によって商業分野での才能が開花したようだ。


「まあ後で纏めたら報告するけど、いくつか改善できる部分がありそうね。その辺はフリーデルとうまくやるから任せて頂戴。あ、それと…」


アイナが一枚の紙を差し出してきた。

どうやら取引物品の価格表が記されてるようだ。


「これはお父様…、オルロヴァから来た取引価格が記されたもの。ここを見ると、まあ、お父様も強かね。オブシディアンとサファイアの価格が少し安めに設定されているわ。」


「うーん、僕にはよく分からないけど、そうなの?」


「いろいろな物品の中に混ぜ込んでいるから気が付きにくいけど、私は見逃さないわ。」


アイナがフフフといった感じの笑顔を浮かべた。


「さ、さすがだねアイナ…!」


「これについても私が前に立つわ。お父様には負けられないからね。」


す、すごいやる気だ。

僕がそれを視覚的に捉えることが出来る目を持っているとすれば、アイナの後ろにはやる気のオーラが見えそうだ。


「でもそれって義父上ちちうえに歯向かう事になるんじゃないのかい?」


「甘いわね、カール君。確かにそうだけど、取引相手は味方でもあり、敵でもあるの。いくら友好国であっても、それは曲げてはいけないわ。」


ふーむ、そんなものなのか。

確かに僕はどうしても人を性善説で見てしまうところがあるのかもしれない。

ベルクール三世ケルト兄さんの件もあったし、ちゃんと考えないといけないのかな。


「本当、アイナって頼りになるね。」


「えへへ…。そうでしょう、そうでしょう。」


アイナがすすすっと、僕にすり寄ってきた。


「えっと、どうしたのかな?」


僕はチラチラっとアイナの方を見た。


「えー、良いじゃない。カール君、最近ラリサとばっかりラブラブしているからさあ。」


「え、えーっと、もしかしてこの前のシチューとかの事を言ってる…?」


「それもあるけど、やっぱりラリサあの子、最近あなたにべったりだもの。」


アイナがぷくっと頬を膨らませた。かわいい。


「ご、ごめん。でも僕にはそう言うつもりは無くて…」


「まあ、私もラリサあの子の気持ちは分かっているから、拒絶はしないけどさあ。ねえ、カール君。」


アイナが僕に腕を絡めて来た。


「貴族の世界は、別にめかけが認められてるの。もしカール君がラリサあの子めかけとして娶りたいと言うなら、反対はしないわよ。」


い、いきなりなんてことを言うんですか!? アイナさん?


「うーん、僕はまだ、そんなことを考えることは出来ないよ。僕にとっては…」


僕はぎゅっとこぶしを握った。

僕はアイナの事が好きだ。それは間違いないのだが、どういう“好き”何だろう。

アイナの、オルロヴァの方からしたら政略的な部分もあるのかもしれないが、僕に好意的なのは間違いない。

だからこそ、僕は今の段階で、ラリサに対する気持ちを言うことは出来ない。


「はいはい、その先は聞かない事にするわ。いずれにしても私はカール君の婚約者だから、一歩リードしてるしね。」


負けないわよ! 

そんな声が聞こえた気がした。

















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