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 真幸さんから思いも寄らない選択を突きつけられ、寮の部屋から逃げるように去った俺は、姉妹と出会うきっかけになった公園を訪れ――覚悟を決めた。

 今度こそ、舞佳だけが離れてしまわないようにする。

 三人一緒にいられるようにしてみせると。

 意を決した俺は、まず一か八かの思いで、親父に電話をかけた。

 今から会いに行くこと、大切な話をしたいと伝えるために。

 が、どれだけコールしても、親父に繋がることはなかった。

 俺から電話をかけることはほとんどないが、たとえかけても親父が出ることはなく、数日後に向こうから折り返してくればいい方だった。それだけ仕事が忙しいのだろうが、今回ばかりは折り返しを待っている暇はない。

 公園を発った俺は、電車とバスを乗り継いで空港へ向かった。そのさなかに真幸さんと連絡を取り、外泊の許可を申請した。それと一日だけ、姉妹のことをよろしくお願いしますとも。

 初めは真幸さんも戸惑っていたが、俺の誠意を信じてくれたのか最終的には了承してくれた。ひとまず今日のところは、二人を俺の部屋に置いてくれると。

 飛行機に乗るなんて修学旅行以来で、チケットなど買ったこともなかったがスマホで調べればなんとかなった。それでも手際よくとはいかず、なんとか最終便に間に合ったという綱渡り具合だった。

 福岡空港に着いた頃にはもう二十二時を回っており、空港の外は真っ暗だった。

 ドラマや映画だと空港のラウンジで一夜を過ごすシーンなんかがあるが、あれは羽田や成田などの二十四時間営業している空港しかできないらしい。福岡空港は二十二時半で閉まるため一夜を明かすことができなかった。

 宿の当てが外れた俺は、このまま空港の地下を通っている福岡市営空港線の電車に乗って博多まで行くことも考えたが、それでも泊まれる場所を見つけられないのではと不安になった。

 勢いで飛び出してきたばかりの時は一種の興奮状態にあったが、この頃にはいくらか冷静さを取り戻していて、そのせいで現実的な問題に気づいてしまったのだ。

 金の不都合は今のところない。寮の手伝いで稼いでいた貯金はまだ充分にある。

 けれど今の俺は学校の制服を着たままであり、こんな格好ではホテルは愚か、ネットカフェにすら泊まることは難しいだろう。とりあえず博多に向かったところでどうしようもない。

 ジャケットだけ脱いで学校の制服っぽく見えないよう工夫し、ファミレス辺りでやり過ごすことも考えていたが、改めてスマホで調べてみたところ、仮宿に使えそうな場所を見つけることができた。

 空港から徒歩十五分ほどで着くスーパー銭湯的な入浴施設で、利用料である七百円さえ払えば朝の七時半までいられるらしい。利用したことがある人のブログによると、休憩室で夜を明かすことができるようだった。

 休憩室は八畳ほどと広くはなく、本来は寝そべるのも禁止だったがほかに客もいなかったため、ほとんど横になる形で寝ることができた。慣れない寝床もあってか起床は自然と早くなり、七時前には身支度を済ませて銭湯を発った。

 地下鉄の電車は十分とかからず博多駅に着き、スマホの連絡先に登録していた住所を頼りに親父のアパートへ向かった。バスと歩きで二十分ほどかかり、部屋の前まで来た時には七時半を回っていた。

 だいぶ体がきつい。飛行機も含めればそれなりの長距離移動を経てきたし、休憩室で眠れたと言ってもぐっすりとはいかなかった。

 飯も昨晩にコンビニで買ったおにぎりを食べただけで、今朝はまだなにも口にしていない。緊張のせいか食欲が湧かなかったからだが、やっぱりなにか食べてくるべきだったかもしれない。

「というか、まだ出社とかしてないよな……」

 今更になってそんな不安が頭をもたげる。まだ早朝と言えど、既に親父が部屋を発ってしまっている可能性もなくはない。もし多忙な時期なら会社に寝泊まるしていることもあるのだろうか。

 不安が波濤のように押し寄せ、覚悟が揺らぎ始める。

 ――いや、もうそんな些事を気にしている場合じゃない。

 ここまで来たんだ。いなかったらその時はその時だ。

 当たって砕けてしまえの気持ちでインターフォンに手を伸ばした――その時だった。

 ガチャリとドアが開かれ、中から親父が出てきたのは。

「……お前、なにをしている」

 スーツ姿の親父は、俺を見るなり怪訝な声で言った。白髪混じりの短髪と、微かに刻まれている顔の皺が日々の気苦労を感じさせる。会うのは高校の入学式以来だが、少なくとも俺の目には全然変わっていないように見えた――相変わらず、感情の起伏に乏しい目つきだ。

「お、親父……悪い。急に来たりして」

「なんの用だ」

 緊張を隠せない俺に対し、親父の声はどこまでも平坦だった。ともすれば冷ややかにすら感じられるほどに。

 俺は自分を鼓舞するように、両の拳をぎゅっと固め、

「親父と、話がしたいんだ。どうしても直接会って相談したいことがあって……それで昨日、電話したんだけど、出なかったから、最終便で、それでこんな、朝早くになって」

「…………」

 気合で塗り固めたはずの声が少しずつしどろもどろになっていく。伝えたい言葉が端から沈んでいくようで、上手く言葉にできなくなる。

 それでも、諦めるわけにはいかなかった――必ず答えを持って帰ると誓ったのだから。

「急過ぎることは理解してる。でも、大事なことなんだ。だから少しだけ、五分だけでもいい。話を聞いてくれ! ください! お願いします!」

 必死に懇願し、深々と頭を下げた。張り上げた声がアパートの廊下に響き渡る。

「大声を出すな。まだ朝だぞ」

 冷徹な声が降ってくる。胸の奥がずきりと痛んだ。

 やっぱり、迷惑としか思われなかったのか――不安げに顔を上げると、親父はおもむろに取り出したスマホを耳に当てていた。

「――おはようございます、鏑谷です。急で申し訳ないのですが、本日は午前休を取らせていただきます。はい、業務の方は問題なく……」

 誰かと電話をしている。内容から察するに上司だろうか。

 その後も親父は何人かへの電話を済ませると、ようやく俺と目を合わせ、

「中で話すぞ。入れ」

「まさか、仕事を休んだのか?」

「中で話すと言っている。早くしろ」

 それまでと同じ平坦な声だった。俺は言われるがまま厳格な背広姿に続いた。

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