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 もう夕陽が傾いている。緋色にわずかばかりの金を溶かし込んだ鮮やかなグラデーションが空を覆っていた。先ほどまで砂場の方ではしゃいでいた子供たちの影も消え、公園にはブランコに座る俺一人だけが取り残されている。

 覚えのある孤独だった。何度かこんな風に、夕暮れの公園に独りぼっちでいたことがある。

 強烈に覚えているのは、舞佳の願いに答えられず呆然となったあの日と――それから、もう一つ。

 いくつかの足音が近づいてきているのに気づき、俺は顔を上げた。

「ユウ……」

「……っ」

 すぐ目の前に、藍香さんが立っていた。その後ろには舞佳の姿も。

 二人を呼び出したのは俺だった。少し前に電話をかけたばかりだったが、思ったよりも早く公園に来てくれた。

「今までなにしてたのよ。あたしも舞佳も心配して……」

 藍香さんの声は険しかった。当然だ。それだけの時間、俺は二人を待たせてしまっていたのだから。

「…………」

 舞佳はなにも言わず、ブランコに座る俺を見つめては目を逸らすのを繰り返している。部屋にいた時と同じように、濡れた瞳のまましおらしい表情を浮かべている。

 彼女も思い出しているのだろうか。ブランコに独りでいる俺を見て。初めて出会った頃のことか、あるいは願いを拒絶された日のことか……。

 どっちでもいい。なにもかも過去の話だ。

 これ以上囚われているべきではない。なにもできなかった頃の、差し伸べられた手を掴むだけの自分でいる必要なんかない。

 今度は俺が導くんだ――姉妹の願いではなく、三人の願いを叶えられる場所に。

「こんなところに呼び出して、悪かった。どうしても、この場所に来てもらいたかったんだ」

 俺が話を切り出すと、二人は不思議そうに顔を見合わせ、

「あの部屋じゃ、ダメな話ってこと?」

 と、藍香さんが訊ねてくる。

「ダメというか、俺の気持ちの問題というかな……ここから始めないといけない気がしたんだ。この公園は、俺が二人と初めて会った場所だから」

 ――母さんを亡くして、塞ぎ込んでいた時。

 この公園でいつも独りだった。特に放課後は、毎日のように寄り道をしては、日が暮れるのを待ってから家に帰っていた。母さんが死んだあとも親父は働き詰めで、俺だけ早く帰っても虚しいだけだったから。

 放課後の公園では同い年くらい奴らがよく遊んでいたが、俺から声をかけることはできないでいた。当時の俺は母さんを亡くしたショックで、深い悲しみと絶望に苛まれていた。

 そんな時――中学の制服を着た女の子が、俺に声をかけてくれた。

「……ええ、よく覚えてるわ」

 わずかに表情を和らげると、藍香さんは懐かしむように相槌を打つ。

「ユウは確か、このブランコに独りで座ってたのよね。濡れ鼠みたいにしょんぼりしてて」

「濡れ鼠って、どんだけみすぼらしかったんだよ俺」

「それだけ、当時のユウはちっちゃくて可愛かったってことよ。それが今じゃこんな大きくなっちゃって……それだけの時間が流れたってことね」

 口元を綻ばせる藍香さん。親戚のおばさんのような台詞で笑ってしまいそうになるが、きっと彼女の本心なのだろう。だから俺も茶化したりはしなかった。

「でも、あたしの見立ては間違ってなかったわ。この子ならきっと、舞佳のいい友達になってくれるって……そう思って、ユウに声をかけたら」

「え……?」

 藍香さんの後ろで、舞佳が驚いたような声を上げる。

 俺はなんとなく、そんな理由だったのだろうと思っていた。当時の舞佳は引っ込み思案で、中々友達を作れない子供だと聞いていたから。独りで公園にいる俺を見つけて、藍香さんなりに思うところがあったのだろうと。

「妹思いだったんだな、藍香さんは」

「だったじゃなくて、今もそのつもりよ? だからユウの部屋に残るかどうかだって……結局は、舞佳に譲ってあげるつもりだったわ。もしもユウが、あたしを選んでいたとしてもね」

「姉さん……」

 舞佳がぎゅっと、藍香さんの服の袖口を掴む。

 藍香さんは優しい微笑を向け、子供のような舞佳の手つきを受け入れていた。

「このままお父さんのところへ帰ったら、舞佳は転校してしまうわ。今度はずっと遠くだから……ユウと会える機会も、そうないでしょうから」

「……藍香さんのことだから、そう言うだろうなとは思ってたよ。きっと舞佳の気持ちを優先するだろうなって」

 だけど――、と俺は続け、

「悪い、二人とも。やっぱり俺には、どっちかの願いを捨てることなんかできない。そんなことをすれば、俺は約束を破ることになっちまう」

「いいのよ、あたしとの約束なんて。ユウが無理をするようなら、そんな約束無くなってしまった方が……」

「違うんだ、藍香さん。俺が言っているのは、藍香さんとの約束だけじゃない」

 俺は舞佳に視線を移した。夕陽の光を羽織る彼女の顔は微かに翳り、その両目は震えるように揺れている。

 戸惑う視線を離さぬよう、彼女をジッと見つめながら俺は言葉を紡いだ。

「思い出したんだ、俺。舞佳と交わした――いや、交わし損ねていた約束のこと。ずっと叶えられずにいた、舞佳の望みを」

「私の、望み……」

 消え入るような声で言ってすぐ、舞佳は大きく両目を見開いた。

 きっと彼女も思い当たったのだろう。俺がなにを言っているのか。

「少し歩こう。二人に、見せたいものがあるんだ」

 そう告げて、俺は「こっちだ」と先導しながら歩き始める。

 二人はまた顔を見合わせていたが、すぐに俺の後ろをついてきてくれた。

 公園を出て、マンダリンオレンジに染まった住宅街の道を進んでいく。

 俺たち三人にとっては慣れ親しんだ道だった――ここまで来れば、彼女たちも気づいているかもしれない。俺がどこへ向かおうとしているのかを。

「――ここだよ。二人に見せたかったもの」

 目的の場所で足を止め、振り返る。

「ここって……」

 辿り着いた場所を前に、舞佳が呟くような声を出す。その顔は懐かしんでいるようでもあり、けれど不思議に思っているようにも見えた。

「ちょっと、ユウ、ここが一体どうしたって言うのよ? どうして今更、こんなところに」

 藍香さんも似たような表情だったが、彼女は不可解な気持ちの方が強いようだった。

 無理もない。今更こんな場所に来たってどうしようもないのだから。彼女たちが抱えている問題には、本来なんら関係のないはずの場所だから。

 だけどここも、俺にとっては大切な場所だった。

 彼女たちとの思い出を語る上でも――二人との約束を果たす上でも。

「これが、俺なりの答えなんだ。二人のどっちかを選ぶとか、そういうことじゃなく……もっと大切な、二人との約束を叶えるための」

 そう答えて、俺は再び舞佳と目を合わせる。

「あの時は、なにも言えなくて悪かった。ずっと、ちゃんと答えらなくて」

「ユウ、君……」

「でも、今度こそ答えるよ。離ればなれになりたくないって気持ちは、俺も同じだから。舞佳が俺に願ったこと――本当に望んでいた願いは、叶えてみせるから。だから……」

 ――自分だけ離れるのは嫌だ。舞佳はそう言っていた。

 それこそが彼女の本当の願いなら、叶えるために必要なことは、三人が離れてしまわないこと。三人一緒にいられること。

 それが舞佳にとっての、そして俺たち三人にとっての、理想とする『家族』の形。

 俺は呼吸を整え、怪訝な顔つきのまま二人に向けて言った。

 ――『入居者募集中』の看板が掲げられている、平屋の家屋の前で。


「この家で、一緒に暮らそう。三人一緒に」


 俺の言葉に、二人は唖然としていた。俺がなにを言っているのか、まだよく分かっていないような顔だった。

 無理もないだろう。こんなこと、普通なら考えもしないことだ。

 なにせ、俺たちの前にあるこの一戸建ての貸家は――小学生の頃まで親父とと共に住んでいた、俺の前の家なのだから。

「く、暮らそうって……」

 まもなく、藍香さんが我に返り、

「ちょっと待ってよユウ! 本気で、言ってるわけ?」

「ああ、俺は本気だ」

「だけど、そんな……無理に決まってるじゃない。あたしたちだけでこんな、貸家なんて」

 尤もな反応だと思った。

 舞佳も呆けたように黙り込んでいるが、内心は藍香さんと似たような気持ちだろう。

 けど俺だって、ただの思いつきで言っているわけじゃない。

「大丈夫だ。実はもう、親父には話をつけてきたんだ」

「……じゃあまさか、今まで時間がかかってたのって」

 さすがは藍香さん。察しがいい。

 彼女の言うように、思いのほか長い時間、二人を待たせてしまっていた――それこそ、丸一日かかるほど。

「ああ。昨日・・、飛行機に乗って、直接会って話をつけてきたんだ――博多にいる親父とな」


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