第五話 決断と約束

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 電話で話を聞いた限りだと、どうやら藍香さんがしくじったらしい。

 男子寮に帰り、俺の部屋に入ろうとしたところを真幸さんに見咎められたのだとか――その光景自体は想像に難くなく、むしろそうなって当たり前である気もする。彼女がやっていることは普通に不法侵入なのだから。

 しかしこれまで、藍香さんは一度も見つかったことがなかったのに、今になってへまをしたというのは引っかかる部分もある。真幸さんがよほどイレギュラーな動きをして藍香さんの想定を超えてしまったのか、あるいは単なる油断だったのか……。

 いずれにせよ、現に藍香さんは捕まってしまった。俺の部屋に再三出入りしていたこともげろったらしい。その辺りの説明もしなければ空き巣とも思われかねないから致し方なかったのだろう。

 寝泊まりしている事実についてはどうか分からないが、真幸さんは俺の部屋で待っていると言っていた――つまり室内に蔓延している三人分の生活感も目の当たりにしている。

 藍香さんの荷物だけではない、もう一人別の、舞佳の私物があることにも気づいているはず。そこまで把握された上では、もはや余計な誤魔化しは無意味なものだ。

 だから俺は――放課後、舞佳を連れて寮に戻った俺は、正直にすべてを打ち明けることにした。

 いつから姉妹を匿っているのか。なぜ匿うことになったのかを――。



「……そう。そんな事情があったわけね」

 寮に帰宅後。まだ明るいのにお通夜みたいな空気の自室にて。

 俺の話を聞き終えた真幸さんの声は、思いのほか穏やかなものだった。

 けれど表情には、普段のような優しい微笑みはなく、怒りを通り越して呆れているような気配が感じ取れた。

『…………』

 藍香さんと舞佳はカーペットの上に正座している。俺が弁解している間、二人はずっと黙ったまま顔を俯かせていた。

「でもね優真君、どんな事情があれ、誰かを部屋に寝泊まりさせることは規則違反なのよ?」

「はい……」

「それにここは男子寮なんだから、女の子は出入りすることもダメなはずよ?」

「ですよね……」

「にもかかわらず、同じ学校の生徒は愚か、大学生の女の子も一緒なんて。もうどこから叱ってあげたらいいのか分からないくらいよ」

 ぐぅの音も出ない正論だった。

 というか、同じようなことを俺も藍香さんに言っていたはずなんだが。

「待ってください、寮母さん」

 ふと、顔を上げた藍香さんが言った。いつものフランクさが取り除かれた、年相応の端然とした声だった。

「ユウのことは、責めないであげてほしいんです。ユウは、あたしたちにお願いされて、仕方なく寝泊まりさせていたに過ぎないんですから。悪いのは全部あたしたち……いいえ、言い出しっぺのあたしが、悪いんです。申し訳ありませんでした」

 驚天動地だった。少なくとも俺にとっては。

 いつもとぼけてばかりの藍香さんが、これほど素直に自分の非を認めるなんて……それも、俺や舞佳のことを庇いながら。ここまで深々と頭を下げるなんて。

 しかし真幸さんは、ほとんど表情を変えず、

「たとえ原因が上見坂さんたちにあるとしても、それを承諾した優真君も共犯です。責めないわけにはいかないわ」

「……はい、尤もな話だと思います」

 ですけど――、と藍香さんは再び顔を上げ、

「ユウは、そういう子なんです。頼まれたら断れない、そういう性分の男の子なんです。それは寮母さんもよく知っていることだと思います――ユウに、あんな変装・・までさせて手伝わせていたんですから」

「えっ……」

 思わぬ話を持ち出され、真幸さんがたじろぐ。

 変装、というのは俺のエセ業者姿のことだろう。この辺りは藍香さんらしい反論だと思った。要はあんな変装までさせて女子寮の手伝いをさせているのはどうなのかと、遠回しに非難しているわけだ。

 その思惑に真幸さんも気づいたらしく、やや申し訳なさそうに俺を一瞥したのち、

「……そうね。確かに優真君は断らない。どんな無茶なお願いでも聞いてくれる、そんな男の子だわ」

 と、どこか譲歩するような声を漏らした。

「一つだけ、上見坂さんたちに訊いてもいいかしら……二人とも、どうしても優真君のところじゃなきゃダメだったの? 寮住まいだと分かっていて、本来頼ってはいけない相手だと分かっていて、それでも優真君でなければいけないと思ってここへ来たの?」

 不思議な問いかけだった。なぜ真幸さんはそんなことを聞きたがるのか。

 けれど藍香さんは、考えたような間もなく「はい」と頷き、

「ユウでなければ、ダメでした……こんな無茶なお願いを聞いてくれる知り合いなんて、ユウ以外にはいませんから」

 と、明るく笑って答えてみせる。

 真幸さんはジッと藍香さんを見つめたのち、「そう」と頷いてから舞佳に視線を移し、

「あなたも、お姉さんと同じ?」

「え……」

「どうしても、優真君のところじゃなきゃダメだったって、そういう思いでここへ来たの?」

 舞佳は戸惑うように俯いていた。

 こういう訊き方をされれば、舞佳が首を横に振るのは目に見えている。元々、彼女は藍香さんのところで厄介になるつもりだったのだから。俺の部屋なんて、できれば泊まりたくなかったに違いない。

 しばらく逡巡した様子の舞佳だったが、ほどなく俺や藍香さんに目配せすると、目蓋と拳にぎゅっと力を入れたのち、

「……はい、そうです」

 か細い声で答え、また顔を俯かせていた。

 ――どういうことだ。舞佳は藍香さんの当てが外れたから、仕方なくここへ来たんじゃなかったのか。それとも、この場を逃れるために話を合わせようとしているだけなのか……。

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