39
踵を返そうとした藍香さんを「待てよ」と引き留め、
「さっき、なんて言おうとしたんだ。俺のことがどうとかって……」
「ん? なんて言おうとしたと思う?」
「そ、それは……」
躊躇した俺を見て、藍香さんはおかしそうに破顔した。
「ふふっ、ユウの思ってる通りのことよ。きっと間違いないわ」
「え……それじゃあ、藍香さん、俺のこと――」
「言ったでしょ? あたし、ここでは告白を受けてばかりだったから。一度くらいは逆の立場もやってみたかったのよ」
「……は? やってみたかった?」
「ユウ、中々可愛かったわよ。顔真っ赤にして、写真撮っておけばよかった」
軽やかな言葉に、全身の力が抜けそうになる。
まさかあれが、あの思い詰めたような表情が単なる演技だったなんて――なんだよそれ、どんだけ緊張したと思ってんだよ!
「そんなことより、早く行ってあげなさいよ。ユウは、舞佳のところへ行ってあげるべきなんだから――ほらっ」
「え、ちょ――うわっ!」
唐突に背中を押され、無理やり物陰から出されてしまう。
さすがに舞佳たちからも気づかれ、びっくりしたような視線を向けられた。
「か、カブちん?」
「ユウ君……?」
どちらも驚いてはいるが、二人の顔にはそれぞれ異なる色合いが見て取れた。
一方は気まずそうに青ざめ――もう一方は、気恥ずかしげに頬を赤くしている。
「な、なんでカブちんが……ていうか、は? いつから聞いて……」
「いや、まあ……いつからと訊かれたら、一部始終ってことになるけど」
「――……ッ」
絶句する獅子手。
舞佳もぎゅっと唇を結び、先ほどよりも更に顔を赤くさせて俯いている。
「なあ、獅子手さん。俺と舞佳が幼馴染っていうのは、本当なんだ」
「はあ……?」
「舞佳とは、小学生の時はよく遊んでたけど、ちょっと色々あって、舞佳は隣町の中学に進んで……それでこの高校に入ってから、久しぶりに再会したんだ」
「ま、マジで?」
未だに信じられないと言った顔で、俺と舞佳を交互に見やっている。
舞佳は恥ずかしそうに頬を染めつつも、視線だけを獅子手さんへ向け、
「本当に、私の妄想か与太話だと考えていたの? 意地悪のつもりで言っているのだと思っていたけれど……」
「だ、だって! 実は幼馴染でしたとか、そんな漫画みたいなこと言われて、信じられるわけ……!」
「確かにそうかもしれない。でも、そうだとしたら、私がそんな見抜かれやすい嘘をつくと思う? あなたを騙すつもりなら、もっと現実的な嘘をつくわ」
「う……っ」
尤もなことを言われ、獅子手さんは歯がゆそうに顔を歪ませる。
話が途切れたところを見計らい、改めて俺は「獅子手さん」と呼びかけ、
「別に、俺は迷惑になんて思っちゃいない。舞佳と話すことも、もちろん、獅子手さんからお願いされることだって……まあ、たまには、無茶かなって思うこともあるのは事実だけどさ」
獅子手さんがこちらを振り向く。わずかに瞳が潤んでいるようにも見えた。
俺はなるべく優しい声を心がけ、言った。
「こんな風に言うのは卑怯かもしれないけど、今回は、俺からお願いしてもいいか? こんなことで、舞佳と喧嘩しないでほしい。できればもっと、互いに歩み寄ってほしいって」
「……っ」
獅子手さんが言葉を詰まらせる。両の拳がぎゅっと固められていた。
――不意に、校舎から昼休みの終わりを告げるチャイムが聞こえてくる。
獅子手さんは重々しい溜め息をつくと、慌てたように踵を返し、
「あーもう、なんかシラけた。帰る」
「獅子手さん……やっぱ、無理かな。俺の頼み、聞いてもらうのって」
「……そんなの、分かんないし」
呟くような声で言い残すと、足早に校舎の角を曲がっていった。
必然的に、舞佳と二人きりの状況となる。
「……っ」
獅子手さんがいなくなったあとも、舞佳は顔を赤くしたまま黙り込んでいる。恥ずかしさだけでなく、気まずげな思いも入り混じっているような気がした。
「悪い、舞佳。余計なことしたかな」
一応謝ってみると、舞佳は「ううん」と慌ててかぶりを振り、
「どうして、ここに?」
「それは、話せば長くなるというか、ほぼ藍香さんのせいなんだが」
「姉さん? どうして、姉さんが」
「まあ、ちょっとな……それより、獅子手さんと話してたことだけど」
「――っ、は、話してたことって……」
分かりやすく顔を背ける舞佳。耳までほんのり赤らんでいるように見える。
こんな反応をされては、こっちまで体が熱っぽくなってしまう……しかし、訊かないわけにもいかない。
「ええと、だからその……獅子手さんに言ってた、好きって」
「そ、それは……」
「つまりその、舞佳はずっと、俺のことが――」
核心に迫ろうとした瞬間、舞佳は真っ赤になった顔をこちらに向け、
「す、好きだから、私……」
「っ――!」
「あなたと、一緒にいて……姉さんも、一緒にいて、その、昔みたいな時間、凄く、好きで」
「え……藍香さん、も?」
「そ、そう……! ユウ君と、姉さんと、一緒にいる時間が、好きだった。ずっと、好きで、ずっとずっと、続けばいいのにって……」
途切れがちな、あるいは弾んだような声だった。唇が微かに震えていて、視線もふらふらと揺れている。顔は真っ赤を通り越して茹蛸みたいになってしまっている。
――つまり舞佳は、厳密には俺のことが好きだと言ったわけではなく。
俺と藍香さん、そして舞佳、三人で一緒にいた時間が好きだったと……そう言いたかったってことなのか。
「……な、なんだ。びっくりした」
本日何度目の脱力か、力が抜けたようにその場にしゃがみ込む。
「好きって、そういう意味だったのか……ったく藍香さんと言い、心臓が破裂するかと思ったぞ」
「え、え? ユウ君……?」
「いや、なんでもない。思春期男子の頭ん中は薔薇色の妄想力ってだけの話だ。とてつもなく厄介なことにな」
なんとか腰を上げ、呼吸を整える。肩の力が抜けて楽になった気がした。あるいはがっくりきて肩を落としているだけかもしれないが、いずれにせよ安堵感は大きかった。
やっぱり、俺が覚えた違和感は正しかったのだろう――俺が期待した舞佳の『好き』は、あの時の約束とは結びつかないものだ。そもそもが俺の勘違いなのだから、結びつくはずがない。
「なんか滅茶苦茶疲れちまった。俺たちも帰ろうぜ、なあ……舞佳?」
俺の呼びかけに対し、舞佳はまた俯いて立ち尽くしているだけだった。帰ろうという意思が感じられない。
かと思えば、未だに紅潮したままの顔を上げ、
「そうじゃなくて……本当は、そうじゃない」
「え?」
「そんなこと、言いたいんじゃなくて……私、私ね、本当は、もうすぐ……」
不揃いの語気で紡がれた声は徐々に消え入り、舞佳は再び黙り込んでしまう。
もうすぐ、なんだって言うんだ――続きをせがもうとするも、タイミング悪くポケットに入れていたスマホが振動する。画面を見ると、先ほど帰ったはずの藍香さんからの着信だった。
『あ、ユウ。今ちょっといい?』
「どうしたんだ? どうなったのか気になったとかか?」
『それも気になるけど、今回は別件よ。実はさっき、ユウの部屋まで帰ってきたんだけどね……』
珍しく歯切れが悪かったが、こちらが訊き返す前には声が続いた。
『ええと、とりあえず電話を繋いでほしいみたいだから。代わるわね』
「代わる? 誰と……」
『――もしもし、優真君?』
声質が明らかに変わる。
聞き慣れた穏やかな声は、受話口越しでも聞き間違えることはなかった。
――なんで、
嫌な汗がどっと噴き出す。確信めいた悪寒が背筋を這う。
受話口から聞こえてくる真幸さんの声は、普段と変わらず温和なものだった。
『学校が終わったら、まっすぐ寮に帰っていらっしゃい――優真君のお部屋で、上見坂さんと一緒に待ってるから』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます