38
「それで、話ってなに? 獅子手さん」
剣呑とした空気の中、舞佳が話を切り出す。
獅子手さんは眼差しに込めている苛立ちをいっそう強め、
「カブちんのことだよ。あんただって薄々分かってんでしょ」
と、つっけんどんに答える声が聞こえてくる――って、は? 今なんと……?
俺の足元にしゃがんで見守っている藍香さんも、「カブちん?」と首を傾げ、
「なにそれ、あの子なんのこと言ってるの?」
「……俺のことだよ」
「ユウ?」
「カブちんって呼ばれるんだよ、俺。主にあの女子から」
「ぶ……っ」
思い切り噴き出しかけた藍香さんだったが、寸でのところで堪えたようだった。
「なるほどね、鏑谷だからカブちんか。完全に理解したわ」
「共感力高いな……」
「あだ名呼びなんて仲いいじゃない。相当気に入られてるのね」
「席が隣だから話す機会が多いだけだ。大体、気に入られてるようなあだ名じゃないだろ、カブちんとか」
「ふぅん?」
疑うような目が見上げてくる。図らずも上目遣いになった眼差しに、先ほどの思い詰めたような彼女の表情を思い出し、胸のうちがきゅっと締めつけられた。
藍香さんがどんな言葉を続けようとしたのか、気にならないはずがない。けれど今は、舞佳と獅子手さんのことも気にかかる。整理がつかない気持ちの中、結局は藍香さんの視線から逃れるように、校舎裏で対峙している二人の方を見つめていた。
「芦北さぁ、なんで急にカブちんと絡み出したわけ? ぶっちゃけ目障りなんだけど」
「私がクラスメイトと話をして、なぜ獅子手さんが目障りに思うと言うの?」
「はあ? わざわざ言わなきゃ分かんないわけ? そういうとこが空気読めてないんだよあんたって。だからいつもぼっちなんじゃん」
嫌悪感たっぷりの溜め息を吐くと、獅子手さんは嘲るような笑みを浮かべた。
「あんたみたいなぼっちと絡んでたら、カブちんが可哀想じゃん。カブちんはうちらと仲良くしてんだから、あんたなんかと話してっと迷惑すんの」
「まったく理解できないわ。なにがどう迷惑になると言うの」
「この前だって、うちがカブちんにお願いしてたのに、あんたが話入ってきてやめさせようとかしてきたじゃん。ああいうのが迷惑だって言ってんだよ」
「それはあなたにとっての迷惑でしょう? しかも本来あなたがすべきことを彼に押しつけて、自分は楽をしようとしていた。迷惑と言うなら、無理なお願いをされた彼の方が……」
「はあ? うちが迷惑かけてるって言いたいわけ? ねえから。てかあんたなんかにつきまとわれてる方が、カブちん絶対迷惑だし」
徐々にエスカレートしていく口論。あまりに不毛な言い争いで見ていられず、今すぐに二人の間に割って入るべきではと思った。
「待って、ユウ」
そんな俺の気を察したのか、藍香さんが囁くような声で言った。
「もう少しだけ待ってあげて。このまま見守るの」
「見守るって、でも……」
「大丈夫だから。お願い、ユウ」
言い聞かせるような声だった。迷った末、俺も静観を続けることに決めた。
「てか芦北、今まで誰ともつるんでなかったじゃん。なんで今頃になってカブちんなわけ?」
「それは……」
「あ、もしかして芦北、カブちんのこと好きになっちゃったとか? それで今更、仲良くしようとしてんじゃねーの?」
意地悪な訊き方に思えた。舞佳はなにも言い返せず小さく俯いている。
どうしたんだ、舞佳。素直に言ってしまえばいいだけなのに。俺とは昔からの知り合い、幼馴染だったんだって。今更仲良くなったわけじゃないんだって。
それとも、そう言いたくない理由でもあるのか? やっぱりまだ、今までと違う自分を晒すのを嫌がっているのか……?
「ふふっ……あの二人、全然違うタイプだと思ったけど、割と似た者同士なのかもね」
俺の困惑をよそに、藍香さんは小さな笑みを零している。
「似た者同士? どういう意味だ?」
「ユウには分からないかもね。あの二人の本心が今、どこに向けられているのか。どうしてこんな言い争いしているのか」
「あの二人の喧嘩なんて日常茶飯事だぞ? いつも犬猿の仲っていうか、なにもかも正反対な二人だし……似た者同士なわけない気がするんだが」
「そうかしら? あたしには舞佳も、あのイケイケな感じの子も、同じような天邪鬼に見えるけど」
「天邪鬼?」
「まあ、あとはどっちが先に素直になれるかね。しっかり見守ってあげなさい」
まったく腑に落ちない答えだったが、それ以上は藍香さんもなにも言ってこなかった。仕方なく俺も舞佳たちに視線を戻した。
「なー、どうなんよ芦北? 図星過ぎてなんも言えんとか? もしかして照れてんの? ウケるんだけど」
相変わらずの嘲笑混じりで煽る獅子手さん。
黙り込んでいた舞佳だったが、やがてゆっくりと顔を上げ、
「そんなこと、あるわけないじゃない」
「は?」
「今頃好きになったなんて、あるわけない――だって私は、鏑谷君の……ううん、ユウ君の、幼馴染なんだから。ずっと、ずっと前から一緒にいて……好きだったんだから」
図ったような強い風が、校舎裏を吹き抜けていく。
長い黒髪をなびかせる舞佳の顔は、凛としていながらも少しだけ赤らんでいるように見えた。
「舞佳……」
俺のことを、ユウ君と呼んだ。
そして――好きだと言った。
すなわちこれが、舞佳の本心。
舞佳がずっと願っていたこと、願い続けていたこと。
嬉しいはずなのに、今すぐ叫んでしまいたいほど胸が高鳴っているのに……心のどこかで、素直に受け止め切れない自分がいる。
――『ねえ、ユウ君……お願いがあるの』
どうして今、そのことを思い出す?
舞佳の願い。忘れてはいけないはずの約束。
ずっと思い出せずにいる言葉が、今この瞬間も引っかかり、俺の喜びを曖昧にさせている。
――『ユウ君は、大きくなったら、私の――に、なってくれる……?』
違う。なにかが、違う。
舞佳がずっと、俺のこと好きだったのだとすれば……あの時、舞佳が俺に言った願いがなんなのか、簡単に想像がつくはずだ。
それなのに、ノイズはかかったまま。
舞佳の声が正しく浮かばない。再生されない。
その願いは、本当に額面通りの言葉だったのか。舞佳の気持ちが素直に、真正直に表れた言葉だったのだろうか。
拭いようのない違和感がまとわりつき、俺の頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。
「お、幼馴染……?」
獅子手さんの困惑するような声が聞こえ、ハッとさせられる。
「はっ、バカじゃないの? そんなの、どうせあんたの妄想か勘違いだろ! ぼっちはすぐ話盛りたがるし、てか、ユウ君とか馴れ馴れし過ぎじゃん、きもっ」
悪罵して憚らない獅子手さん。目つきは鋭いものの、その表情には確かな戸惑いが滲んでいる。
「……そう、ちゃんと言えたのね。ほんと、遅過ぎ」
しゃがんでいた藍香さんが腰を上げる。
その顔には満足げな笑みと、微かな寂しさが混在しているように見えた。
「今よユウ、行ってあげなさい」
「は? 行くって……」
「あの子のところへよ。そんで、ちゃんと収拾つけてきなさい。あたしはもう帰るから」
「舞佳に会っていかなくていいのか? 驚く顔が見たかったんだろ?」
「こんな状況であたしが出ていけるわけないじゃない。それくらいの分別はついてるわ」
そんな格好で母校に忍び込んでおいてなにが分別なのか――そう突っ込みたいのは山々だったが、今はそんなことよりも確かめておきたいことがあった。
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