35
*
翌日。学校にて。
四時間目を終え、昼休み中に移動教室の授業から教室に戻っていた時。
「鏑谷……お前まさか、芦北と付き合い始めたのか?」
並んで廊下を歩いていた鷺沼が突拍子もないことを訊いてきた。どうでもいいが、なんか久しぶりに会話した気がする。文庫本で言うと二百ページぶりくらいな感覚だ。なんかこう、悲しいよな……。
「なんだ鏑谷、その憐れむような目は。この期に及んで俺のツーブロックを小馬鹿にしたいのか?」
「いや、そっちは小馬鹿どころじゃなく大馬鹿なんだが……お前には、強く生きてほしいと思ってな」
「さらっと上位の貶し方してくるんじゃねえよ! つうか、もしかしてはぐらかそうって魂胆か?」
「なんのことだ」
「だ・か・ら、芦北とのことだよ。付き合い始めたのかって訊いたんだ」
聞き捨てならない質問だった。なんなんだ藪から棒に。
「最近のお前と芦北は、今までとなにかが違う」
「どんな風に?」
「今日の朝、教室に来たお前に芦北が挨拶してただろ? 『おはよう』って。俺は聞き逃さなかったぞ」
地獄耳め。音爆弾でも投下されちまえばいい。
しかし鷺沼の言っていることは事実だ。寝不足だった俺は普段よりもやや遅い時間に登校し、例によって先に来ていた舞佳から『おはよう』と言われた。その際の表情から察するに、昨晩抱き着いてきたことは覚えていないらしい。俺の脇を通り過ぎていく時の顔は、ちょっとだけ笑っているようにも見えたけど……たぶん気のせいだろう。
「別に、挨拶くらい普通だろ。クラスメイトなんだから」
「いや全然普通じゃねえだろ。あの氷の女王・芦北がクラスメイトに挨拶なんて、今まで一度も見たことねえぞ」
「氷の女王ねえ……」
確かに、学校での舞佳は自分から『おはよう』なんて言う生徒ではなかった。誰かから挨拶されても返事すらしていなかった気がする。鷺沼が不思議がるのも無理ないか。
「昨日なんか急に芦北を連れて教室から飛び出してたしな。保健室に連れていくとか言って、お前は中々戻ってこなかったし……二人で一体なにしてたんだよ」
「なにもしてねえよ。養護の先生が不在だったから、舞佳が寝てることをメモに残したりとかして」
「それもだよ、それ!」
「は?」
「なんでお前、急に芦北のこと呼び捨てし始めたんだよ! しかも苗字じゃなく下の名前で、そんなんどう考えたって付き合ってますムーブじゃねえか!」
面倒くさい奴だ。これはちゃんと話しておいた方がいいかもしれない。
俺は舞佳との関係性について正直に話した。実は幼馴染であり、小学生の頃はよく遊んでいたことなどを。
「……つまり、芦北とはこの学校で同じクラスになったことで再会して、でも久しぶり過ぎて互いに緊張してたから最初はよそよそしかったが、最近ようやく慣れてきたから昔の呼び方に戻した、ってことか?」
「総括ご苦労。もう下がっていいぞ」
「どこにだよ! ていうか獅子手と仲良くやってやがるかと思いきや、今度は芦北と幼馴染でしただぁ? なんなんだよお前は! 前世でどんな徳を積めばそんなラブルジョワになれるんだよ畜生!」
「いきなり大声出すなよ……ていうかなんだよラブルジョワって」
「お前みたいな奴のことだよ! くそ、むかついたら無性に腹が減ってきやがった……とっとと教室戻って飯食うぞ。それからわら人形と五寸釘の調達だ」
尋常じゃなく恨まれていた。どこに売ってんだよわら人形。
「あーあ、俺にも可憐な幼馴染がいましたーとか、ご都合的設定あったりしねえかなー。例えば突然振り返ったら、見覚えのない美少女が俺に笑顔で歩み寄ってきてたりとか」
「そんな天文学的な確率の事態、起きるわけが……」
と、だいぶ酷な感じに突っ込んだ時だった。
「――あ、やっと見つけた! おーいっ」
後方から嬉しそうな声が飛んできて、俺も鷺沼も『え?』と振り返る。
俄かには信じがたい光景が、そこにはあった。
「お、おい……マジかよ。知らない女子生徒が、こっちに手を振りながら歩いてきている。それもとんでもねぇ美人だぞ!」
戸惑いと興奮を露わにしている鷺沼。突進寸前のブルファンゴより鼻息が荒い。
俺はと言うと、鷺沼とはまったく別の意味で戸惑っていた――なぜなら、その近づいてきている女子生徒というのは。
この学校の制服に身を包んだ、藍香さんだったのだから。
「どうだ鏑谷! お前ばっかがラブルジョワになるなんて恋愛の神が許さねえってさ! 現に俺にも、こうして遅めの春が到来して――」
「藍香さん! なにやってんだよこんなところで!」
「……は? ランカ、サン……?」
当惑する鷺沼を無視し、急いで藍香さんのもとへ駆け寄る。
「やー、そういえばユウと舞佳のクラスどこだったか知らなくてねー。ここ来るのも久しぶりだったし、ちょっと学校の中さまよっちゃってたわけよ」
「いや、そもそもなんで学校に来てんだよ! しかもそんな格好までして……」
問い詰めようとした俺だったが、背後からおぞましいほどの殺気を感じ取り、恐る恐る振り返る。
「か、鏑谷……また、またてめえの女ってオチかよ! くそがぁ!」
涙目のまま睨む鷺沼がこちらへ迫ってきていた。さながら猪突猛進の勢い。なにが奴をここまで怒らせたのか。皆目検討がつかない。
が、今は悠長に考えている暇もない。
「逃げるぞ、藍香さん!」
「え、ちょ、ユウ――」
状況が呑み込めていない藍香さんの手を引いて廊下を走り始める。
鷺沼も怒声を上げながら追いかけてくる。廊下にいるほかの生徒たちもドン引きするほど猛烈な勢いだった。なにより俺がドン引きしている。
「待ちやがれ鏑谷ぁ! 誰なんだよその美人はぁ!」
「わっ、美人ですって。あたしのことよね?」
分かりやすく反応している場合か!
ちゃんと走ってくれなければマジで追いつかれちまう。なにか上手く振り切る方法はないか……。
とその時、廊下の先から早稲田が歩いてきているのが見えた。向こうもこちらに気づいたらしく、
「おう、鏑谷。どうしたのだ、そんな血相を変えて――」
「早稲田! 鷺沼を止めてくれ!」
「なに? どういうことだ。それと、その女子生徒は一体」
「説明している暇はない! とにかく奴を頼んだ……!」
縋る思いで言って、鍛え上げられた巨躯の脇を通り過ぎる。
その刹那、早稲田はなにかを察したように頷き、
「うむ、承知した」
と、廊下の真ん中に仁王立ちして鷺沼の前に立ち塞がった。
「鷺沼! ここを通りたくば、俺を倒してゆくのだな!」
「邪魔じゃあ! どきやがれぇ!」
勢い任せに突っ込もうとする鷺沼と、それを屈強な肉体で足止めする早稲田。
その隙に、俺は藍香さんを連れたまま階段を駆け下りた。
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