Hidden Her Hearts ▼ Side M


 ……代わり映えのない一日。教室はいつも通り騒がしい。

 今日はまだ授業の予習が済んでいない。手持無沙汰ではないから、普段より周囲の声は気にならない――はずなのに、ペンを握る手が覚束ない。

 どうしても、朝の出来事を思い出して、顔が熱っぽくなってしまう。

 ……迂闊だった。まさか私が、あんな寝相になって……抱き着いてたなんて。

 む、無理! 忘れようとしても思い出してしまう。何回頭を振っても離れない。

 向こうは、まだ普通に眠っていたけれど……き、気づかれてないよね? あっちが眠ったあとに抱き着いただけだよね……?

 涎とか、垂らしてなかったかな……へ、変なとこ、触ったりしてないよね。

 予習が手に着かない。全然集中できない。

 私は席を立った。ハンドタオルを持ってお手洗いに行き、誰もいないことを確認して何度も顔を洗った。思ったより水が冷たいおかげでだいぶ顔の熱が引いていく。

 ……うん、大丈夫。もう、普段通りの私のはずだ。

 それに、こんなことくらいで動揺していたらいけない……もう、私は決断しないといけないのだから。

 お手洗いから教室に戻ると、ちょうど登校してきていた彼と目が合った。体の芯からまたぼおっと熱が生まれてくる。

 落ち着け、私……ここで目を逸らしたら、またさっきと同じ轍を踏むだけになる。

 なんということはない。普通に接すればいいだけ。

 こういう時、言うべき言葉は決まっているのだから。

 ――おはよう。

 努めて毅然とした態度で、私は言った。

 自分でも褒めたいくらいにフラットな声を出せた。

『お、おう……おはよう、舞佳』

 微かに緊張したような彼の声が続くと、結局私は目を逸らしてしまっていた。

 ……ダメ。そんな風に呼ばないで。

 せっかく、気持ちを落ち着けたばかりだったのに……また、口元が緩んでしまう。

 私は彼の横を通り過ぎて、足早に席へ戻った。

 その時、ぞっとするような視線を感じて振り返ると、いつものように教室の後ろで話し込んでいる獅子手さんの目が、私を睨みつけているような気がした。

 無理やり視線を切って席に着くと、ノートの間にメモが挟み込まれていることに気づく。

 ――『昼休み、校舎裏に来い』

 差出人は、もう確認するまでもなかった……。


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