34



 消灯後。取り決め通り、俺は舞佳と一緒にベッドで寝ることになった。

 当然のことながら舞佳は俺を抱き枕になどせず、普通に俺の隣に横たわっている。二人で寝るには広いとは言い難いマットレスの上で、なんとか俺の体に触れぬようぎりぎりまで離れているようだった。

「くぅ……くぅ……」

 ソファの方からは藍香さんの小気味よい寝息が聞こえてきている。今日はベッドではなくソファなのに、相も変わらず寝入るのが鬼早い。環境に左右されない辺りは彼女らしいなとも思った。

 俺はと言うと、今日はそこまでドキドキしていなかった。藍香さんの時と比べれば密着感があまりないからだろうか。ゆっくり深呼吸をして、そのまま目を瞑っていればそのうち眠れそうな感覚はある。

 が、やはり隣にいる舞佳のことが気にかかり、すぐには寝付けなかった。彼女の方からは寝息らしい声も聞こえてきていないが、まだ眠っていないのか……と不思議に思っていた時。

「ね、ねえ……」

 吐息混じりの、小さな声が俺を呼ぶ。

 目を開けて隣を見ると、舞佳が俺の方に寝返りを打っていた。

「お、おう。どうした?」

「あ、いえ……ごめんなさい。もう寝てしまったのか、確かめたくなって」

「まだ、だったけど」

「そ、そうよね……」

 お互いになにか、ぎこちない会話になる。

 特に舞佳の方は、ずっと細かい身じろぎをしていて、俺以上に緊張しているように見えた。やはり俺が隣にいるのが気になるのかもしれない。

「舞佳、やっぱり眠れないか?」

「え……?」

「気になるなら、俺は床で寝てもいいぞ。そしたら、舞佳がベッドに一人で……」

「それはダメ!」

 突然、舞佳が語気を強めた。

 二人してハッとなり、ソファに目を向ける。

「……んんぅ、ん……くぅ……」

 助かった。藍香さんはぐっすり眠ったままだ。

 俺は「しーっ」と舞佳に注意し、

「ダメだろ、大きな声出したら」

「ご、ごめんなさい……」

 思いのほか素直に謝る舞佳。

 そんな彼女を見て、俺はふと、子供の頃のことを思い出した。

「そういえば、昔もこんなこと、あったよな」

「え?」

「俺の家で、この三人で昼寝しててさ。ゲームに疲れた藍香さんだけ先に眠っちまって、でも俺と舞佳は起きたままだった」

「……そんなことも、あったわね」

 ふっと、舞佳が相好を崩す。

 これほど自然に笑った彼女は久しぶりに見た。思わずドキリとしたが、同時にどこか懐かしい気がして、心が和やかになる自分もいた。

「あの時は結局、ずっと話しっ放しだったよな。どんなこと話してたっけか」

「ええと……確か、姉さんの寝顔に、悪戯でもしてみようとか」

「そうだった。いつも困らされてばかりだったから、たまにはやり返してやろうかって話してたんだよな」

「ええ。でも、やっぱり姉さんに悪いからって、結局なにもしなくて」

「俺も舞佳も真面目だったしな。いや、怒られるのが怖かったのかな」

「私が言ったのよ。やっぱりやめましょうって……姉さんのこと、起こしたくなかったから」

「じゃあやっぱり、藍香さんに悪いって思ったんだな」

「……さあ。忘れてしまったわ。随分と昔のことだから」

 そう答えると、舞佳は物憂げに目を伏せた。

 確かに、もう四年以上も前のことだ。こんな他愛ない思い出、忘れてしまうことの方が自然なのかもしれない。 

 けれど、絶対に忘れてはいけないこともあった。

 例えばそう、――二人と交わした、約束のこと。

「……なあ、舞佳。一つ訊いてもいいか」

「なに?」

「子供の頃、なにか、約束をしたと思うんだ。普段のお願いとは違う、もっとずっと、大切な約束というか……」


 ――『ユウ君は、大きくなったら、私の――に、なってくれる……?』


「そんな感じの約束というか、お願いをされたことは覚えてるだ。ただ、舞佳が俺にどうしてほしかったのか、結局その約束がどうなったのか……それだけが、どうしても思い出せなくて」

 素直に、俺は打ち明けた。

 大切な約束だったはずだから。たとえ一部分が抜け落ちてしまっても、抱え続けてきたものだから。

 それだけに、大切だと分かっているはずなのに、完全に思い出せずにいることが申し訳なかった。幻滅されることも覚悟の上だった。

 しかし――舞佳は。

「……覚えてて、くれたんだ」

 幻滅はしなかった。少なくとも、そういうのとは違う感情に見えた。

 舞佳は、今にも泣いてしまいそうなほど両目を光らせていた。

 にもかかわらず――彼女の両頬には、嬉しそうな笑みが灯っている。

「舞佳……どうかしたのか?」

「ううん、なんでもない」

 舞佳はすぐに、目の端を指で擦って、

「そんなの、約束でもなんでもないわ。私がただ、無理にお願いしたことでしかないから」

「でも、大切な約束だったんじゃ……」

「いいえ、ただのわがまま。あなたを困らせるだけの、私のわがままだった。だから、思い出せなくても、いいの」

 なんでもないことのように、舞佳は言うだけだった。

 はにかむような微笑みと声には、昔の彼女と確かに重なるものを感じた。

「ああ……そういや、昼寝の話の続きだけどさ」

 なんとなく返答に詰まった俺は、先ほどの話題に戻ることにした。

「藍香さんを起こさないように決めたあとって、結局どうしてたっけ? ずっと話をしてたって記憶もないんだけど」

「それは……私も、あんまり覚えてないかな」

 呟くように言った舞佳の目蓋がだいぶ閉じかけている。昔の話をして気持ちが落ち着いてきたのか、順調に眠くなってきたらしい。

「ま、そうだよな。もう随分昔のことだし」

「ええ……そうね」

 そんな言葉を交わし終えると、俺たちは互いに静かになった。

 いくらかの時間が経った頃、舞佳の方が先に穏やか寝息を立て始める。

 安堵した俺は目を瞑り、自然と訪れた睡魔に身を委ねようとした。今までよりは落ち着いて眠れそうだ。藍香さんのように抱き着いてくることもないだろうしな――と、すっかり安心し切っていた時。

 幼い日の出来事が、電流のように脳裏を駆け巡る。

 ――そういえば昔、昼寝をした時も。

 舞佳は俺より早く寝落ちして……それから、

「んっ……んんっ……」

「ぐあっ!?」

 時すでに遅し。

 ――ああ、そうだ。思い出した。

 舞佳は眠ってしまったあと、隣にいた俺の体にしがみついて、抱き枕代わりにしてきやがったんだ。藍香さんと同じように。

 どうやらなにかを抱いて眠りたいという欲求は、程度に差はあれど姉妹の中で共通している部分があるらしい。性格はまったく違うのに……皮肉なものだ。

 その後、舞佳を振りほどくこともできないまま、彼女の柔らかさに負けて大人しく抱き枕と相成り、結局寝付けなくなってしまったのは言うまでもない。


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