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「それにしても、今日は肝を冷やしたわねー」

 夜、寮の自室にて。

 ソファに座る藍香さんが軽く伸びをしている。プレイ中だったゲームが一段落したのだろう。

「まあでも、なんとかなるものよね。三人で女子寮に忍び込んでお風呂まで頂いちゃうなんて。新たな才能に目覚めてしまった感があるわ」

「どこで活用可能なんだよその才能……」

「だって、もし今後も大浴場に入りたくなったら、今回の手口で乗り切れるってことじゃない?」

「今後もなにも金輪際こんなことがないよう早く出ていってほしいんだが」

「なによ、まるで人を不法侵入者みたいに」

 みたいじゃなくて割とそのものではないだろうか。

「あんなこと、何度もやってたら絶対バレる日が来るだろ。今日だってぎりぎりの綱渡りだったじゃないか。早稲田が電話してこなかったらどうなってたことか」

「なに言ってるのよ。ちゃんとそこまで計算して、あたしがユウに指示を出しておいたんじゃない。すべて計画通りよ」

 V(ぶい)、とピースサインする藍香さん。

 確かに、あのタイミングで電話がかかってきたのは完全な偶然でもない。俺があらかじめ早稲田にラインし、電話をさせるよう仕向けた結果だった。

 しかし確証があったわけでもない。あの時間、早稲田は部活中だった。俺からのラインを読めるかは分からないし、読んだところで俺の指示を素直に聞き入れるかも怪しい。いきなり『真幸さんに「寮でトラブルがあったから戻ってきてほしい」と電話してくれ。理由は聞くな』なんてラインを受けて、実行してくれることを期待する方が無茶な話だ。上手くいったのも結果論に過ぎない。

「計画通りと言うには、あまりに偶然に頼り過ぎな計画だったな……」

「人は理は避けられても偶然までは避けられないものよ。常人の想像を超えようとするなら時には偶機を待つことも必要なの」

 堂に入ったギャンブラーみたいな台詞だった。相変わらずの破天荒ぶりである。

 実際あんな窮地でも軽く乗り切ってしまうのだから、藍香さんの発想は常人離れしているのかもしれない。加えてとてつもない豪運と言うべきか。マジで博徒にでもなっちまえばいい。

 余談だが、早稲田にはあとで俺からフォローを入れておいた。と言ってもかなり有耶無耶にしてしまったが、向こうも深く詮索はしてこなかったから助かった。女子寮から脱出するためなんて説明のしようもないし。

「……~~っ」

 ちなみに、舞佳はと言うと。

 ソファの隅っこで丸くなり、ずっと俺に背を向けている。

 顔色は窺えないが、これ以上ないほど不機嫌なオーラを背中から漂わせていた。

「ええと、舞佳、大丈夫か?」

 恐る恐る声をかけてみたが、舞佳は振り返らず、

「……なにが」

 とんでもない重低音(舞佳比)で訊き返してくる。まったく大丈夫そうではなかった。

 そんな様子を見兼ねたか、藍香さんが「そもそも」と人差し指を突きつけ、

「舞佳がいきなり悲鳴なんて上げなければ、あんな偶然頼りの計画を遂行するまでもなかったのよ。そしたらもっとゆっくりできたはずだし、ユウからぐちぐちと小言を言われることもなかったわ。違う?」

 いや、俺はどのみち小言を言っていたと思うが。

 それはさておき。

「そういえば、舞佳はなんで声を上げてたんだ? なにかあったのか?」

 改まって訊ねてみると、舞佳はようやくこちらを向いてくれた。顔と視線だけだが。

「……………………蜘蛛よ」

「は?」

「落ちてきたの……大きな蜘蛛が、窓際に……私の、目の前に」

「あー……そうか」

 そういえば、舞佳は虫がかなり苦手だったか。特に家の中に出る蜘蛛とか滅茶苦茶嫌がってた気がする。

「もう、蜘蛛が降ってきたくらいで大袈裟なんだから。舞佳のせいで危うく大問題になるところだったのよ? 若い男女三人で女子寮に侵入した挙句、三人揃って大浴場にいたなんて。バレたらとんでもないことなんだから」

「元はと言えば、姉さんがお風呂に入りたいなんて言い出したからじゃない!」

「それはそうだけど、舞佳だってついてきたんだから同罪でしょ? あんな無茶なことに付き合うなんて珍しいって思ったけど」

「それは、私もちょっと疲れていたからで……」

 語気が弱まる舞佳。

 俺はふと、保健室での出来事を思い出した。

「そうだ、藍香さん。寝床についてなんだが、今晩だけは舞佳にベッドを譲ってくれないか?」

「なんですって?」

 不思議そうに訊き返してくる藍香さん。

 舞佳も驚いたか、小さく口を開けて俺を見つめていた。

「ユウ、初日の夜に決めたでしょう? どっちがユウを抱き枕にするか……じゃなかった、どっちがベッドに寝るかは、公正公平にじゃんけんで決めるって」

「それは分かってるけど。ていうか途中で本音漏れただろ」

「漏れたんじゃなく漏らしたのよ」

「勢いで言い訳してるせいでなにか誤解を受けそうな表現になってるぞ……とにかく寝床の話だけど、実は今日、舞佳は保健室に行ってるんだ。寝不足で、具合が悪いってことで」

「ちょ、ちょっと……」

「そうなの、舞佳?」

 藍香さんが訊くと、舞佳は少しだけ目を泳がせた末、小さく頷いていた。

 俺は続ける。

「舞佳はずっとソファ寝だったから、ぐっすり眠れない日が続いていると思うんだ。だから今晩くらいは、じゃんけんなしで譲ってやってくれないか?」

「むぅ……」

 藍香さんは両腕を組んで悩んでいたが、しばらくするとまた舞佳に視線を向け、

「ユウの言い分は分かったけど、舞佳はどうしたいわけ? どうしてもベッドがいいの? じゃんけんなしで譲ってほしいの?」

「それは……」

 仄かに顔を染める舞佳。また視線が定まっていない様子だったが、一度俺と目を合わせると、更に顔を赤くして俯き、

「……で、できれば」

 と、か細い声で答えていた。

 藍香さんは「ふぅん」と目を細め、

「そう。でもそうすると、ユウを抱き枕にしなきゃならなくなるわけだけど。舞佳もそうしたいってことでOKなのよね」

「そ、そんなことしない! 誰が、抱き枕になんてっ……」

「ジョークよジョーク。珍しく素直に言えたことだし、お望み通りベッドは譲ってあげるわ」

 尤も、と藍香さんは言葉を継ぎ、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「ベッドだからぐっすり寝られるかどうかは、舞佳次第だと思うけどね」


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