20
ひとまず俺はもう一度外に出て、芦北さんが着替え終わるのを待ってから中に戻った。
芦北さんは薄桃色のパジャマに着替えており、今度はソファの上で体育座りになっている。不機嫌と気恥ずかしさをひしめかせた憤懣げな面持ちだった。
「……変態」
「だから、悪かったって。それに鉢合わせたのはほぼほぼ藍香さんのせいであって」
「……へんたいっ」
聞く耳持たずという感じで、ぷいとそっぽを向かれる。どことなく子供っぽい仕草にも感じられた。
「あーあ、舞佳を怒らせたー。ユウってばさいてー」
他人事のような声を挟んでくる藍香さん。例の如くゲームの続きに励んでいる。その様が余計に腹立たしい。
「はー、この辺は雑魚過ぎて作業ゲーになっちゃうわね。早くボス戦になんないかしら」
「なに自分は関係ない感出してんだよ。元はと言えば、藍香さんがちゃんと教えなかったせいだろうが」
「まあまあ、たった半日足らずで美少女二人分の半裸を拝めたんだから。むしろ感謝してくれてもよいのでは的なー」
謝る気ゼロなのもここまで来るといっそ清々しい。だからと言って許す気もゼロなわけだが。
「大体な、俺にあんな姿を見られた芦北さんの気持ちも考えろよ。藍香さんとは違うんだからな」
「む、まるであたしが誰にでもあんな格好を見せるいやらしい女、みたいな言い方ね。心外だわ。幼馴染のユウだから特別に見せてあげただけなのに」
「そんな気遣い、金輪際無用なんだが……」
「ていうか、ユウさ」
ゲームをポーズ画面にして、藍香さんが視線を向けてくる。
「舞佳のこと今、
「え? ……あ」
虚を衝かれ、言葉が続かなくなる。
昔、三人で遊んでいた頃は『舞佳』と呼んでいた。向こうも俺のことは『ユウ君』と呼んでいた。
だが、今は違う。俺も彼女も、お互いに苗字で呼び合っている。
そんな風に、いつの間にか他人行儀になってしまった俺たちの関係を、藍香さんは知らないのだ。
「さっきユウがいない時、舞佳もユウのこと『鏑谷君』とか言ってたし……あんたたち、いつの間にそんなよそよそしくなっちゃったのよ」
俺が聞きたいくらいだ、と言うのは少しだけ卑怯だろうか。
だって俺は、高校で彼女と再会した時、『舞佳』と呼ぼうとしたのだから。昔のように。
なのに、彼女は俺のことを『鏑谷君』と呼んだ。俺の知らない冷めた声色で。
最初によそよそしくしたのは俺じゃない。彼女の方だ――俺は自然と、芦北さんに視線を送っていた。
「……っ」
案の定、目を逸らされてしまう。
けれど一瞬だけ見えた眼差しは、寂しそうな気配を帯びていた気がした。
「はぁ、なんだか気持ち悪いわね。あんたたちがそんなんだと」
至極不満そうに言うと、藍香さんは「よし!」と決め込んで立ち上がり、
「あんたたち、今日から昔の呼び方に戻しなさい。分かったわね?」
「いや、そんな唐突な……」
「なによユウ。なにか問題でもるわけ?」
「俺は別に、大丈夫だけど」
彼女の方は、どうなのだろう。
俺は下の名前で呼ぶだけだが、高校生にもなって俺を『ユウ君』と呼ぶのは抵抗があるのではないか。
「大丈夫なら早く呼んであげなさい。ほらっ」
「あ、ああ……ええと、舞佳」
すっと、淀みなく声になる彼女の名前。
懐かしさと共に、言い切ったあとの口元が震えているような感覚を自覚した。
――どうしてだろう。昔は、当たり前のように呼んでいたのに。
今になってその名前を口にすることが、とても緊張を伴うことのように思えてくる。
しかしこっちの方が、しっくりくるのは間違いない。
「……~~っ」
俺に名前を呼ばれた舞佳は、耳まで赤くして俯いている。表情は見えないが明らかに照れくさそうで、俺の方まで体温が上がった気がした。
「ほら、今度は舞佳の番よ。昔みたいに呼んであげなさい、『ユウ君』って」
「うぅ……」
姉の手によって無理やり顔を上げさせられた舞佳。やはり面映ゆそうに顔を赤らめ、視線にも落ち着きがない。学校で見せる凜とした気配とのギャップに少しだけドギマギしている俺がいる。見てはいけない部分を覗き見てしまったような気持ちになる。
ただ、こんな風に言うとまた怒られそうだが、こういう表情の方が昔の舞佳らしいような……そんな風にも思った。
「……え、っと……ゆ、ユ……」
ほどなく、舞佳の口からか細い声が零れる。
暗闇の中に落とした大切ななにかを手探りで見出そうとしているような、健気な慎重さを抱えた声。
――まさか、本当に呼んでくれるのだろうか。
昔みたいに、『ユウ君』と。
薄い期待が確かなものになろうとしていた時、――玄関の方から、ドアをノックされる音が聞こえた。
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