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「……鏑谷。おい、鏑谷」

 野太い呼び声でハッとなる。

 顔を上げると、ジャージ姿の早稲田が立っていた。

「どうした? 飯のさなかにうわの空など、鏑谷らしくもない」

 言われて、自分が食事中だったことを思い出す。

 いつものように寮の夕食作りを手伝った俺は、また食堂が空いている時間帯に一人で夕食を取っていた。

 しかし考え事をしていたせいか箸が進まず、いつの間にか部活を終えた寮生たちが何人か食堂に入ってきている。早稲田もその一人だった。

「いや、ちょっと考え事をな」

 手短に誤魔化し、俺は皿に残っていたエリンギの肉巻きを口に運んだ。もうすっかり冷えてしまっている。

「そうか。前の席、失礼するぞ」

 手にしていたお盆を置くと、早稲田は向かいの席に座った。俺よりも上背があるくせに目線がさほど変わらなくなる。長足なんだな、なんてどうでもいいことを考えた。

「ところで鏑谷。つかぬことを訊くのだが」

「なんだよ」

「鏑谷はまさか、風呂上がりなのか?」

 予想外の質問にむせてしまった。すぐにお茶を飲んで呼吸を整える。

「どうした、鏑谷」

「それはこっちの台詞だ。なんでいきなりそんなことを訊く」

「いや、先刻からシャンプーのようなかぐわしい匂いがしていてな……どうも貴様の方からのような気がして、訊ねてみた次第だ」

 そういうことか、と合点がいく。

 そういや厨房にいる時、真幸さんにも似たようなことを言われた。今日は特にいい匂いがするとかなんとか。

 恐らくこのエプロンのせいだろう。クローゼットに仕舞っていたビブエプロンからは確かにいい匂いがしている。ちょっと女性的な、甘い匂いがだ。

 たぶんクローゼットに隠れていた藍香さんのせいだろう。図らずも彼女が密着していたせいで、風呂上がり特有の熱気を含んだ芳香がエプロンに移ってしまったわけだ……なんて馬鹿正直に明かせる話ではない。

「エプロンが洗い立てだからだろ。昨日、柔軟剤を多く入れ過ぎたし、きっとそのせいだ」

「そうか……まあ、鏑谷がこんな時間に風呂になど、入るわけがないか。頓珍漢なことを訊いてすまない」

 無駄に申し訳なさそうな顔をする早稲田。

 ひとまず納得してくれたようで助かった。真幸さんにも同じように誤魔化したが、彼女はあまり腑に落ちていない様子だったし。柔軟剤の匂いなどではないと感づかれていたかもしれない。

 とにかくあの姉妹をなんとかする必要がある。二人ともあの部屋に泊めるなんて、どう考えても不可能だ。見つかれば只事では済まない。

 真幸さんはもちろんだが、特にこの、諸々の事情で女子を毛嫌いしている早稲田に知られたらなんと言って罵られるだろうか。剣道部らしく奇声を上げて襲いかかってくるかもしれない。こんな巨体が奇声を上げて? なんだその奇行種は。想像したくもない。

「む、どうした鏑谷。俺の顔をジッと見つめて」

「え? いや……」

 思わず視線を逸らしてしまう。どう考えても不自然な間になった。

 これではダメだ。平常心だ。もっと自然に振る舞わないと……そう、自然に、アズオールウェイズ的な感じで。

「そうだ鏑谷。今夜に、部屋に行ってもよいか?」

「ダメ! 絶対!」

 まったく自然に断れなかった。バカなのか俺は……。

「そ、そこまで勢いよく断らずとも」

 それ見ろ、早稲田が明らかにショックを受けてやがる。この世の終わりみたいな顔だ。少し大袈裟過ぎる気もするが。

「いや、今の思わずというか、条件反射というか」

「そうか……俺を部屋に入れることは、もはや本能的なレベルで受け付けないことなのか。そのようなことも弁えず、俺はなんて出過ぎた真似を……」

 分かりやすく肩を落とす早稲田。重苦しいBGMでも流れているような悲愴感が漂い始めている。

 鷺沼といる時は分かりにくいが、早稲田は意外と友情を重んじるタイプだ。ゆえに今の俺の言葉にはかなり面食らってしまったらしい。剣道部と言えど面を着けていない状態では相当堪えたということか。バカバカしい。三流の言葉遊びだ。

「安心してくれ。別に、本当に嫌で言ったわけじゃないんだ。だからそんな絶望するな。強く生きてくれ」

「ならば、俺はまた、鏑谷の部屋に行ってもよいのか? これまで通り、何気なしに訪ねてきてもよいのか……?」

「当たり前だ。今日はちょっと、色々とやることがあって忙しいから無理だけど。またそのうちな」

 俺の言葉で、早稲田はようやく気を取り直し、

「安心した。感謝するぞ、心の友よ」

 そう渋い声で言って、夕食を食べ始める。

 なにかどっと疲れた気がしたが、問題はまだ山積したままだ。俺は空になった食器を片づけながら、あの姉妹をどうするか改めて考えることにした。

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