まともに付き合っていたら埒が明かない。話を進めよう。

「それで、そのスーツケースはなんなんだ? 大学サボって旅行にでも行ってきたのか?」

 藍香さんはこの駅から四十分ほどかかる東京の大学まで電車通学している。今日もてっきりその帰りだろうと思っていたが、それにしては荷物が似合わない。

「ちょっと、ユウの目にはあたしが大学サボって旅行に行くような非常識な女に見えるって言うの?」

「非常識というか、藍香さんならそれくらいフリーダムでも驚かないというか」

「あたしをなんだと思ってるのよ。これは大学近くの友達の家にお泊りしようと思って持っていってた荷物よ。一週間くらいは泊まる予定だったから」

 事実も割とフリーダムだった。あえて突っ込むまいが。

「予定だったってことは、結局泊まらなかったのか?」

「一日だけ泊まったわ。でも運悪くその子の彼氏さんが転がり込んできてね……あの子、あたしよりも男を選んだのよ。短い友情とパジャマパーティーだったわ」

「切なげに愚痴ることかよ。大体、彼氏が来たんならむしろ藍香さんの方から出ていくのが本当の友情じゃないか?」

「百も承知よ。だからこうして大人しく帰還して、腹いせにユウを呼びつけてあたしの不幸のお裾分けをしてあげてるんじゃない」

「いらねえよそんな特殊な不幸。いや、どんな不幸もいらないけど」

「やや、そう言わずにほれほれ」

 にやにやと口端を上げ、俺の腕に縋りついてくる。

 本人的には身に溜まった不幸をなすりつけているつもりなのだろうが、俺が感じるのは無駄に官能的な感触だけだ。にしても柔らかい……また大きくなっているんじゃないだろうか。

「今ならお安くしとくよー。なんとぽっきり五千円」

「金取るのかよ。お裾分けじゃねえじゃねえか」

 堪能している場合ではなかった。ていうかこの状況で金の話をしていたらあらぬ誤解を受けそうだ。

 俺はなんとか藍香さんの腕を振りほどき、

「ていうか俺、そんなくだらない理由で呼ばれたのかよ。こう見えても忙しいんだから勘弁してくれ」

「えー? 放課後貴族のくせに?」

「帰宅部の斬新な言い換えだな。ていうか、藍香さんは知ってるだろ、俺が寮の手伝いやってるの。そろそろ戻らないといけない時間なんだよ」

「また夕食作り? ほんと物好きよね、ユウも寮生なのに。昔から人が良過ぎるというか、断らないというか」

 華奢な肩が不思議そうに竦められる。

 断らない、か――厳密には、断れないという方が正しいのだが、どうしてこれほど断るのが苦手な人間になってしまったのか、自分でもよく分からない部分が多い。そもそも性分とはそういうものだろう。理由が判然としている方が珍しい気がする。

 けれど一つだけ、確かな理由があるとすれば。

「――そういう約束だからな。藍香さんとの」

 きっぱりと、俺は言った。

 藍香さんは少しだけきょとんとしていたが、すぐに俺の意図を察し、

「……そういえば、そうだったわね」

 と、嬉しそうに笑っていた。



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