――放課後。夕方と言っても差し支えない時刻の空はまだ薄暮の色合いで、徐々に陽の沈みが遅くなっていることを実感させられる。囁くように吹く夕風は未だ微かな冷たさを抱えているがじきにこれも温むのだろう。高校に入ってから時間が経つのがやけに早くなったような気がする。

 帰宅部の俺にとっての放課後は本来まっすぐ帰路に着くためだけの時間だが、この日ばかりは野暮用を済ませるべく最寄りの駅まで出向いていた。

 田舎とも都会とも言えない微妙な景観の駅だが、それでも夕方の人通りはそれなりで、特に電車通学と思しき中高生の姿が多く見受けられる。当然ながら俺が通う赤見ヶ峰あかみがみね第一高校の生徒も何人かいたが顔見知りはいなかった。俺の友達と言えば大抵は早稲田のような寮生だから、電車通学の生徒とはあまり縁がない。

 ゆえに駅まで赴くこともあまりないが、理由があるとすれば今回のような野暮用のためだ。

 今日はまず待ち合わせている人物を捜すことからだったがそれには苦労しなかった。なにせその人物は生徒ではないからわざわざ見つけようと苦心するまでもない。駅舎の前に私服姿で佇んでいるだけで自然と目立っている。

 格好自体は取り分け派手なわけでもない。七分袖のカットソーにワインレッドのフレアスカートというシンプルな組み合わせだが、ブラウン系に染められたセミロングの髪や大人びたスタイルなどと合わさることで垢抜けた雰囲気を醸している。そのままファッション雑誌の撮影が始まってもおかしくないほど洗練された佇まいだ。

 それが制服姿の多い駅前にぽつんと独りでいるのだから、もはや目立つ目立たないという次元の話ではない。駅を行き来する人間のほとんどが一度は視線を吸い寄せられている。男であれば特に目を奪われることだろう。

 それほどの衆目を集める彼女に近づくのは正直言って気恥ずかしく、いっそ気づかなかったふりをして踵を返そうかとも思った――が、時すでに遅く、

「あ、ユウ! こっちこっちー!」

 目が合うや、満面の笑みで手を振られてしまった。先ほどまでのエレガントな雰囲気はどこへやら、見目よい容貌に浮かんだ笑みには人懐っこいあどけなさが表れている。優雅な外見に鑑みるとやや不釣り合いかもしれないが、彼女のことを昔からよく知る俺からすれば、ああいう表情の方が彼女らしくて安心できるところもあった。

 とは言ったものの、衆人環視がある中でこんな風に呼びつけられるのはやはり照れくさい。おまけに大声を出して手まで振っているせいで余計に目立っている。

 退路を断たれ呆然と立ち尽くした俺を見兼ねてか、手を振っていた彼女――上見坂かみさか藍香はむっとした表情になり、傍らに置いていた真っ赤なスーツケースを持ってこちらまで歩いてくる。

「ちょっと、なにカカシみたいに突っ立ってるのよ。返事くらいしたらどうなの?」

 問い詰めながら、大きな胸が当たるほどの距離感で迫ってくる藍香さん。薄手のカットソーのためか柔らかさがダイレクトに伝ってきて、思わず後ずさりした。

「ちょ、藍香さん、近いって」

「ユウが中々来ないのが悪いんでしょ。なんで返事もしないでぼおっと立ってたのよ」

「そりゃあ、藍香さん目立つし。近寄りがたかったというか」

「なによそれ、男らしくないわね。あたし、ユウを待ってる間に五人くらいの男からナンパされたんだけど、その人たちの方が遥かに勇敢と言えるわ。もちろん全部無視したけど」

「その論理なら、俺が声かけても無視されるってことにならないか?」

「なに言ってるのよ、あたしはユウを待ってたんだから。無視するなんてありえないし、むしろ『藍香お姉ちゃん!』って駆け寄ってきたら二十年ぶりに感動の再会を果たした姉弟のように抱き締め合う想定までしていたわ」

「そんな呼び方したことねえだろ……」

 ていうか二十年ぶりって。藍香さん自体ようやく今年で二十歳の大学生なのに。色々と矛盾が過ぎる。姉弟じゃなくて幼馴染だし。

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