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例によって反応に困っていると、鷺沼がなぜか憐れむような目を早稲田に向けていた。
「お前なぁ、いくら自分がモテないからって、鏑谷をそっち系の道に引きずり込もうとすんのは……」
「な、なにがそっち系だ! 断じて違う! 決してそういう
「はん、どうだかな……ま、何事だって疑問は俺もちょうど突きつけてたとこだけどな」
鷺沼の視線がぎろりと俺に向く。
「危うく煙に巻かれかけたがそうは問屋が卸さねんだわ。そろそろわけを話してもらおうじゃねえか」
「なんのことだ」
「獅子手のことだよ。鏑谷だって獅子手に気があるから頼み事引き受けてんだろ? 下心あってのことなんだろ?」
「なに? それは真か?」
鷺沼の言葉を鵜呑みにした早稲田まで問い詰めてくる。
面倒なことになった。こいつらはどうしてこうも単細胞なんだ。人の気持ちを勝手に決めつけないでほしい。
「気があるとかないとか、そういうことじゃなくて、ただ上手く断り切れなかっただけだ」
「だから獅子手に気があるから断れなかったんだろ? 頼み事を引き受けて株を上げようって心理が働いたわけだろ?」
「全然違う。上手く説明できないけど、そういう性分なんだよ、俺は」
あらぬ誤解を受けぬようきっぱりと答えたものの、実際には性分なんて曖昧な言葉だけでは片づけられない理由があった。しかしそれを事細かに語るのは面倒だから省いたまでだ。
それに本当は――俺自身もよく分かっていないのだから。
どうしてここまで、誰かからの頼み事を断り切れない人間になってしまったのかなんて。
「そんな見え透いた言い逃れが通用するほどこの鷺沼里琉は単純じゃねえぜ? 白状しちまえよ鏑谷、てめえの本心って奴を」
「そうだぞ鏑谷。邪念があるならば俺が叩き切ってくれる。大船に乗った気持ちで吐き出すのだ」
半ば予想通りの反応にほとほと困り果てる。なにが大船に乗った気持ちでだ。早稲田のような巨躯に叩き切られては吐いてはいけないものまで吐きかねない。
今この瞬間にも担任がドアを開けて入ってこないかと待ち望んでいた俺だったが、救いの手は思わぬ方向から差し伸べられた。
「ねー、カブちーん。ちょっといーい?」
教室の隅にいたはずの獅子手さんがいつの間にか隣の席に座っていた。実際にそこが彼女の席であるため、正確には戻ってきたという方が正しいが。
「今日の英IIさー、あたし当てられるっぽいんだよねー。どう訳すか教えてくんない?」
「あ、ああ。別にいいけど」
「いぇーい。やったぁ」
反射的に承諾した俺に対し、嬉しそうに教科書を取り出し始める獅子手さん。
一方、先ほどまで威勢のよかった鷺沼と早稲田はいつの間にか俺の席から距離を置き、明後日の方角を仰ぎ見ている。まるで蛇に睨まれた蛙……いや、実際には睨まれてすらいないから、ライオンの縄張りから遠ざかる草食動物と言ったところか。
いずれにせよ面倒な追及から逃れることはできたが、状況が完全に好転したかと言えばそうでもなかった――なにせ彼女がこんな風に向けてくる甘い声は、決まって俺に面倒事を押しつけてくる際のシグナルでもあるのだから。
「ていうかさーカブちん、どうせなら代わりに全部訳してくんない?」
「は? 全部?」
「今日は特にやる気が湧かない日なんだよねー。眠いっていうか、だるいっていうかさぁ」
「いや、でも、さすがに全部は。いつもみたいに少し手伝うくらいなら」
「えー? 今からそんな頑張ってたら授業まで体力持たないかもじゃん?」
「そんなきついんだったら保健室にでも行った方が……」
「だからさぁ、そーゆーことじゃなくってさぁ」
おもむろに腰を上げると、獅子手さんは俺の席に突っ伏すように体を乗り出してくる。それからわざとらしい上目遣いで俺を見上げ、
「ね、たまにはよくない? 今はしっかり休んで、授業ではちゃんと起きてるからさぁ」
と、猫撫で声を駆使して頼んでくる。大きな瞳は弱々しい気配を纏っていて確かに気怠そうだったが、微かに持ち上げられた口端には小悪魔な笑みが薄っすら表れていた。
……鷺沼はいつも滅茶苦茶なことばかり言う奴だが、獅子手さんが魅力的という点には確かに同意せざるをえない。たとえそれが男を都合よく動かすための計算めいた魔性だと分かっていても、こんな風に見つめられれば男なら大抵のことは許してしまいそうになるだろう。
結果的に俺は彼女の言いなりになってしまっているから、鷺沼からあんな疑いをかけられるのも仕方がないようにも思えてくる。
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