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二年に進級して二週間ほどが経った朝の教室。クラス替えによって一時的な膠着状態にあった人間関係は春特有の麗らかな陽気と時間の流れによって緩やかに融解し、ほとんどの生徒はそれぞれ気の合う者同士、あるいは各々の立ち位置を見出している。
その傾向は俺が在籍する二年A組でも例外ではなかった。もうすぐ担任が来てホームルームも始まる時刻だが、生徒の多くは未だ楽しげにさんざめき、各自小規模なグループに分かれて歓談に勤しんでいる。
そんな中、俺はせっせと縫いものに勤しんでいた。
「……よし」
余った糸をパチンとハサミで切り落とす。
取れかけた体操服のゼッケンを縫いつけるだけの簡単な作業だったが、前よりも無駄なくスムーズにできた気がする。縫い目も綺麗で目立たないし、それでいてこれだけきっちり縫っておけばそう簡単には取れないだろう。裁縫の腕前も板についてきたなと思わず自賛してしまいそうになる。
……まあ、別に上達したいわけではなかったんだが。
そもそも、この体操服は俺のものじゃない。本当は俺が手直しする道理なんてなかったんだ――でも仕方ないじゃないか。
例によって俺は、断れなかったのだから。
綺麗に畳んだ体操服を持って席を立った俺は、決して軽くはない足取りで教室の隅にたむろしている女子グループのもとへ向かった。
「
「え、マジ? もう終わったん?」
グループの中心にいた女子――獅子手
芸能人ばりにばっちりメイクされた大きな瞳で、ただ目が合っただけなのに捕捉されたような気持ちにさせられる。
「ああ……ほら」
おずおずと件の成果物を手渡す。
さっきまで縫っていた、獅子手さんの体操服だ。
「なに渚央、またカブちんに頼ってたの?」
「ウケる。毎日なにかしら頼んでない?」
周囲の女子たちにからかわれると、獅子手さんは「しょーがないじゃん」と一笑に付し、
「カブちんに言ったら、すぐ直せるって言うからさ。ねーカブちん?」
「まあ、それくらいなら全然」
「ほーら、カブちん超優しいからさー」
「ま、渚央にねだられたら断れないよねー。特に男子はねー」
「いや、カブちんってマジ優しいし、渚央以外の頼みでも基本断らなくない?」
用済みの俺を置いてけぼりにして話が展開され始めている。
しれっとフェードアウトするように自分の席に戻った俺は、一息をつく間もなく「鏑谷」と声をかけられ、
「前々からお前に訊こうと思ってたんだが……」
などと無駄に神妙な面持ちで現れたのは
「どうしたんだ、鷺沼」
「どうしたんだじゃねえよ馬鹿野郎! なんでお前ばっかりいつもそうなんだよ!」
……なにがなんだか分からなかった。
「なんだ藪から棒に。まだ鷺沼のツーブロックを馬鹿にした覚えはないぞ」
「まだってなんだよ! いつか馬鹿にする気だったのかよ!」
「そういう世界線もあったかもしれない」
「そりゃ選べなくて残念だったな! 運命の人は俺じゃねえってことだよ!」
「当たり前だろ……朝っぱらから気色悪いこと言わないでくれ……訴えるぞ……」
「てめえから振っといてドン引きしてんじゃねえよ! てかなんでその程度のことで訴えらんなきゃいけねえんだよ! どんな罪状なんだよ!」
「騒音とセクハラ。足して死刑だ」
「ぶっちぎってんなぁ日本の司法! てかそんなことはどうでもいんだよ!」
相変わらず常にハイテンションだ。さすがはツーブロック。因果関係は不明だが。
「じゃあ、鷺沼はなにをそんなに怒ってんだよ」
「別に怒ってねえよ。軽くキレただけだ」
「それはどう違うんだ」
「マクロとミクロの視点から言い換えただけだ」
「いや言い換えんなよ。というかどういう意味なんだそれ」
「んなこたどうでもいいんだよ! 俺が訊きたいのは、なんでお前はあの獅子手渚央からあんなに頼られてんだってことだ!」
「獅子手さん?」
まさかそんなことを訊かれるとは思っていなかったが、少なくとも鷺沼の目には不思議に映ったのだろう。にしたってこんな問い詰めるほどのことでもないと思うが。
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