第15話 コンクール1
軽井沢から戻った翌日。
私はスマホでSNSをチェックする。
合宿中は勉強に集中していたから、SNSを閲覧するのはひさしぶりだ。
知りたいことはただ一つ。
全国コンクールの速報。
どちらも、好成績で予選を通過しているが、二人はどんなダンスを踊ったのか。本選では、光里はディアナを、鈴音はキトリを踊る。
バレエ学校の再開を控え、私の調子は今一つだった。
ストレッチと基礎練は、勉強の合間にやっていたのに、体が思うように動かない。
一日レッスンを休むと自分に分かります。
二日レッスンを休むと先生に分かります。
三日レッスンを休むとお客様に分かります。
バレエを知らない人でも、一度は耳にする有名な言葉だ。
言葉の意味を身をもって知ることになるなんて。
早くペースを取り戻さなくてはと思う。
全国コンクール当日。午後二時三十分。
私は、開催会場の最寄り駅に到着した。
午後三時から始まる、高校生・シニアの部門を観覧するためだ。
同行する咲良と改札口で待ち合わせている。
「沙羅!」
改札口の向こうで咲良が手を振っている。
「ごめんっ! 待った?」
「大丈夫! 今来たところ」
会場に向かい歩き始める。
バレエ学校の夏休みは二週間だが、その間、コンクールの出場者達は特別レッスンを受講していた。私が軽井沢で休暇を満喫している間、光里や鈴音は練習に邁進していたのだ。二週間の休暇で
私には、勉強の遅れを取り戻す必要があった。そうしなければ、バレエを続けることさえ危うかったのだ。あの時間は決して無駄にはならない。貴重な経験だったのだと、自分自身に言い聞かせる。
「沙羅、夏休みは楽しめた?」
「わかる?」
「もちろん! 薄っすら焼けてるもの。どこか行ったんでしょ?」
「う、うん。軽井沢に……目立つかな? 日焼け」
「平気! 平気! その程度ならすぐに元にもどるってば! 気にし過ぎ!」
あらためて咲良を見ると、肌が小麦色に染まっている。
「両親が揃って休みが取れんだ。で、三人で南仏に行ってきた! もう、サイッコー! 遊ぶときは徹底的に遊ぶ! どうせ、新学期になれば、バレエと勉強に追われるんだから」
潔く割り切る咲良に、目からうろこが落ちるようだ。
こういう性格だから、学業とバレエを両立出来るのだろう。
「楽しかったみたいね? 軽井沢?」
「う、うん……すっごく楽しかった!!」
気持ちを言葉にすると、迷いが消えていくから不思議だ。
会場は駅から歩いて五分の場所にあった。
窓口で当日券を購入すると、入り口でパンフレットを渡された。
「……光里が三十番……鈴音はその三番後ね……」
光里はディアナを踊る。
ディアナとアクティオンはギリシャ神話を題材にしたパ・ド・ドゥだ。
エスメラルダの二幕のディヴェルティメントとして挿入されている。
ディヴェルティメントとは、フランス語で余興と言う意味だ。
物語の本筋とは少し離れて、楽しいダンスが続く場面だ。
神話では、ディアナの水浴をアクティオンが覗き見した罰に、鹿に変身させられてしまうが、バレエでは二人が仲良く踊るという物語に変えられている。
ディアナは、しばしば弓を携えた姿で描かる、勇ましい女神様なのだ。弓を手に獲物を射る仕草、脚を高く上げてのポーズ、回転に大きなジャンプ。難易度が高いが、見どころ満載のヴァリアシオンだ。ダイナミックな振り付けが特徴で、光里にぴったりだと思う。
「鈴音はキトリか……」
キトリはドン・キホーテの主役の名前だ。
明るい娘で町一番の人気者。床屋のバジルとの結婚を反対されて、駆け落ちしてしまう。お転婆で情熱的なのだ。
ドン・キホーテはスペインを舞台とした物語で、華やかで楽しい作品として知られている。
だが……。
鈴音には、もっと可愛らしい役が相応しいと思う。
「何? 疑問があるみたいね?」
見透かしたように咲良が私に問いかけてきた。
「……あ、別に……でも……」
「もっと鈴音に合った役があった思う?」
「う……うん……」
言い当てられて口ごもる。
申し訳ないけど、これが私の本音だ。
同じ娘役ならば、ジゼルとかスワニルダ、可憐さならばオーロラ姫もいいだろう。
「沙羅は、ジゼルで鈴音の村娘を見てるものね? 気持ちはわかる。でも、彼女は凄く考える子なの……私達よりもずっと……」
咲良が真剣な表情を見せる。
咲良は、私よりも長く鈴音と関わり、知っている。
それが彼女の興味をそそるようだ。
鈴音はどんなダンスを踊るのかと。
「さあ、行こう! はじまるよ」
私達が着席したのは、高校生・シニアの部の始まる直前たった。
出場者達が、次々と自慢のダンスを披露していく。
オーロラ姫、スワニルダ、黒鳥、ガムザッティ……。
白峰バレエコンクールよりも、レベルが格段に上だった。基礎を身に付けていること、自分の個性に合った踊りを選んでいることは当然で、勝つことを目指し、高度なテクニックに挑んでいるのだ。
「次は光里……」
息を殺して光里の登場を待つ私。
光里は、勇ましい女神に相応しく、颯爽とした足さばきで、舞台中央へと歩み出た。ギリシャ風の短いスカートのような衣装。手には弓。鮮やかな緋色が光里によく似合っていた。
そして、音楽と共に、アラベスク、パンシェでポーズ。
スピード感のある展開に、冒頭から目を奪われる。
光里は一つ一つのポーズのキレがよく、印象的だった。
のびやかに踊りながらも、メリハリのある動き。ジャンプは高く、スケールの大きさを感じさせた。
イタリアンフェッテ。
ク・ドゥ・ピエから横に高く足を上げ、その足をアティチュードにしながら回るターンだ。バランスを保つことが難しくて、無理に回るとポーズが崩れてしまう。
(あっ! ぐらついた!)
私は咄嗟に、汗ばんだ手を握りしめる。
だが、危ぶんだのは一瞬のことで、光里はあっという間に体制を取り戻した。
光里のダンスは勢い任せのところがあり、不安定さが否めない。
だが、ポーズは潔く端麗で、動きはダイナミックで歯切れ良い。
光里には、欠点を補っても余りある魅力があった。
バランスを保ちつつ、ターンを繰り返す。
アティチュードの美しさも申し分ない。
コンクールであることを忘れ、つい拍手をしたくなる。
ディアナは月の女神で、弓を手にした戦いの女神でもある。潔癖な気性で、水浴を覗き見したアクティオンを鹿に変えてしまうのだ。貞節、処女性の象徴であり、中性的なイメージで知られている。
光里が膝をつき、獲物を狙って弓を弾く仕草をする。
「すごっ……矢が当たったのが見えた!?」
興奮を抑え咲良が低く呟いた。
「うん! 見えた!」
光里の演技に気持ちが高まっていく。
ひいき目抜きでも、光里のディアナは他の出場者の追随を許さないものがあった。
最後に、大きく弓を射るポーズで、ディアナのヴァリアシオンは終わった。
※アラベスク
軸脚で立ち、もう片方の脚を後ろに上げて伸ばすポーズです。
※パンシェ
アラベスクのまま、脚を上げながら上体を前傾させるポーズです。
※ク・ドゥ・ピエ。
軸足の足首に、もう片方の足のつま先を付けて立つポーズです。
※アティチュード
片方の脚を軸にして立ち、もう一方の脚は膝を約90度に曲げて持ち上げるポーズです。持ち上げる脚の位置は、体の前、後ろとそれぞれありますが、今回は後ろです。
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