第13話 鳥の声
合宿六日目。
一週間の振り返りと、今後のアドバイスを受ける。
結翔は私と紬にプリントの入った紙袋を手渡した。
「問題集だ。一日分ずつ分けてあるから、ノルマは毎日こなすこと。質問はメッセージを送ってくれれば、空き時間に返信する……家に戻っても気を抜かないで頑張るんだぞ?」
「ありがとうございます!」
声を揃えて私と紬。
結翔のフォローは万全で、無期限のアフターケア付きだった。
勉強は午前中で切り上げ、昼食後の自由時間の後、夕食の準備に取り掛かる。
今夜はホットプレートで焼き肉パーティーに決まった。
準備と言っても、肉をたれに漬けたり、カット野菜を用意するだけだから簡単だ。
「あのね。紬ちゃん? 結翔さんは二十歳を過ぎてる?」
昨晩、管理人から必要ならアルコールを届けると申し出があった。
最後の夜だし、結翔が望むなら用意すべきだろう。
「あ……えっと? 確か、まだです。お誕生日は冬だったと思います」
首を捻りつつ紬が言った。
「義理とはいえ、家族なのに私も知りませんでした。聞いておきますね?」
「ありがとう! 私も知りたかったの」
知り合ってから一年以上経つのに、誕生日を知らなかったなんて。
管理人からの申し出がなければ、このままだったかもしれない。
私のサマースクール参加やバレエ公演、結翔の巡礼や受験。
すれ違いばかりで機会を逃し続けていたが、今度こそ祝ってあげたい。
「あ、そう言えば、沙羅さんのお誕生日も知りませんでした……お聞きしても?」
「え? 私の? いけない! 私も教えてなかった……三月四日なの」
「本当ですか!? 私と一日違いです! 今度一緒にお祝いしましょう!」
「賛成!」
誕生日が近いなんて。
やはり紬とは縁があると思う。
「お食事の手間が省ける分、飲み物を一工夫したいな……そうだ! フルーツポンチはどう?」
「いいですね! 甘くて美味しいですよね!」
「グレナデンシロップが必要なんだけど、管理さんにお願い出来るかな……」
グレナデンシロップは柘榴の果汁と砂糖でできた、赤いノンアルコールのシロップだ。これでフルーツポンチを作ると、赤く染まって見栄えが良いし、柘榴の風味で味に深みが加わる。管理人に電話をすると、すぐに届けてくれた。
オレンジ、レモン、パイナップルのジュースをボウルに入れ、グレナデンシロップを数滴たらす。そこに缶詰のミックスフルーツを投入すれば完成だ。
ボウルから果実の甘酸っぱい香りがする。
シャンパングラスに注げば、見た目も奇麗で素敵だ。
テーブルでは結翔が待ちかねていて、用意した食材をホットプレートに乗せていく。
肉や野菜の焼き加減を見守りながら、食べては、焼くを繰り返した。
会話は途切れることなく、合宿の思い出話に花が咲く。
食後は自室へ戻り、紬と語り合った。
「あ~楽しかった! あっという間でしたね? 合宿!」
「本当に!」
一週間前、上野駅のホームで待ち合わせたことが、遠い昔のような気がする。
「明日は東京ですね? 楽しかった~! 沙羅さんや結翔さんと一緒に過ごせて……」
ややしんみりとした口調で紬が呟いた。
「……あ、ごめんなさい。お二人とも忙しいんですよね……」
私は放課後にはバレエ学校へと直行し、結翔も大学とバイトで多忙なために、紬と過ごす時間が減っていたのだ。
「あ、あの……気にしないでください。私は二人が一生懸命なのが嬉しいんです!」
「紬ちゃん。夏休みが終われば毎日会えるから! ……ね?」
「はい!」
互いに顔を見合わせ微笑み合う。
軽井沢最後の夜が終わろうとしていた。
その翌日。早朝。
私は鳥の声で目覚めた。
室内はまだ薄暗く、隣を見ると紬はまだ、ぐっすりと眠っていた。
夕べは遅くまで喋っていたから、疲れているのだろう。
彼女を起こさないように、身支度をして廊下に出た。
鳥の声が、短く、長く、交互に重なり響いている。
まるで
囀りに導かれ、階段を降りて玄関の扉を開ける。
空が仄かに明るい。
夜明けがすぐそばに来ているのだ。
テラスで深呼吸をすると、新鮮な空気が肺を満たしていく。
高原の朝を堪能しながら見渡すと、既に先客がいたことに気づいた。
「……結翔さん……?」
結翔は振り返ると笑顔を見せた。
「沙羅ちゃん? 早いな」
「結翔さんこそ……」
「うん。目が覚めちゃって……散歩でもしない?」
「はい……」
「でも、その恰好じゃ冷える」
そう言って、結翔は自分のパーカーを私に羽織らせた。
「そんな! 結翔さんだって寒いですよ!」
「俺は平気! 慣れてるんだ」
結翔のパーカーにすっぽりと包まれ、遊歩道を歩き始める。
木々の向こうから、小川のせせらぎが聞こえてくる。
しばらく歩いていると、昨日結婚式のあったホテルがすぐそばにあった。
私は、あの時の胸の高鳴りを思い出す。
「昨日ここで結婚式があった……」
「……はい、幸せそうでした……」
新郎新婦はここで愛を誓い合ったのだ
ホテルを通り過ぎ、私達は歩き続けた。
その間、結翔は黙ったままだった。
静けさを破ってはいけない気がして、私はそのまま歩を進めた。
「あのさ、俺はこのままでいいと思っていた……いや、駄目なのは分かっていた。でも、色々とあった所為で自信が持てなくて……甘えていたんだ。沙羅ちゃんに……」
「……」。
「だから、自分の気持ちを言葉にしてこなかった……でも……」
結翔は立ち止まると、私を正面から見た。
「結翔さん?」
彼は私に大切な話をしようとしている。
でも、何を?
「沙羅ちゃん。俺とお付き合いをしてください!」
そう言って、再び黙り込んでしまった。
そう。私と結翔は、いつも一緒で、人から見れば付き合っているように見えたことだろう。
だが、言葉にして気持ちを告げられるのは、これが初めてだった。
“お付き合いをしてください”
私と結翔が特別な関係になるということ。
他の誰とも異なる繋がりを持つということなのだ。
――恋人になるということ。
私は結翔と一緒にいると楽しかった。
スペイン語を習い、江ノ島へ行き、プレゼントを交換した。
こうして軽井沢にまで来た。
それだけで幸せだと感じていた。
十分だと思っていた。
気持ちが通じ合っていると、信じて疑わなかった。
でも……。
言葉にされることがこんなに嬉しいなんて。
^
頬が熱を帯び、耳元まで伝わっていく。
だが、心は静かだった。
この日が来ることを、自分でも知らずに信じていたのだ。
だから、何の抵抗もなく受け入れることが出来た。
「はい!」
返事は最高の笑顔で。
待ちに待った日が来たのだから。
「よかった! 少し不安だったんだ。本当は、ずっと先まで約束したいけど、今はこれが精いっぱい……」
「……結翔さん……」
「そろそろ戻ろう。帰り支度をしないと」
差し出された腕に自分の腕を絡ませる。
私達は腕を組んで、別荘への道を歩くのだった。
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