第12話 思い出
飲み物を待つ間、私は店内を見回した。
洗練された内装と、歴史を感じさせる調度品。
落ち着いた雰囲気に結翔はすっかり馴染んでいた。
丁重なもてなしをごく自然に受け、臆することがない。
angeの改装のために、高級家具店を回った時も結翔は全く動じなかった。
彼の育ちの良さを改めて知らされる。
結翔はこういった場に慣れるから自然体でいられるのだ。
だが、彼の振る舞いからは、もっと奥深い心情、愛着のようなものが感じられた。
「結翔さん? ここへ来たことがあるんですか?」
きっと彼は、このホテルを何度も訪れているに違いない。
懐かしむような眼差しがそれを物語っている。
「ああ、別荘に近いだろ? 食事やお茶に利用するんだ。宿泊したこともある。母がここを気に入っていたんだ」
「お母様が?」
「そう。母はこのホテルに来ると、いつも楽しそうだった……高原の空気が合っていたのかな? 夏は父の仕事が落ち着くし、母の体調も一時的に回復した……それで、夏は毎年軽井沢で過ごしたんだ……」
結翔が窓外に目をやる。
野に咲く花を模した庭の草木。
自然と調和した、伝統と格式を誇るホテル。
きっと、彼はこの場所に沢山の思い出があるのだ。
「あ、ごめん……こんな昔の話……」
「そんなことありません! もっと……もっと聞きたいです! 結翔さんの子供の頃の話」
「そか? じゃあ……そうだな……アゲハ蝶の話でもするか? あれは小学一年生の時だ。アゲハの幼虫を捕まえて室内で飼育したんだ。東京では見たことがなかったから興奮したよ! 蛹から成虫に羽化する姿を見届けようとした。でも、母に見つかってしまった。もの凄い悲鳴を上げてさ。建物が壊れるんじゃないかって思うくらい。さんざんお小言を食らった。で、俺は泣く泣く野に放ったってわけ! ……あれ? どうした? 沙羅ちゃん?」
「あ、あの……」
結翔は熱弁を振るうが、私はドン引きだ。
まさか虫の話をするなんて。
幼虫の姿が目に浮かぶと、背筋がぞわぞわとして寒気がする。
「鳥肌が立ってるぞ?」
「……あ、あの……ごめんなさい……虫は苦手なの……」
「そっか、無神経だった。ごめん。調子にのっちゃった……」
結翔は詫びると、そのまま俯いてしまった。
「そっ、そんなに気にしなくても……ね?」
結翔がせっかく子供時代の話をしてくれたのに。
私は彼を傷つけてしまったのだろうか。
申し訳ない気持ちで見ると、結翔の肩が小刻みに震えだした。
「結翔さん?」
なんだか様子が変だ。
もしかして……。
私の勘は的中した。
結翔はすまないと詫びながらも、必死に笑いを堪えているのだ。
「……結翔さん?」
咎める声が低く店内に響く。
咄嗟に周囲を見渡すが、それに気づく者はいないようだった。
ほっと安堵するが、話はまだ終わっていない。
「結翔さん!」
声をひそめてもう一度。
自分がこんなに怖がっているのに、その態度はあんまりではないか。
「ははは……ごめん!」
堪えきれなくなった結翔は、とうとう笑いだしてしまった。
何が可笑しいのか、さっぱり分からず、もやもやだけが心に残る。
「すまない……沙羅ちゃんの顔が……つい……」
「……か、顔ですか? 私の?」
私の顔がどうしたというのか。
ふっ、ふみゅー!!
わかってしまった。
結翔が笑い転げる理由が。
自分は知らずに変顔を晒してしまったのだ。
「そっ、そんなに笑わなくたって……」
恥ずかしさ倍増で、穴があったら入りたいくらい。
「ごめん……機嫌直してくれ! な?」
「知りません!」
私は結翔をジト目で見る。
(デリカシー無さ過ぎ! 少し反省させないと!)
全部結翔のせいだ。
彼が虫の話さえしなければ、怖がったり、恥ずかしい思いをすることはなかったのに。
……でも、子供の頃の話をしてくれた。
飾らない結翔に心がほわりとする。
「あ、あの……許してあげます……今度は楽しいお話にしてくださいね?」
「やった! じゃあ、このホテルで両親と天体観測をした話でいいかな?」
「わっ! 聞きたい!」
脱線はしたものの、素敵な雨宿りになりそうだ。
結翔の話を聞こうと身を乗り出したとき、外を伺うウエイトレスと目が合った。彼女は私の視線に気づくと、恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「失礼いたしました。雨が気がかりで、つい……お式がもうすぐ終わるんです」
「お式?」
「はい、結婚式です。あそこから新郎新婦が出てきます。雨が止んで安心しました」
と、敷地内のチャペルを指さした。
「雨天用のプランもございますが、お庭が綺麗ですから、お天気の方が絶対いいんです」
窓の外を見ると、雨は止んで薄日が差していた。
すぐに青空が見られるだろう。
「あ、あの……見に行ってもいいですか? 遠くからでいいんです。邪魔にならないように気をつけますから……」
「もちろんです! どうか祝福してあげてください。あちらの扉からお庭に出られます」
「わぁ! ありがとうございます!」
ウエイトレスに礼をすると、すぐさま結翔の手を取った。
「行きましょう! 結翔さん!」
「おっ、おぉ? 沙羅ちゃんがそうしたいんなら……」
庭に出ると、参列者から少し離れた木陰の下に、結翔と二人並び立つ。
ここからならば、式に障りなく新郎新婦が見られそうだ。
チャペルの扉が開くと、ウエディングドレスの花嫁が、ヴェールを引きながら歩み出てきた。
純白のドレスに輝く微笑み。
愛する人と結ばれる人生で一番幸福な日。
神の前で愛を誓った二人。誰よりも幸せな八月の花嫁。
夫となった人に手を引かれる喜びは、どれほどのものだろう。
参列者達が、花びらを若い二人に向かって投げかける。
フラワーシャワーだ。
薔薇にラヴェンダー、マーガレット
ピンク、紫、白に黄色。
裾を引くヴェールに花弁の紋様が零れては流れる。
「……綺麗ですね……花嫁さん……」
「うん……」
私もいつか……。
そう思うと、頬がほんのり熱を帯びる。
いつか自分にもこんな日が訪れるのだろうか。
愛する人と結ばれる日が来るのか。
そして、相手は……。
「結翔さん……」
結翔の手に指を絡ませると、彼は優しく握り返してくれた。
見上げると、優しい眼差しと目が合う。
「……」
きっと、彼も私と同じ気持ちなのだ。
言葉なんていらない。
結翔が私を見て、私も彼を見る。
こんな風に過ごしていきたい。
新郎新婦が参列者の元へと去っていく。
私は結翔と共に、その後姿を見送るのだった。
別荘では、夕食の支度を終えた紬に迎えられる。
彼女は私達の姿を見ると、ほのぼのとした笑顔を浮かべた。
「おかえりなさい! 軽井沢を満喫されたようですね? よかったです! 中軽井沢で美味しそうなデザートを買ってきました。食後にいただきましょう」
そう言って、紬は棚からガラス皿を取り出すのだった。
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