第11話 散策
合宿五日目の朝。
待ちに待ったお出かけの日。
気持ちが高ぶったせいか、アラームが鳴る前に目が覚めてしまった。
紬と決めた起床時刻より前なので、物音を立てないように身支度を始める。
だが、紬のベッドは既にもぬけの殻だった。
ドレッサーに手紙があり、
“母に頼まれたお菓子を中軽井沢に買いに行きます”
と、あった。
置手紙など、古風なことをするものだと、半ば感心してしまう。
台所の冷蔵庫を覗くと、鮭の切り身が二つ並んであった。
昨晩、解凍したのは紬だった。
和食にするからと、パンの配達も断っていた。
鮭が二切れということは、その時にはすでに、一人で出かけるつもりだったのだ。
(中軽井沢に行きたいなら言ってくれればよかったのに……)
だが、今更やきもきしても始まらない。
研いだ米に、計量カップで水を注ぎ浸水させる。
夏場ならば三十分程度でいい。
その間にグリルに鮭をいれ点火する。
鮭が焼ける間に玉子焼きを作った。
この二品に、豆腐となめこの味噌汁、焼き海苔を添える。
「おっ! いい匂い! あれ? 紬は?」
奥の部屋から結翔が現れ、私は置手紙の話をする。
「なんだ~言ってくれれば一緒に行ったのに……」
結翔も私と同じ発想だった。
“沙羅さんと結翔さんの二人の時間は確保しますから”
(まっ、まさか!)
紬の言葉を思い出し、急に頬が熱を帯びる。
「どうした? 沙羅ちゃん。顔が赤いけど?」
「あ……ううん……グリルの火加減見てたから……」
まったく!
紬の気遣いは大げさ過ぎる。
二人きりだからと言って、何が起こるというわけでもないのに。
「鮭か……旨そう! 玉子焼きに海苔に味噌汁? 旅館の朝食みたいだ!」
「そっ、そうですか?……あはは……」
紬の企みは口にしない方がいいだろう。
言葉にすると恥ずかしいし、結翔だって気まずいはずだ。
「旨いな~味噌汁!」
食卓を二人きりで囲む。
何も知らない結翔はご満悦だ。
鮭と玉子焼きを交互に口に運び、合間に海苔で巻いた白米を食べている。
彼の姿を見ていると、何とも幸せな気持ちになってくる。
結翔は食事に夢中になっていて、いつの間にか、頬に米粒が付いていた。
それが微笑ましくて、私は小さく笑う。
「おい? どうした?」
結翔がきょとんとして私を見る。
「あの……ついてますよ? お米……ほっぺたに……」
「え? やだな……早く言えよ!」
慌てて顔を手でまさぐるも、米粒は頬に付いたまま。
「……子供みたい……」
笑いを堪えて、指でとりのぞく私。
「ほら!」
「……ったく! 変なことで喜ぶんだな?」
恥ずかしそうな顔を見ると、笑いを堪えるのに必死だ。
「そうだ。沙羅ちゃんはどこか行きたいところはある?」
そうだった。
今日は、軽井沢に来て初めての外出だ。
「あ、いえ、私は詳しくなくて……その……のんびり回りたいかな?」
「そうか。その方が雰囲気を満喫できるか。そうだな……まずは
「お任せします!」
朝食を終えると、私は自室で身支度を始める。
ハンガーには、舞花と一緒に買ったワンピースがかかっていた。
“明日こそこれを着ましょう!”
目を輝かせていた紬を思い出す。
ワンピースを着て、編んで束ねた髪をアップする。
後頭部を鏡に映して、入念なチェック繰り返した。
日焼け止めをまんべんなく塗り、アームカバーに腕を通す。
カーディガンを羽織り、籠バックを肩に掛ける。
日傘を持てば準備は万端。
日焼け対策もばっちりだ。
階段を降りると、待ちかねたように結翔が立っていた。
彼は私を見ると、目をぱちくりとさせた後、黙り込んでしまった。
「お待たせしました……あの、どうかしました?」
「う……うん……」
何故か口ごもる結翔。
「……その服初めて見た。いつもと雰囲気が違う……」
「どんな風に?」
「う……ん」
欲しい言葉は期待出来そうもない。
褒めてほしい。
奇麗だと言ってほしい。
結翔は社交的で人当たりの良い青年だ。
それなのに、肝心な時はいつも一言足りない。
「今日は案内してくださいね!」
「お、おう!」
ペースを取り戻した結翔が返事をする。
「まずは雲場池だぞ」
「はい! 楽しみです!」
雲場池は、塔ノ森家の別荘から歩いて二十分程の所にあった。
別荘地帯や、軽井沢銀座通りのすぐ近くにありながらも、気軽に自然を満喫できる。
私と結翔は遊歩道を歩いたり、ベンチに腰掛けて景色を眺めては、のどかな時を過ごした。
時折、結翔が深呼吸をして、私がそれを真似る。
「気分いいなぁ~」
「本当に……」
こうしていると、都会での生活を忘れそうになる。
まるで、ずっとここに暮らしていたような気分だ。
雲場池を後にした私達は、軽井沢銀座通りへと向かう。
軽井沢銀座通りは、賑やかで、どこか懐かしさ漂う旧軽井沢の名所の一つだ。
ショッピング、グルメ、観光と、訪れる人を楽しませてくれる。
私と結翔は店を回り、食事をした。
歩き詰めでも疲れることがなく、いつの間にか時計は二時を指していた。
「そろそろ戻るか。雲行きも怪しくなってきたし……」
結翔の言葉に空を仰ぐと、太陽を雲が覆い始めていた。
「外れましたね? 天気予報……」
昨晩確認した予報では、終日快晴のはずだったが、こればかりはどうしようもない。
「早く別荘に戻ろう!」
「わかりました!」
帰路を急ぐも間に合わず、小雨が降り始めた。
「結翔さん! 日傘に入ってください。ううん。結翔さんが持ってください!」
背の高い結翔が傘を持った方が効率的だ。
「沙羅ちゃん! もっと近寄って!」
傘を持つのとは反対の腕で、結翔が私を抱き寄せる。
速足で別荘へと急ぐも、雨は強まるばかり。
日傘は小さなもので、このままでは二人ともずぶ濡れになってしまう。
「……まいったな……あ、あそこ!」
結翔が指さす先には、古い洋館があった。
「あそこで雨宿りをさせてもらおう!」
門は開いていて、自由に出入り出来るようだ。
アプローチを走り抜け、建物の軒下に滑り込む。
「助かった! 早く撤退して正解だったな。ずぶ濡れは免れた」
「はい……でも、止むでしょうか?」
「通り雨だからすぐ止むよ」
身動き出来ぬまま、私と結翔が寄り添った時だ。
「あの……よろしかったら、お入りになりませんか?」
玄関の扉が開き、クラシカルなメイド服の女性が現れた。
「お茶を飲んでいかれませんか? レストランは丁度カフェタイムです……」
招かれるままに、屋内へと足を踏み入れる。
場を和ませるピアノの音。談笑する客の声。
館内を彩るアンティークな調度品。
趣のある造りが、歴史の長さを物語っている。
キャリーケースを手にした人が視界に入る。
どうやら、ここはリゾートホテルのようだ。
「助かった! 雨が止むまでここで待とう!」
レストランでは、客達がゆったりとティータイムを楽しんでいた。
「こちらへどうぞと」窓近くの席に案内され、結翔は珈琲、私は紅茶を注文した。
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