第10話  ごほうび

 合宿四日目。

 午前中のルーティンと昼食の後は、三時までが休憩時間となる。


「沙羅さん! 今朝、食材と一緒に焼き菓子が届きました! お茶にしませんか?」


「うれし~! ちょうど甘いものが欲しかったの! 頭を使うと甘いものが食べたくなるってホントね?」


 到着時、食材は三日分用意されていて、四日目からはその都度届けられている。

 菓子を頼んだのは結翔か、あるいは管理人が気を効かせたのか。

 どちらにしろ、嬉しいサプライズだ。

 紬が皿に菓子を盛り付けている間に、私は湯を沸かす準備に取り掛かる。

 食堂の棚には珈琲、紅茶、緑茶、ココアにハーブティー。

 さながらファミレスのドリンクバーのようだ。

 私と紬は、休憩時間は別荘近辺を散策したり、自室でお喋りをして過ごしていた。今日は食堂でお茶会だ。


 窓からの風が室内を通り抜けていく。


「風が気持ちいいですね……」


「本当に……」


 木々は青々として、吹く風に乗って鳥の声が響く。


「結翔さんは今日も調べ物?」


「はい……せっかくの夏休みなのに……」

 

 不満そうに口を尖らせる姿がハグしたいほど可愛らしい。


「忙しい人だから……」


 昼食後の二時間は、結翔のプライベートタイムでもあり、この時間は彼と接することが出来ない。


「応援したかったのに……」


「お、応援なんて……」


 紬は夏休みを利用して、私と結翔の距離を近づけようとしていたが、私は三人が一緒に過ごせるだけで楽しかった。


「……結翔さん、一生懸命ですね……沙羅さんの力になりたいんです。沙羅さんの夢を叶える応援をしたいんです!」


「う、うん……」


 気持ちは嬉しいけど、言い切られて恥ずかしい。


「結翔さんは、自分の夢を持っている人が好きなんです……沙羅さんは、結翔さんの理想にぴったりです!」


 紬が小さな掌をきゅっと握りしめる。


「……りっ、理想だなんて、大げさ……あはは……」


「大げさじゃないです! でも、結翔さんは、バレエには疎いみたいですね?」


 紬には、結翔がバレエに関心が薄いことなどお見通しのようだ。

 

「だからこそ尊いと思います! 理解出来ないながらも沙羅さんを尊重しているんです!」


 勢い込んで熱弁を振るう紬だったが、


「……あ……」


 何かを思い出したように口をつぐんでしまった。


「どうかした?」


「……あの……いえ……なんでもありません……」

 

「紬ちゃん?」


「あ、あの……すみません……こんなこと……深雪おば様の影響かなって……」


「……紬ちゃん……」


 「母には自分自身の生きがいを見つけて欲しかった」


 私がモナコへ、結翔がサンディアゴ巡礼に旅立つ直前の言葉だ。

 紬は、私が結翔と出会う前の彼を知っている。

 私の知らない彼の子供時代を。


「ごめんなさい……こんな話……」


 紬が何か話したそうに、もじもじとしている。

 悩みがあるなら話してほしい。私だって紬の力になりたいのだ。


「ううん……よかったら話してくれる?」


「……あの……大したことではないんです……むしろ嬉しいくらい……結翔さんが、母に“家のことをもっと好きにしていい”って、いつも言ってくれて……」


 結翔から江ノ島で聞かされた話だ。

 紬はそのことで胸を痛めていたというのか。


「結翔さんが気遣ってくれることが申し訳なくて……でも、母は遠慮しているわけではなくて、本当にそういうことに興味が無いんです」


 互いに思いやることで、心に負担がかかるなんて。

 人の心は難しいものだと思う。


「それに、深雪おば様の采配は完璧で……あの……家に飾られている装飾品なんですが……」


「うん? どれも立派なものよね?」


 私は結翔の家を思い浮かべる。

 計算しつくされたデザインは、完璧な調和を創り上げていた。


「おば様は、有名作家の無名時代の作品を好んで収集しておいででした……絵画も置物も……単体の個性ではなく、全体のバランスを重視してらっしゃいました……時には高価な品を手放して、他人ひとが見向きもしないものを購入したことさえありました」


「……あの……暖色系の花の絵って、その中にあった?」


 結翔がangeの改装の時に、家から取り寄せたという花の絵だ。

 取り立てて個性の感じられないものだったが、店内に飾ると、生花のように息づいて見えた。

 紬に絵の特徴を説明すると、「ああそれならば」と、著名な日本人画家の名を言った。


 改装後のangeを思い浮かべる。

 調和のとれた居心地の良い空間。

 彼の卓越した感性は、実母から譲り受けたものかもしれない。


「きっと、家族になったばかりだから気を遣うのよ……そのうち慣れるから……ね?」


「そうでしょうか?」


「うん。皆が優しいと、かえって心配しちゃうね?」


「はい……お話を聞いて頂いてありがとうございました。胸がすっとしました……やっぱり結翔さんには沙羅さんしかいません! 沙羅さんの髪はミルクティーみたいに温かくて、お日様みたいにキラキラしてます。瞳は宝石みたいに澄んでいて、暗闇を照らす光のようです。一緒にいると元気づけられます。結翔さんには沙羅さんが必要なんです!!」


「あっ、ありがとう……」


 紬のキラキラとした視線に、私はたじたじとなる。


 だが、私と結翔の間には何の約束もなく、週末にしか会えない。

 普通の恋人同士なら、もっと会って、話をして、距離を縮めていくのだろう。

 舞花と紬の熱量は、裏を返すと、二人の危うさなのかもしれない。


「……ありがとう。応援してくれる人がいると心強いもの……」


 胸に思いが込み上げきて、紬をぎゅっと抱きしめる。


「……さっ、沙羅さん?」


 優しくて思いやり深い紬。

 私はそんな彼女が大好きなのだ。




 休憩が終わる午後三時。

 午後の部がスタートする。


「午後はテストをする……どの程度力がついたかを知りたい。制限時間は一時間。終わったら退室していい」


 答案用紙を前に、顔が強張っていくのがわかる。

 

「はは……緊張してる? 大丈夫! 十分勉強しただろ?」


 結翔は自信がありそうだが、私はそうはいかない。


 落ち着いて。


 深呼吸をした後、問題文に目を通す。


(……え?)


 問題が、出題者の意図が理解できる。

 当てはめるべき公式が思いつく。

 しかも短時間で!

 演習問題を解き続けた成果が現れたのだ。


 落ち着いて。


 ケアレスミスをしてはならない。

 合宿の努力が無駄になってしまう。


 集中して。油断しないように。

 自身に言い聞かせながら、私は問題を解いた。


「はい! 時間だ! 答案用紙を回収する」

 

 問題文を丁寧に読んだせいで、解答を書き終えたのは、制限時間の五分前だった。

 見直す時間もないまま案用紙を結翔に渡す。


 手応えのようなものがあったが、不安は拭えない。

 結翔は机に答案用紙を広げると、その場で採点を始めた。

 何も見ることなく、物凄いスピードでチェックしている。

 きっと正解は彼の頭の中に納まっているのだろう。

 ペンを持つ手は軽やかで、今にも鼻歌を歌いだしそうだった。

 結翔は機嫌がよく、期待感は高まるものの、点数を見るまで安心できない。


「よし! 二人とも合格! 大変よく出来ました!」


 手渡された答案用紙には、大きな花丸が付いていた。


「沙羅さん!」


「紬ちゃん!」


 私と紬は手を取り喜び合う。

 紬は瞳をうるうるとさせ、涙目になっていた。

 成果が出れば、勉強の苦労など吹き飛んでしまう。


「これが正解と解説。間違ったところは見直しておくこと。まぐれで正解だったところもだ。振り返りが大事なんだぞ?」


「わかりました! ありがとうございます!」


 声を揃えて礼をすると、結翔が嬉しそうに頷いた。


「二人にはご褒美が必要だな? 明日は休みにして出かけるぞ! 沙羅ちゃん、どこがいい? 電車かバスを使うか……近場だと中軽井沢。少し足を延ばして鬼押し出しもいいな。釣り堀で鱒釣りってのもある。楽しいぞ?」


「あ、あの……遠くまで行かなくても、近くを散策するのいいかなって……教会やホテルのカフェにいってみたいです!」

 

「なるほど……旧軽を歩くのもいいな……軽井沢銀座通りもあるし……」


「賛成です! 沙羅さんは軽井沢初めてですよね? 旧軽だけでも十分に楽しめます!」


「じゃあ、それで決まりだ!」


「わっ! 楽しみです! 案内してください!」


 ご褒美のお出かけは、旧軽井沢の散策に決まった。

 だが、その時私は気づかなかった。

 紬の目がきらんと光ったことを。













 



 

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