第9話  朝の光景

 合宿三日目。

 ルーティンが繰り返されるうちに、私は別荘での生活に慣れてきた。


「私もです……三日で順応出来るものなのですね?」


 意外そうに紬が呟き、私が頷く。

 ハードなスタートを切った合宿は順調に進みつつあった。


 ここでは注意を逸らすものがない。

 休憩時間に窓外を眺めれば、空気は澄んで、風の流れが見えるようだ。


 結翔は常に「分からないことがあったら聞いて欲しい」と、言い続けていたが、自分はそれが出来ずにいた。

 だが、知識がなければ正答できるはずも無く、時間が無駄に過ぎるだけ。

 理解出来ない事はそのままにしない。

 そういう意識が身についたのは合宿の賜物だろう。


「沙羅ちゃんも紬もコツが掴めたな? 後は、数をこなして慣れて欲しい!」


 声を揃えて「はい!」と、私と紬。

 きっと成果を得て合宿を終えることが出来る。

 期待に胸を弾ませ、私はペンを手にした。


 三日目の夕食は、鱈のソテーと茹で野菜だ。


「旨いな~」


 結翔が旺盛な食欲で食事を平らげていく。


「空気がいいから、お食事も美味しく感じられますね……」


 箸を進めながら紬。


「本当に……」


 寝食を共にすると、距離が一層縮まるようだ。


「……でもなぁ、こんな風に食いっぱなしじゃ悪いな?」


 すまなさそうに結翔が呟くと、「そんなことありません!」と、生徒二人が強く否定する。


「……おっ、おう?」

 

 引き気味の結翔を見て、私と紬は笑ってしまった。




 その翌日の朝だった。

 私はアラームが鳴る前に目覚めた。


 午前五時五分。


 起床時間は六時と決めていたが、鳥の声に誘われるように、私はベッドを抜け出した。

 紬はまだぐっすり寝ていているので、起こさないように着替えて、髪を結う。

 ムースは付けずに、軽くまとめて上げるだけ。

 簡単なセットだが、この髪型にすると集中力がアップする。


 早朝の空気を吸おうと、廊下に出ると、階下から物音がした。

 音は台所の方からで、管理人がパンを届けに来たのかと、確認するともなく、そちらへと向かう。

 食堂を通り、台所の入り口に立つと、たまごを手にする人影が目に入った。


「……ゆっ、結翔さん!?」


「おはよう!……ごめん……起こしちゃった?」


「いえ……そんなことより、何をしているんですか?」


「うん……いつも作ってもらってばかりだから、たまには俺もって……」


「気にしなくていいのに……」


 気持ちは嬉しいが、彼はあまり料理が得意ではないはずだ。私は結翔をチラ見する。


「おい? その目……出来るさ。俺だって……」


「そっ、そんなつもりじゃ……ところで何を作るつもりですか?」


 結翔には申し訳ないが、一抹の不安は拭い切れない。


「目玉焼き!」


 彼が自らの計画を宣言する

 その位なら大丈夫だろう。私もそばにいるし。


 結翔がフライパンを火にかける。


「あのさ、俺はしっかり焼くけど、沙羅ちゃんは?」


「わっ、私もです!」


「紬もだ……じゃあ、三つ一緒に焼くか?」


 結翔が熱したフライパンにたまごを落としていく。

 黄身を囲む白味が白くなってきたころ、塩コショウを振った。


「ひっくり返していい?」


「おっ、お願いします!」


 結翔と焼け具合の好みが一緒だった。

 自分もしっかり焼く派なのだ。特に黄身は。

 たまごの焼ける匂いと油の撥ねる音。

 私はじっとフライパンを見守った。


「結翔さん?」


「何?」


「あの……ゆでたまごも固ゆで?」


「そっ! よくわかったな? 沙羅ちゃんは勘がいい!」

 

 結翔は感心したように言うものの、目玉焼きの焼き方を見ていれば容易に想像がつく。


「……私もです……あの……オムライスは?」


「どういうこと?」


「ふわとろと……くるんだの……どちらが好きですか?」


「そうだなー。うーん? 包んだやつ? ソースはデミグラスじゃなくてケチャップ……中身はチキンライス!」


「私もです!」


 ふみゅー!

 

 結翔と好みがこんなに合うなんて!

 うきうきとする私の傍らで、結翔は真剣にたまごを見守っている。


「出来たっ!」


 フライ返しで三つに切り分け、皿に盛った。


「しまった……ベーコンも焼くんだった!」


「私が! ベーコンは私が……結翔さんは珈琲をお願いします!」


「おし! まかせとけ!」


 フライパンを、キッチンペーパーで軽く掃除した後、油をしいてベーコンを乗せる。

 

「ところで……沙羅ちゃんは、目玉焼きに何を付ける?」


「あっ、えっと……ソースです!」


「ははっ。これは分かれたな……俺は醤油。紬はケチャップだ」


 結翔が冷蔵庫から、三種類の調味料を取り出す。

 レタスを千切り、トマトを並べてサラダも作った。

 目玉焼きとベーコンにサラダ。パンと珈琲を添えれば、豪華朝食の完成だ。


 配膳が終わった頃、紬が降りてきた。


「……おはようございます……えっ? 沙羅さん!? 結翔さん!?……ふたりで朝食を作っていらしたんですね!!」


 感極まったように紬。

 私と結翔が一緒に料理をすることの、何がそんなに嬉しいのか。


 ふみゅ~。


 紬の満ち足りた笑顔に頬が熱を帯びてくる。

 結翔はけろりとしていて、全く意に介していないようだ。

 勉強を教える時の慎重さは皆無で呆れてしまう。


「わぁっ! 目玉焼きにベーコン! サラダまで!? ホテルのモーニングみたいで感激です!……しっかり食べて、今日も頑張りましょう!」


「おお!」


「今日もよろしくお願いします!」


 高原の朝は始まったばかりだった。

 


 

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