第8話 ふたりでお茶を
軽井沢に到着して二日目。合宿が本格的に開始された。
朝食は七時。八時から勉強が始まる。
初日同様、四十五分間の勉強後に十五分の休憩をとる。
それを三回繰り返して十二時に昼食。
私はテキストに向かい、問題と奮闘する。
手を止め考えていると、「分からないことがあればすぐに聞いて」と指摘を受ける。
問題を解きながら結翔をチラ見すると、彼は熱心に本を読んでいた。
何の本だろうかと、好奇心にかられて視線を向けると目が合う。
「分からなければ聞いてくれ」
親身な口調で言われて、気を散らした自分が恥ずかしくなる。
結翔は時間を無駄にすることがない。
読書をしながらも、私達のコンディションを把握しているのだ。
十一時には午前の部が終了し、昼食に備える。
今日は素麺に決まった。
鍋に湯を沸かしながら麺つゆと薬味を用意する。
「……頭が沸騰しそうです……」
「うん……湯気が出そう……」
ふみゅ~。
脳内は素麺を茹でる湯のようだった。
問題を解き続けたせいで、思考回路がぐらぐらと煮立ちそう。
数式でぱんぱんの頭には、もう何も入ってきそうもない。
旅行鞄に荷を詰めた日々がよみがえる。
新しいワンピースで高原を散歩しようなんて。
浮かれていた自分を無かったことにしたい。
「でも、こうしてお料理をすると気分転換になりますね?」
「そう! 気が紛れる!」
煮立った鍋に素麺を入れながら、私は紬に同意する。
「素麺好きです……夏の暑い日でも美味しく食べられます」
「私も!」
「ハードスケジュールですから、しっかり食べないと! 沙羅さんと一緒にお料理もできますし……でも、二人のことが残念です。舞花さんとも約束したのに……」
紬が口惜しそうに唇をきゅっと噛みしめる。
「そっ、そんなこと! 目的は勉強でしょ?」
「でも、せっかくの
「そんなこと言っちゃ……」
紬にこれほど気を遣われては、申し訳なさで胸がいっぱいになる。
「さあ、素麺が茹で上がった。盛り付けて食堂にいきましょう」
私は紬をなだめながら、結翔の待つ食堂へと向かうのだった。
昼食の後は二時間の休憩で、三時から勉強が再開される。
体を休める。近くを散策する。時間は自由に使っていいと結翔は言った。
彼自身は「調べ物をしたい」と、一人部屋に籠っている。
私と紬は自室でお喋りをしていたが、いつの間にか寝入ってしまった。
勉強疲れで爆睡した二人だったが、アラームのおかげで目を覚ますことが出来た。
その後、午前中と同様に、四十五分間の勉強、十五分の休憩を二度繰り返し、午後五時でノルマ終了だ。
そして、再び食事の支度が始まる。
今夜の献立は豚肉の生姜焼きだ。
「いいお肉!……厚さも、脂身の付き具合も……」
「沙羅さんの生姜焼き、楽しみです!」
「えっと……たれに漬けて焼くだけよ? そうだ。キャベツの千切りを用意しないと……あ、これ? 新鮮で美味しそう!」
「採れたてのキャベツです。シャキシャキして美味しいんですよ!」
「採れたて?」
「はい、軽井沢から車で五十分くらいのところに、高原野菜の産地があって、そこで採れるキャベツが有名なんです」
高原特有の涼しい気候がキャベツの栽培に適しているらしい。
キャベツの葉は青々としていて、手に取るとズシリと重い。
「味見しませんか? 一切れどうぞ」
「ありがとう!」
千切ったキャベツを渡され、葉の先端を前歯で噛み切る。
「甘い!」
キャベツの瑞々しい甘さが、口いっぱいに広がる。
「気に入っていただけてよかったです! 千切りを沢山作りますね」
紬がキャベツを刻む間、私はたれに豚肉の切り身を浸した。
たれは、醤油に、生姜、酒、みりん、胡椒を混ぜ合わせたもの。
三十分ほど肉とたれを馴染ませる。
熱したフライパンに肉を乗せると、ジュッと焼ける音がした。
「沙羅さん、キャベツの千切りが出来ました!」
「ありがとう……わぁっ! 細かくて綺麗! お店で売ってるのみたい……」
「包丁使いは自信あるんです」
紬が少し照れて笑う。
皿にキャベツを盛り付け、私はその上に焼き立ての肉を乗せる。
キャベツが焼き肉の座布団のようだ。
「キャベツに肉汁を馴染ませるんですね!?」
「うん。余った千切りはサラダに……美味しいから沢山食べられる」
サラダにトマトを形よく並べ、豆腐とミョウガの味噌汁を添える。
食卓が完成すると、紬が結翔を呼びに行った。
「いただきます」と、声を揃えて食事の挨拶をする。
「旨いっ! そういえば、沙羅ちゃんが初めて作ってくれた弁当も生姜焼きだったな」
「あ……そうでしたっけ?」
そんな前のことを覚えているなんて、恥かしいけど、やっぱり嬉しい。
「だよ。あの弁当は冷めても美味しかったけど、やっぱ、出来たては旨いな!」
結翔はキャベツを肉で巻いて、次々と口に運んでいく。
食欲旺盛で、気持ちの良い食べ方だった。
「そんなことがあったんですね!? 沙羅さんは手際もいいし、下ごしらえも丁寧です……明日も献立を考えてもらいましょう!」
「そか? 悪いなぁ……大丈夫沙羅ちゃん? 勉強疲れはない?」
「大丈夫です! 任せてください」
「合宿の間、沙羅さんの手料理が食べられるなんて、楽しみですよね? 結翔さん」
「おう!」
結翔の箸のスピードは衰えることなく、山盛りの肉とキャベツは、あっという間に平らげられた。
「せめて片付けぐらい」と結翔は主張したが、私と紬がそれを辞退し、食器を手に流しへと向かう。
「沙羅さんはお料理上手ですね。私も美味しくいただきました。閉じこもって勉強しているから、お食事が美味しくて良かった……」
「紬ちゃんこそ……」
「私のは自己流ですから……今度教えてください。あ、洗い物は私がします……棚にほうじ茶の缶がありますから、食後のお茶を淹れて頂けますか? 私はすぐに行きますから、先に召し上がっていてください」
紬に片づけを任せきりなのは気が引けるが、作業は分担した方が効率的かもしれない。私は三人分の湯呑に茶を淹れると、食堂へ運んでいった。
「おっ、ほうじ茶!」
「生姜焼きを食べた後だから、口がさっぱりしますよ?」
向かい合い茶を飲む結翔と私。
結翔と過ごす時間は温かくて、心がほっこりとする。
紬も舞花も進展の無さを歯がゆく思うようだが、自分はこのままでも十分に幸せだと思う。
「沙羅さんは本当にお料理上手! これからもずっと食べたいですよね? 結翔さん?」
いつの間にか戻った紬が結翔に問いかける。
「……つっ、紬ちゃん! あ、あの……」
私が慌てるも、紬はにまにまとするばかり。
「だなっ!」
結翔は言葉の含みに気づく気配もなく、のんびりと茶を飲むだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます