第6話  到着

 駅から二十分ほど歩いたところにある、旧軽井沢の別荘地帯に、塔ノ森家の別荘は建っていた。


 軽井沢は十九世紀末から、高原の避暑地として人気が高く、ホテル、別荘、教会、美術館などが点在している。


 中でも旧軽井沢は、歴史ある別荘地として知られている。駅からの便もよく、軽井沢銀座通りにも近い。だが、一歩踏み入れれば、自然豊かな別荘地帯となるのだ。


 塔ノ森家の別荘は、通り沿いの、石垣に囲まれた陸屋根二階建ての家屋だった。二階にはバルコニー、一階には広いテラスがある。通り沿いといっても、敷地内に樹木が生えているので、森の中に家があるような趣があった。


 私が門前に立ち、建物を取り囲む苔庭を眺めていると、結翔が郵便受けをごそごそとまさぐり始めた。


「……あった……到着時刻に合わせて置いてくれたんだ……」


 結翔の手には鍵があった。

 青々とした苔を踏みしめ、玄関から屋内へと入る。

 

「荷物が届いてる……掃除も済ませてある」


 先に送った荷物は、玄関の隅にまとめて置いてあった。

 結翔は、室内をぐるりと見渡した後、掌を合わせて拝むような仕草をした。


「じゃあ、紬と沙羅ちゃんとの部屋はどうする? 一緒? 別?」


「同じ部屋してください! ねっ? 沙羅さん?」


「はい! 紬ちゃんと一緒にしてください!」


 初めての場所だから、紬と同室の方が心強いし、二人きりで話したいこともたくさんある。


「よかった! 沙羅さんと一緒にお泊りしたかったんです。あと、お掃除は済ませてあるようですけど、荷物を広げる前に自分でもします……いいですよね? 沙羅さん」


 紬の言葉に私は「はい」と頷く。


「そか、食堂の隣に掃除用具入れがあるから適当に」

 

 結翔が指さす方へ私と紬は向かった。

 ほうきと塵取り、水を入れたバケツと雑巾を持って、自分達が宿泊する部屋へと向かう。


 扉を開けると、キルティングのカバーのかかったベッドが二つ並んであった。

 窓にはレースのカーテンがかけられ、壁際には木製のクローゼットが配置されている。


「かわいい! 童話に出て来るお部屋みたい……」


 黒髪に白い肌、苺の唇。

 白雪姫のような紬に、この部屋はぴったりだと思う。


「どうかしました?」


 紬が上目遣いに私を見ると、つぶらな瞳に胸がきゅんとなりそうだ。

 

「あ、ううん……窓を開けようか。換気した方がいいよね?」


 窓を開けると微風が部屋を通り抜けていく。

 このまま涼んでいたいが、作業を終わらせなくてはならない。

 

「じゃあ、私は掃き掃除をします……沙羅さんは……」


「洗面台でいい?」


「はい。さっとで大丈夫です。きれいにしてありますから……」


「了解!」


 掃除を二十分ほどで終えると、荷物を運び込み、服を着替えた。


「あ~! さっぱりします! 汗をかきましたから」


「本当に!」

 

「別荘内を案内します」


「ありがとう」


 紬に連れられ屋内を回る。

 二階は客室が三つ。晴れた夜には、テラスで星を見ることが出来ると、紬が言った。一階には客室が一つ、浴室、居間、台所に食堂がある。

 

「結翔さん?」


 台所を覗くと、結翔が冷蔵庫をチェックしていた。


「おうっ! 着替えたんだな。食材はたっぷりあるぞ。ほら、これがメッセージ」


 結翔が冷蔵庫に貼られたメモ書きを指さす。


 “三日分あります。ご連絡いただければ追加します。外で召し上がっても結構です。パンは毎日新しいものを届けます”


 紬も冷蔵庫を覗き点検を始める。


「……凄い……お肉も野菜も十分にあります。調味料も……今夜はカレーにしませんか?」


「おっ! 紬特製カレーか。久しぶりだな」


 結翔が嬉しそうに笑った。

 紬特製カレーとはなんだろう。

 気になるし、楽しみだ。


「夕飯には間があるけど、お腹は大丈夫?」


 結翔が問いかけ、


「あ……そう言えば……」

 

「私も……五時に朝食を食べたきりでした」


 私と紬が、胃のあたりにそっと手を添える。


「だろ? 十一時だけど、少し早い昼飯にしよう。棚にパン、冷蔵庫にバターとジャムがあるから、テーブルに並べてくれ。トースターは食器棚の横。俺は珈琲を淹れる」


 「わかりました」と、紬と私。


「俺はブラックだけど、二人は?」


「カフェオレにしてください」


「あ、……私も……」


 紬と同じものを頼む。

 私達は好みが似ているようだ。


 テーブルにマットを敷き、パンを焼いている間に、冷蔵庫からジャムを取り出す。


「沙羅さんは、苺とブルーベリーどっちがいいですか? あ、マーマレードもあります」


「うーん」


 どれも捨てがたく、考えあぐねていると、


「じゃあ、全部出しますね。私も少しずつ沢山食べたいですから……」


 やはり、私と紬は相性がいいようだ。


 トーストしたパンを皿に乗せ、結翔の珈琲を待った。


「はい、お待たせ!」


 結翔がカップを置くと同時に、食事が始まる。


「いただきます! わっ、このパン美味しい!」


 焼いた表面はカリッと香ばしくて、中はふんわりもちもち。いくらでも食べられそうな美味しさだ。


「近くのパン屋さんですよね? 結翔さん……私、このお店のパン大好きです! またこのパンが食べられるなんて幸せです!」


「私も! 感動です!」


「はは……二人とも大げさ! でも、確かに旨いよな!」


「はい、綺麗な空気の中で食べるといっそうです!」


 私の言葉に紬は大きく頷いた。


 お腹いっぱいパンを食べて気分は最高だ。

 気が付くと、テーブルに結翔の姿はなかった。

 だが、彼はすぐに、段ボールの箱を引きずり戻ってきた

 テーブルに荷を置くと、どんと音がして、何やら重そうだった。

 結翔が仰々しく荷を解き、中身を机上に積み上げていく。

 それは、さながら高くそびえる城壁のようだった。 


「あ!?」


 清涼な空気、目に鮮やかな緑、香ばしいパンと珈琲。

 それらに夢中になって、私は大切なことを忘れかけていた。

 そう。一番大切な事。

 別荘に来た目的。


「テキストだ! 沙羅ちゃんは数学だけがあと一歩なんだ。合宿では、数学を重点的に補強する。演習問題を集中してこなそう。弱点を克服するぞ!」


 結翔が目を輝かせて宣言をした。


 そうなのだ。

 そうなのだ。


 私達は、勉強の遅れを取り戻すために、遥々軽井沢まで来たのだ。

 ……でも……。

 山と積まれたテキストを前に、私と紬は身を寄せ手を取り合う。

 紬は顔面蒼白で、自分も同様に違いない。


「頑張ろう! 沙羅ちゃん! 紬! 俺が援護する!」


 分厚いテキストを手に、結翔が天使の笑顔を浮かべた。 


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