第3話 女子の買い物
結翔から軽井沢への誘いを受けた翌日から、私はその準備に追われた。
特に衣類は悩ましい。軽井沢の気候はどうなのか。夏だから暑いのだろうが、寒暖の差はないのか。日差しは強くないか、湿度はどの程度なのか。
何を着ていこうか、持参しようかと思案する。快適に過ごすためには、準備は万全にした方がいいだろう。手持ちの服で足りそうだが、新しい物も用意したい。
メモを片手にチェックする私に一本の電話があった。
「沙羅さん! 軽井沢へご一緒出来るんですよね? 嬉しい! 一緒に買い物に行きませんか?」
紬に誘いを受ける。
「よかった、何が必要かわからなくて……」
「大丈夫ですよ。向こうでも調達できますから。でも、一緒に選びたくて……沙羅さんの最寄り駅の近くはどうですか?」
紬は、彼女の母親が結翔の父親と結婚するまで、私の家の近くに住んでいたから、このあたりのことをよく知っている。
「そうね……駅前のシャボンは?」
シャボンは駅近くにある商業施設で、衣類、小物の店が複数あるし、飲食店も入っている。
「いいですね! あそこならば大抵のものが揃います」
こうして、二人の約束が取り付けられた。
待ち合わせたのは、翌日の午前十時。シャボンの開店時間だった。
「おひさしぶりです!」
紬が可憐に笑う。
そうだった。私達は一か月以上会っていなかったのだ。
最近の私は、勉強以外することがなく、味気ない日々を過ごしていた。
紬を見た途端に、懐かしさで心がほろりとする。
「良かった……二人とも来たばかりね? 沙羅ちゃん、おひさしぶり……」
背後から、聞き覚えのある柔らかな声。
「……あ、あの……」
まさかと思いながら、恐る恐る振り返る。
緩やかな巻き髪。
端正な顔立ちに少女のような微笑み。
人は彼女を女神と呼ぶ。
「……ほ、穂泉さん!?」
紬の同行者は、楡咲のプリマバレリーナ穂泉舞花だった。
「こんにちは、沙羅ちゃん。紬ちゃんから聞いたの……来ちゃった!」
おっとりと優しく舞花が微笑む。
「おっ、……おひさしぶりです! 穂泉さん!」
その場で私は最敬礼をする。
「あらぁ~今時90度?……感動しちゃう☆ でも、ルベランスはもっと優雅じゃないと……」
「……そ、そんな……」
舞花は私の所属する組織の頂点に立つ、手の届かない雲の上の存在なのだ。
その彼女が、こんな小さな町に現れるなど、震えるほどの驚きだ。紬と舞花は、すっかり仲良しという体だが、親戚となった二人と自分では立場が違う。
「あら? そんなにかしこまらなくても……」
「あ、はい……ありがとうございます……」
だが、今日は私と紬のために来てくれたのだから、遠慮をし過ぎては失礼かもしれない。
「舞花さんとは、ショッピングでご一緒することがあるんです。いつも素敵な服を選んでくださるから、毎回楽しみで……」
「紬ちゃんがそんな風に思ってくれていたなんて……嬉しい!」
喜びを隠そうともしない舞花。
二人は目が合うと、「ねっ!」というように微笑み合った。
結翔は、舞花が紬に負担をかけていないかと案じていたが、当の二人は大の仲良しだった。新しく家族になった紬への配慮だろうが、心配はないと、いつか教えてあげよう。
「そうねぇ、まずは紬ちゃんの服から見ましょうか?」
「私からですか? では、……ミネットに行きたいです!」
ミネットは十代向けのブランドで、可愛らしいデザインで知られている。
店内には秋物が並び始めていて、夏服のワゴンには“SALE 30%off”のタグがあった。
「紬ちゃん、これ……どう?」
舞花が白いワンピースを手にする。
裾に向日葵のモチーフがプリントされたデザインだ。
「ありがとうございます! 試着してきます!」
衣類を手に、紬は更衣室へと消えていった。
私はわくわくしながら、舞花の隣で紬を待った。
「……どうですか?」
紬がおずおずとカーテンの向こうから姿を現した。
白い肌。
苺の唇。
おさげにしておくのが惜しいほどの豊かな黒髪。
精緻に組み立てられた人形のような紬。
いつも通りの愛らしさ。
だが、いつもとほんの少し違う。
向日葵柄は夏らしく開放的で、まるで夏の妖精みたい。
「すっごく似合ってる!」
私は人目のある店内で、紬をハグしたい気持ちを必死で堪える。
「可愛い!」
舞花もまた、見惚れたように言った。
「ありがとうございます。これにします!」
紬は着替え終わると、いそいそと服を手にレジへと向った。
こうして紬の服は、あっさり決まってしまった。
「いいお買い物ができてよかった……次は沙羅さんですね?」
「……ね?」
舞花と紬が顔を見合わせて笑う。
気のせいだろうか。
紬の目がキランと光ったように見えた。
「……あの……私はどれにしようかな……ここにいいのがありそう……安くなってるし……」
私は吊るされた服を物色し始める。
「うーん……ここはラブリーで、紬ちゃんにはいいけど、沙羅ちゃんは少し違うんじゃない?」
「私もそう思います!」
舞花と紬の意見が一致した。
何だろう。この二人の連帯感。
「もっと探しましょう!」
「はい!」
二人は、探検家のように意気揚々と店を出て、私がそれに続いた。
少し歩くと、少女達が服を手に品定めをしている店があった。
「……あ、あの……ここ良さそうじゃないですか?」
「いいえ! ここは沙羅さん向きじゃありません。行きましょう、舞花さん!」
「そうなのね? じゃあ、他を当たりましょう!」
「あ、そうだ……リュミエールが沙羅さんに合うと思います!」
リュミエールのターゲットは、紬が服を買ったミネットと同じ十代だが、少しだけ大人っぽくて、所謂、キレカジというものだ。
「じゃあ、そこに行きましょう!」
二人の勢いに引きずられるままに、私は入店する。
「沙羅ちゃんに合いそう……硬すぎず、柔らかすぎず……」
舞花は店内を見回すと、入念にハンガーラックを物色し始め、紬がそれを見守っている。
やがて、ノースリーブのワンピースを手にすると、私の元へと持ってきた。
広めのネックラインで、白と水色のチェック柄だった。
丈は長めで、ふわりとした空気感がある。
「沙羅ちゃん? これ、どう?」
「……あ、……素敵だと思います……試着します」
服を受け取り、更衣室に入る。
カーテンを開けると、舞花と紬が真剣な面持ちで待機していた。
「……あ、あの……」
何を言われるのだろうかと、びくびくしていたが、舞花は満足そうに頷いた。
「いいわねぇ……でも、デコルテが少し出るから、カーディガンを羽織った方がいいかしら?」
「沙羅さんは背が高いから、ふんわりした服がお似合いです!」
用意されたサンダルを履き、鏡の前に立つ。
いつも自分が選ぶ服よりも、やや大人びて見えるが、似合うと思う。
以前買い物をしたときも、舞花は自分にぴったりの品を選んでくれた。
いつだって、彼女の見立ては趣味がよい。
ミルクティー色の髪は束ねよう。
その方がきっとこの服に合う。
どんな編み込みにしようか。
――綺麗だよ。
結翔の優しい笑顔が浮かんだ。
彼は褒めてくれるだろうか。
「素敵です! きっと結翔さんも気に入ります!」
「えっ? あ、あの……」
心を見透かすような言葉で我に返る。
「小物も欲しいわね……お洒落した沙羅ちゃんを避暑地に送り出しましょう!」
「あ、ありがとうございます……」
晩夏の昼下がり。私達のショッピングは続くのだった。
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