第五章

第1話  なつやすみ

 八月。

 学校は夏休みになり、午後はバレエのレッスンへと向かう。

 猛暑と競うかのような稽古場の熱い気迫。

 その原因は、八月の下旬に開催される全国バレエコンクールだ。

 日本中からバレエを志すダンサー達が集結する大規模バレコンだ。

 楡咲バレエ学校からも、五人の生徒の参加が決まっている。

 白河鈴音、高田光里もその一員だ。


「いいなぁ~。私も参加したかった!」


 今回は見送ることに決めたもののやはり羨ましい。


「何を踊るか決めた? 光里?」


「私はディアナを踊る!」


「ディアナとアクテシオンの?」


「そう!」


 ディアナとアクティオンはギリシャ神話を題材にしたパ・ド・ドゥで、エスメラルダの二幕のディヴェルティスマンとして挿入されている。神話では女神ディアナの水浴をアクティオンが覗き見し、鹿に変身させられてしまうが、バレエでは二人が仲良く踊るという物語に変えられている。


 ディアナは月、貞節、そして狩猟の女神。

 しばしば弓を携えた姿で描かる、勇ましい女神様なのだ。

 弓を手に獲物を射る仕草、脚を高く上げてのポーズ、回転に大きなジャンプ。

 難易度は高いが、見どころが満載のヴァリアシオンだ。

 私はギリシャ風の衣装を着た光里を思い浮かべる。


「……かっ、かっこいい……」


 光里のディアナは絶対にかっこいい。間違いない!


「沙羅もそう思う?」


「うん! 光里にぴったり!」


「ありがとう!」


 ディアナは凛々しいイメージだから、光里には適役だ。

 背が高く、ダイナミックな動きが得意な光里。

 彼女のディアナはきっと注目されるだろう。


「鈴音は?」


「私はね……キトリ……」


 金糸雀のさえずりのように鈴音が言った。


「……え? キトリ?」


 キトリはドン・キホーテの主役の名だ。

 スペインの日差しのように明るく、町一番の人気者で、ドン・キホーテが一目惚れするほどの美貌の持ち主。だが、女性的というか、大人の魅力というか。可愛らしい鈴音とは、イメージが違うような気がする。同じ町娘ならスワニルダの方が合いそうだ。可憐な村娘ジゼルやオーロラ姫もいいだろう。


 コンクールでは、自分に合った演目を踊った方が有利なので、鈴音がキトリを選んだことが意外だった。


「どうかした?」


「ううん……きっと素敵なキトリになるね! 頑張って!」


「ありがとう!」


「あ、……夏休みがあるでしょ? 大丈夫?」


 八月中旬の二週間が楡咲バレエ学校の夏休みだ。

 生徒達は普段レッスンに追われているが、この間は普通の学生のような生活を満喫することが出来る。貴重な休暇だが、コンクールの参加者達は休まずレッスンを受けたいはずだ。


「参加者には特別レッスンがあるの。後、私は、ワークショップにも参加する。楡咲のレッスンは午前中だから、午後から。英国から講師が来日するんだ!」


「かけもち!? 凄い!」


 私が驚きの声をあげると、


「あ~そうだった……ここ二、三年ずっとだよね? 鈴音?」


 記憶を辿るように光里。

 彼女はコンクール終了後、北海道の実家に帰省すると聞いている。光里と鈴音は中学生からの付き合いで、互いのことをよく知っているのだ。


「……ところで……沙羅?」

 

 鈴音が意味ありげに私をチラ見する。


「何?」


「私達より、貴女の予定はどうなの?」


「特に……父が休暇を取れたら、近場に出かけるかも……」


「ふーん? お父様?……そっちじゃなくて……」


「何の話?」


 鈴音と光里が顔を見合わせて笑う。

 嫌な予感。話がおかしな方に向いそうだ。


「あの人。ほら、発表会に来た人。 大学生でしょ? もう大人よね? 大人の男の人とお付き合いしているのよね?」


「……おっ、大人だなんて! 男の人だなんて……そっ、そんな……」


「ないの? ……その……お泊りとか……」


「……おっ、お泊り!……」


 ふ、ふみゅー!

 二人ったら何言ってるの!?

 一瞬で顔が熱くなる。まるで瞬間湯沸かし器だ。


「かーわーいー! 沙羅って、かーわーいー! ほんとに! これでガムザッティが踊れたなんて、嘘みたい!」


 鈴音は背伸びをして、私をハグすると、頭をわしゃわしゃと撫で始めた。


 ふ、ふみゅー!

 や、やめて!

 心で叫ぶ私。


 鈴音から解放されると、今度は光里がポンと私の背を叩く。


「まっ、頑張んな! 夏休みだし!」


 頑張る?

 何を頑張るの?


「話……いろいろと聞かせてね……」


 鈴音が耳元で囁いた。


「……は、……話なんて、……二人が喜ぶ話なんて……」


 彼女達は何を期待しているのか。

 あたふたする私を、二人がにまにまと見ている。

 コンクールに参加する者、しない者。

 それぞれの期待を胸に、少女達の夏休みが始まろうとしていた。





 ※ パ・ド・ドゥ

 男女二人が踊るバレエの形式です。

 二人が共に踊るアダージョ。

 それぞれがソロで踊るヴァリアシオン。

 再び一緒に踊るコーダ

 この順番で構成されています。

 ダンサー達が技巧を駆使して踊り、舞台を華やかに盛り上げます。


 ※ディヴェルティスマン

 フランス語で遊びという意味で、ストーリーとは直接関係ない余興のような踊りです。観客と同時に、舞台上の登場人物も楽しませるという設定で、結婚式やパーティー、祝賀会の場面に使われます。くるみ割り人形お菓子の妖精などが有名です。

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