第24話  夏の星座 1

 メトロの改札を通り地上へと出る。

 午後七時五分前。ネオンが灯り始める町。

 通りを歩けば目的地は目前だ。百貨店、ブランド店、アンテナショップ、ファッションビル。その間に点在するのは技を誇る老舗の店。昼に賑わった通りは、夜にはしっとりと別の顔を見せる。古いものと新しいもの。全てを抱きながらも揺るぎない風格ある街並み。白い外壁のビルに入りエレベーターに乗る。窓から下界を眺めるうちに目指す階に到着した。

 今日の服装はネイビーのスーツにパンプス。ほどよいカジュアルさが気に入っている。


「いらっしゃいませ」


 親しみ深くも礼儀正しい支配人に迎え入られる。名前を告げると案内係が現れた。趣の深い和の空間。吟味された調度品に仄かな間接照明。周囲に気兼ねせず会話が出来るように配置された座席。いつ来ても気持ちの良い店だと思う。

 

「お待ちしておりました。お連れ様は先ほど到着したところです」


 「誕生日おめでとう!」フロアから声が響く。

 この店の用途は様々で、会食や接待、誕生日などの祝いの場としても利用される。自分が初めて来店したのは、初主役を演じた日だった。遠方から祖父母を招き、家族で食卓を囲んだ思い出がよみがえる。思わず唇がほころぶも、心と共に引き締める。

 そう。気持ちを緩ませることなど、私達には許されないのだから。

 

「どうぞこちらへ」


 一般席とは離れた通路に案内される。引き分け戸の部屋を二つ過ぎ、廊下最奥へと向かう。


「どうぞごゆっくり」


 案内された部屋に入ると招待者が起立した。


「お招きありがとうございました」


 目の前の女性に一礼をする。彼女は光沢のあるベージュのワンピースを着ていた。

 緩やかな巻き髪、端正な顔立ちに少女のような微笑み。

 人は彼女を女神と呼ぶ。


「おひさしぶり……夕舞……」


 穂泉舞花。

 楡咲の伝統を引き継ぐ天性のプリマ。

 個性派と称される自分とは対照的にその芸風は王道と名高い。

 幼い頃より共に学んできた。

 同じ年齢なのでバレエ学校では同期という存在か。


「お飲み物は何になさいますか?」


 着席と同時に給仕に尋ねられる。


「お茶をお願いします」


 「かしこまりました」と給仕は去っていった。 


「飲まないの? いいお酒があるのに……」


「穂泉さんがご希望でしたらどうぞ」


「一人で? それじゃつまらない。それより時間通り。夕舞は律儀だから……」

 

 どうして彼女はいつも軽々しく話しかけるのだろう。

 互いの立場をわきまえるべきではないか。


「相変わらず敬語なのね。よそよそしい……今夜は二人きりなのに……」


「……」


 この表現はいろいろな意味で誤解を招く。

 二人は不仲である。あるいは必要以上に親密だと。

 どちらにしても控えて欲しい。


 私は昨年の十二月から英国のバレエ団に招かれていた。約六か月間の滞在の後、先週帰国したばかり。そして、真っ先に連絡をしてきたのが穂泉舞花だった。


「お忙しい中、お時間を作って頂いたのですから」


「しょうがないわね。ふふっ、まあ、そこが夕舞らしくて素敵だけど……」


 素敵とかそういう軽い言葉遣いは考え物ではないか。

 女子高生でも今時使わないだろう。

 互いに楡咲の看板プリマなのだから、もう少し立ち振る舞いに気を配って欲しい。

 

「あのね、観てきた! 夕舞の舞台。ロンドンまで行ったわ……最高だった……白鳥の湖……現地の評論家も大絶賛ね!」


「ありがとうございます」


 いつの間に。

 彼女は多忙のはずだ。バレエコンサートのレッスンの合間に他団の客演も務めたと聞く。行動力には驚かされるが、ひらひらと舞う蝶を思い浮かべる。

 あんな存在なのだと考えれば納得だ。

 彼女は自分の興味のあることならば、疲れを知らずに動けるのだ。


「楡咲でも上演するんでしょ?」


「演出家と振付師を招く予定です」


「待ち遠しいわぁ〜」


「まだ先の話です」


「何もかも斬新だった! ドラマチックで、バレエというよりは演劇を観ているみたい……腕を上げたわね。夕舞?」


「ご満足いただければ幸いです」


「楡咲でる場合、ダンサーとして……だけ?」


 女神の笑みを浮かべる舞花。


「……」


「演出に関わるとかは?」


「私の一存ではなにも」


「相変わらずガードが硬いのね。同期なのに……」


「先にプリマになったのは穂泉さんですから」


 彼女のオーロラ姫は優雅で美しかった。

 全ての美徳を兼ね備えたオーロラ姫。

 童話の姫君がそのまま現れたようだった。


「あら? それを言うなら、先に入団したのは夕舞でしょ。上下関係はっきりさせましょうか?」


「そのようなことは」


 私が言いたいのはただ一つ。

 互いの立場をわきまえるべきだということ。

 それだけのことがどうしてこの人は出来ないのか。

 バレエ学校時代から彼女の存在は謎だった。


 扉をノックする音の後、和服姿の女性が料理を運んできた。先付けは三種類。木の実を甘く煮詰めたものに、海老と山菜のおひたし、百合根豆腐。味も触感もそれぞれ違って、見た目も美しい。


「ん〜美味しい! 夕舞は帰国したばかりだから、和食が恋しいと思ってこのお店にしたの」


「お心遣いありがとうございます」


「見たわ……」


「何をですか?」


「沙羅ちゃんのジゼル」


 出たか。この話題。

 彼女は沙羅の話をしたかった。

 だから私をここに呼びつけたのだ。


「いかがでした?」


 一瞬、舞花が口を閉ざす。

 この間は危険だ。

 こんな時の彼女は、とんでもないことを言い出すのだ。

 私は密かに身構える。


「ふふっ、夕舞の愛を感じちゃった!」


「……なっ、……なにを言っているんです!?」


 私の警戒心は無駄だった。

 予想をはるかに超えた発言は、私の自制心を破壊した。


「うふふっ、だって、可愛かったんでしょ? 沙羅ちゃん……」


 深呼吸をして平常心を取り戻す。

 これ以上彼女のペースに巻き込まれるわけにはいかない。


「……ええ……素直ないい子です。だから短期間に成長しました。熱意もありますし……」


 話の合間に前菜と吸い物が運ばれてくる。


「でも、よく楡咲先生の依頼を受けたわね。意外だった……」


 私が発表会の指導をした理由は、英国での公演の許可と引き換えだという噂がまことしやかに広まっている。


 だが……。


「ねぇ、もしかして……発表会の話が出る前から沙羅ちゃんのこと知っていた?」


「……」


 どうして彼女は無駄に勘がいいのだろう。

 しなくていい話をする羽目になりそうだ。


「うふふっ、図星?」


 いらぬ憶測を防ぐために最低限の話をしておこう。


「牧嶋さんからDVDを見せられていました」


「牧嶋さん? ああ、楡咲の振付師だった方ね。その前はダンサーだった。今はバレエ教室を経営なさってるそうね……」


「その教室のおさらい会で踊る沙羅の映像を見ました」


「どうだった?」


 その時感じたこと。

 正直に話すべきだろう。


「よい素養を持つ少女だと思いました。均整のとれた体付き、理想的な足の甲、音楽性。何よりも基礎が身についていました」


 私は初めて映像を見た日の感動を思い起こす。

 沙羅のダンスは私の心を強く揺さぶった。

 これほどの逸材はもう現れないかもしれないのに、こんな小さな教室で埋もれてしまうのか。そう危ぶんだものの、楡咲に移籍する予定だと聞かされ安心したのだ。


「で、一目ぼれしたのね?」


「ええ、それで会うことにしました」


「それで? 感想は?」


「……」


 あの日の出来事を思い出し私は苦笑いをする。

 なんと大人げないことをしたものかと。


「……ね? もしかして、何か意地悪なこと言ったの? 夕舞って“可愛さ余って憎さ百倍”みたいなとこがあるから……愛が深すぎるのよね……」


 彼女は無駄に鋭い。

 まるで誘導尋問を受けているようだ。

 これでは洗いざらい話さなくてはならない。


「牧嶋さんにチケットを渡して、公演後連れて来ていただきました」


「それで?」


「……」


 黙したままの私を舞花が見つめている。


「楽屋に現れた沙羅は、映像のままの少女でした。理想的なボディバランス、しなやかな動き。小さな仕草ひとつひとつに踊りのセンスの良さを感じさせました」


「それなのに? それなのに意地悪しちゃったの?」


 舞花が純粋で素朴な問いを投げてきた。

 そうだ。彼女の反応はあまりにも妥当なものだ。

 人が知れば、あの時の私がどうかしていたと言うだろう。

 だが……。

 私は沙羅に厳しい言葉を投げつけずにはいられなかった。

 あの目。

 憧れのプリマを見つめる夢見る瞳。

 熱に浮かされたような眼差し。


「私は苛立ちました……なぜなら……」


 舞花の表情から笑みが消え、瞳に真実を求める光が灯った。


「なぜなら……あの時の沙羅は……」


 私は覚悟を決め言葉を発する。




「向こう側の人間だったからです」

 








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