第21話  心のままに

 鼓動が高まる。

 呼吸を整え私は笑顔を作る。


「……番……有宮沙羅……」


 舞台に出てポーズをとる。

 そしてエカルテ。

 爪先が床に触れる感触を確かめながら、足を横に高く上げてポーズ。

 バランスは十分にキープ出来た。


 私はガムザッティを踊る。

 ソロルとの婚約式の場面だ。

 スピード感溢れる振り付けは、クラッシックバレエ特有のステップがふんだんに盛り込まれている。

 演技的な要素はほとんどなく、踊りだけで役柄を表現しなくてはならない。


 上げた足を床に降ろし、ステップを踏みながらジャンプへの助走をする。

 ポジションを守って。

 足で床をしっかり踏んで。足の裏で床を感じながら。

 全てのステップを完璧に踏むのだ。


 ルティレを一回して、その場で方向を変える。そして二回目。三回目で元の位置に戻る。

 足をドゥ・ヴァン(前)に上げて、降ろした足に後ろ足を引き寄せ、シャッセ。

 床で足を押しながら、足の裏で床を感じながら。

 ステップは一瞬だが、確認しながら進む。

 空中ではポジションを守って、爪先を伸ばして高く跳ぶ。

 跳躍の前の、助走のような小さなステップだが、気が緩むことがあってはならない。


 あの日、視聴覚室で来栖の映像を見た日に、私は舞花にレッスンを申し出た。

 そして自分の解釈を告げたのだ。


 ――自己抑制でガムザッティを表現すると。


 ガムザッティは誇り高い女性だ。

 強い心で自己を律する。

 誰もが羨む幸福な花嫁を演じると決めたのだ。

 自制心はプライドの高さの表れ。

 花のような笑顔の下の苦悩を知る者はいない。


 私はそれを、正確なステップで表現する。

 自分をコントロールし、小さなステップも疎かにはしない。

 意志の力でそれを成す。

 それは、ガムザッティの心と繋がるものがある。


 “それが沙羅ちゃんのガムザッティなのね!?”


 舞花は自分のことのように喜んでくれた。


 霧が晴れる様だった。

 視界が開け、自分の辿るべき道がまっすぐに見えた。

 私は舞花の指導を受け役作りに励み、基礎の大切さを身をもって知った。


 “踵を前に出して”

 

 舞花は言い続けていた。


 正確なステップは基礎練の賜物。

 いつだってレッスンは真剣だった。

 教則本のようだと言われたことさえある。

 だが、これほど基礎に向き合ったことはなかった。

 舞花に関わることで、私の意識が大きく変化したのだ。


 ステップを踏む!

 ……ポジションを外した。

 でも、気を取り直して次!


 私はガムザッティに思いを馳せる。


 私は気づいていた。

 あの日、大僧正が父に進言した瞬間から。

 彼には神に愛を誓った女性がいると。

 父王から掌中の珠と愛され、臣下にかしずかれながら育った。

 そんな自分を彼は欺こうとしている。

 初めて知った悲しみ。嫉妬。屈辱。

 だが、嘆きはしない。

 私は誇り高き王の娘。神に選ばれし血族の末裔。

 弱みを見せることは許されない。涙も苦しみも隠しおおせて見せる。

 意志の力で胸に収めるのだ。


 二回のジャンプの後、ポアントでポーズ。

 上にあげた腕を前後に伸ばす。

 “絹の袖飾りを揺らすように”

 舞花の言葉を思い出す。

 ポーズを決めるだけでは完璧とは言えない。

 目立つ回転や、ジャンプ、バランスだけが大事なのではない。

 移動の時のステップ、ポーズとポーズの間の小さな間。

 自分の意志によってコントロールするのだ。


 全ては心が決める。

 たとえ修羅が待ち受けていようと。

 己の意志のままに生き、運命を切り開いていく。


 ――これが私のガムザッティ。


 回転はゆっくりと。

 美しいアティチュードを観客達に見せつけるように。

 スピードを落としたターンは、勢いに任せるよりもバランスをとることが難しい。

 だが、ガムザッティの優雅さを十二分に表現することが出来る。

 時間が止まったような錯覚を覚えさせるように。

 進行方向に軸足が出せるように回転を終わらせる。

 着地してから、脚の位置を微調整するようなことのないように。


 シェネターンにピケターン。

 床を押しながら、床を感じながら。

 シェネターンは上体を歌うように使い、女性らしさを表す。

 ピケターンでは体の軸を意識して。

 ターンは一回、ルティレの膝は高く。

 

 跳躍で舞台を一周する。

 ジャンプは大きく、空中でのポーズは美しく。上体を引き上げて。


 ガムザッティは強い女性。

 私はそれを、小さな動きの積み重ねで表現する。

 全てのステップが、回転が、跳躍が、ガムザッティそのものなのだから。


 アラベスクでポーズ。

 シンプルな衣装はポーズの美しさを際立たせる。


 そして、三連続のグラン・パ・ドゥシャ。

 グリッサード。先に出した足に、もう片方の足が追うように進むパだ。助走のような小さな動き。ポジションを守って。

 

 ―― 踵を前に出す!


 決まった! 

 ポジションは完璧だった。


 心に自信が湧きおごり、助走に勢いがつく。


 シャッセ。

 出した足にもう片方の足を引き寄せ、小さく跳ぶ。

 爪先を伸ばして、しっかり跳んで。


 いよいよパ・ドゥ・シャ。

 空中で一瞬膝を曲げるために、一層高く跳んだ印象を与える跳躍だ。

 

 “クレシェンドのようにね”


 舞花の言葉を思い出す。


 一回。

 

 小さく。


 二回。


 少し大きく。


 高度を増す跳躍は気持ちの高まりの現れ。

 ガムザッティのそれは観客に伝播するのだ。


 三回目。


 床を踏み切り、私はジャンプをする。

 上体をそらし、腕を前に伸ばす。

 高く距離のあるグラン・パ・ドゥ・シャだった。


 ジャンプが成功した!


 何かが指先から放たれていく。

 緊張、恐れ、不安。

 自分を縛るものから解放されていく。

 心のままに踊るガムザッティのように。


 高揚感に満たされ着地。そしてフィニッシュ。

 私は役を演じきった。

 やり遂げた。

 呼吸の乱れを整えながら、舞台袖へと戻る。


「沙羅! 凄く良かった!」


 咲良から労われるも、返事をするには息苦しい。


「……どう褒めていいのかわからないけど、よかった……なんだろう? 安定感?」


 咲良は、称賛しながらも評価に戸惑っているように見えた。


「……ありがとう……」


 咲良は華やかさを強調したガムザッティを演じた。

 お手本のようで、いかにも優等生の彼女らしい。

 一方私は彼女とは真逆と言える。

 王女の高貴さを自己抑制という形で表現したのだから。

 審査員たちの目にはどう映るのか。

 存分に踊ったという達成感に、僅かな不安が入り混じる。


「さあ、着替えて結果を待とう! 出来ることはしたんだから!」


「うん! 頑張ったよね、私達!」


 考えるのはやめよう。

 私達は自分のガムザッティを演じたのだ。

 あとは結果を待つのみ。


 二人は並んで控え室へと向かうのだった。



 

 

 






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