第19話 出場者達
コンクール当日、正午少し前。
私と咲良と舞花。三人はホール最寄り駅で待ち合わせていた。
私と咲良は改札の出口で舞花の到着を待つ。
改札の向こう、人影が僅かに見えた瞬間に、すぐ舞花であることが分かった。
白いワンピースにショール。シンプルな装いが、天女の羽衣のように眩しかった。舞花が改札を抜ける瞬間、清涼な風が吹き抜けていくようだった。
人は彼女を女神と呼ぶ。
その名に恥じない神々しさが舞花にはあった
「お待たせしました。二人ともコンディションは良さそう……普段の実力を出せれば大丈夫。頑張りましょう!」
「はい!」
声を揃えて私と咲良。
いよいよ今日が本番。緊張と期待に心が昂るようだ。
オフィス街でありながらも、住宅街や歴史的建造物、文化施設が点在する地域に白峰ホールはあった。
コンクール開始は午後一時から。
出場者は中学生以上で、参加総人数は五十名。
そのうちの上位六名が入賞、その他に奨励賞、しらみね賞が設けられている。
ホールへの道すがら、出場者らしき少女達が私達を追い越していった。
ゆっくりと歩を進め、十分ほどで広大な敷地を持つホテルが視界に入るが、白峰ホールはその手前に建っていた。
続々と集まる少女達に従うように、私達はエントランスへと向った。
コンクールは二部構成で、途中に三十分間の休憩時間が挟まれる。
二部に出場する私と咲良は、一部の半ばまで他の出場者の演技を観るつもりだ。
「私と沙羅が揃って最後だね」
「う、うん……同じガムザッティなのに……」
同じバレエ学校の生徒が、同じ演目を踊るのだから比べられてしまう。
咲良は気にしないかもしれないが私は微妙だ。
ホールに到着すると、一斉に視線が向けられる。
注目の的は付き添いの舞花だ。
バレエ少女達の憧れのプリマ。
彼女の周囲だけ、きらきらとした光が輝くようだった。
光に吸い寄せられるように誰もが彼女の虜になっていく。
恍惚の表情を浮かべる少女につられて舞花を見る。
つい見惚れてしまうも、我に戻れば羨望の眼差しに戸惑うばかり。
自分も好奇の目に晒されているのだから。
ひそひそ声が耳に入るが、聞きたくないし、聞かない方がいいだろう。
「何うろたえてるの? こうなること予想してなかった? 私達は穂泉舞花と一緒なの。落ち着きなよ!」
挑発の眼差しを向けられれば、負けじと応酬する咲良。
強い眼光に少女が怯むと、満足そうに口の端を上げた。
「……さっ、咲良! こんなところで止めて!」
「なによ!? 勝負は始まってんだから!」
私が制するも咲良は引かない。
相手は中学生のようで、年下相手にあまりにも大人げない。
「咲良ちゃん? 興奮しないで……沙羅ちゃんも落ち着いて。ほら、本番前はリラックスしないと……ね?」
舞花の声は天国の鐘のよう。
やはりこの人は女神だ。
ふわりと微笑めば、強張った咲良の表情がほぐれていく。
私も落ち着きを取り戻し、心が凪いでいくのがわかった。
「よかった……本番前は緊張しちゃうわよね? でも、楽しんでいいのよ。他の人の演技も見られるし……」
楽しんでいい。
言葉が魔法のように降りかかる。
自分はいつの間にか、結果にとらわれ過ぎていたようだ。
「はい! いろいろなヴァリアシオンが見られるのが楽しみです!」
「その調子! そろそろ席に着きましょう」
私達が着席したのは開幕5分前だった。
開会の宣言がされ、出場者達が次々と踊り始めた。
演目は様々だ。
ジゼル第一幕よりペザントのヴァリアシオン。
ペザントは“農村の”という意味がある。素朴で活気のあるダンス。
同じくジゼル第一幕より、ジゼルのヴァリアシオン。
これは私が発表会で演じたもので、ジゼル役のダンサーが可憐に踊っている。
白鳥の湖第一幕パ・ド・トロワより第一ヴァリアシオン。
王子の誕生日に友人たちが踊るもので、貴族的な上品さが魅力だ。
人のダンスを見るのは楽しいし、勉強になる。
自分ならどう踊るだろうかと、考えることができるから。
「次はアレルキナーダね……」
舞花が小さく囁く。
アレルキナーダ。
振付はマリウス・プティパ。
音楽はリッカルド・ドリゴによる。
1900年2月23日にロシアの劇場で初演された
“アレルキナーダ”は、フランス語では“アルルカン”と呼ばれ、日本語では道化師のような存在だ。
アレルキナーダは主人公の呼び名で、物語のタイトルでもある。
これから踊られるのは、コロンビーヌというレルキナーダの恋人の役だ。
物語は楽しくコミカルで、ハッピーエンド。
アレルキナーダとコロンビーヌは恋人同士だが、彼女の父親に結婚を反対され、コロンビーヌは家に閉じ込められてしまう。
でも、二人はこっそり会って、デートを楽しんでいる。
そんな場面だ。
小さく手を叩いたり、“内緒!”というように人差し指を唇に当てたり。
父親の目を盗んで恋を楽しむ様子が可愛らしく、コンクールでは人気の演目だ。
連続の回転が見せ場で、ターンが得意ならば実力を発揮出来る。
少し派手目のクラッシックチュチュに、頭の隅に小さな飾りのような帽子を着けている。
「あら、可愛い! 衣装も踊りも……演技も上手だわぁ」
舞花が惚れ惚れと呟いた。
「本当ですね……」
冒頭の振りが小粋な物語の始まりを告げる。
安定したアラベスクでのポーズ。
小気味よいポアントの動きが、作品の楽しさを伝える。
口元に指を添える時の表情、指でハートを作る仕草。
どれも自然で可愛らしい。
見せ場のターンも抜群の安定感だ。
いつしか私は一人の観客になっていた。
「回転もポーズも上手……演技力もあるし、基礎も出来てる……この人は自分の強みを十分に生かしている」
舞花の言葉に私と咲良が頷いた。
彼女だけではない。
初心者向け、プレコン的な扱いと聞いていたのに、レベルは高かった。
出場者達は、自分の長所を生かしている。
回転の得意な人は回転の多い演目。ジャンプが得意ならば、ジャンプを見せられるもの。手足が長ければそれを強調するレパートリー。
自分は何が得意で、何が不得手か。
何が出来て、何が出来ないか。
アピールする術を追及し、練習を重ねてきたのがわかる。
先刻の咲良は大人げなかった。
だが、正しかった。
だれもが勝つつもりでこの場にいるのだから。
――少女達の本気が胸に迫る。
「頑張ろうね? 沙羅ちゃん?」
手の甲に舞花の指が添えられた。
「……は、はい!」
そう。引け目を感じる必要などない。
私もまた、力を尽くしてこの日に臨んだのだ。
「さあ、そろそろ控室に行きましょう。心の準備はいい?」
「はい!」
私達は席を立ち、控室へと向かうのだった。
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