第15話  問い

 平日。

 月曜日から金曜日の放課後は、楡咲バレエ学校でレッスンを受ける。

 レッスンは一番ポジションから始まる。

 バーに手を添え、まずはプリエ。

 膝を曲げる動きだ。

 その次はタンデュ。タンデュとは、片足を床をすって出し、つま先を伸ばすこと。足を高く放り上げるグラン・バットマンも、グリッサードもタンデュを通過する。見た目は単純だが、これが習得できなければ、バレエを踊ることは不可能なのだ。

 両足で立った状態から、片足を前、横、後ろと外側へと出す。

 重心を両足から片足へとスムーズに移動しなくてはならない。

 前と横に出すときは、踵から、後ろに出す時はつま先から出す。


 “踵を前に出して!”


 舞花の言葉が頭の中でぐるぐると回り、足を一歩出すだけなのに考え込んでしまう。子供の頃から、教師の教えを守り、規則通りに練習することを目指してきた。バレエがバレエらしい動きとなるのは、基礎の繰り返しによるものだ。


 出すときは踵から。

 床で足を擦りながら、出し切った時にはつま先を伸ばして。

 床を擦る足に神経を集中させて、ようやく足を出せば、


「有宮さん。音に遅れないで」


 注意を受けてしまった。


 タンデュ。

 全てのステップの始まりとなる、足を出すだけの動き。

 これほど奥深いものだとは、今まで思いもしなかった


 “観客に踵を見せるつもりで”


 舞花は言っていた。


 でも、自分に出来るのだろうか。

 目立たず、あっという間に終わってしまう、小さな動き

 それを観客に注目させるレベルに到達することが可能なのか。

 コマ送りにでもしなければ、記憶に残ることもないのではないか。


「有宮さん、音をよく聞いて。遅れないように」


 再び指摘を受ける。


 舞花はグリッサードに完璧を求める。

 だが、今の私に彼女のレベルに到達することができるのか。

 無理をせずに、自分に出来る範囲で、ダンスを仕上げるべきではないのか。

 これほど基礎練に悩まされるなど、今まで考えもしなかった。


 だが……。

 小さなステップを疎かにする者が、華やかに跳び、美しく回転をすることが出来るのか。

 

(いいえ!)


 たとえ完成されなくとも、全力を尽くすべきだ。

 舞花が要求するならば、不可能であろうと、より上を目指してみたい。


「よし!」


 手を握りしめると、


「有宮さん……遅れてます」


 三度目の注意を受けた。


 その週の土曜日。

 私と咲良は、舞花の前で踊った。


「二人ともとても良い……咲良ちゃんは、ダイナミックでキレがいい……沙羅ちゃんは、まだぎこちないけど慣れてきたみたい……あとは、そうねぇ……やっぱりガムザッティらしさ? 考えてね? 彼女がどんな女性なのか。どんな気持ちで婚約式に臨んだのか。コンクールは物語とは切り離して踊るけど、やはり“らしさ”は必要よ?」


 ダンスはひとまず合格。

 だが、ガムザッティとしての役作りは、まだまだというところか。


「それじゃあ、また来週。がんばって……」


 そう言って、舞花は去って行った。


 私は、寄るところがあるからと、咲良を先に帰らせた。

 一人になりたかった。記憶が鮮明なうちに、今日のレッスンを振り返りたかった。

 ゆるゆると歩きながら、舞花の言葉を思い巡らす。


 “考えてみて? 彼女がどんな女性なのか? どんな気持ちで婚約式に臨んだのか”


 ガムザッティはどんな女性なのか。

 ニキヤの暗殺を知りながら、婚約式で華々しく踊る王女。

 毒蛇に噛まれる舞姫を冷淡に見つめる眼差し。

 どんな気持ちでそんなことをしたのか。想像すらできない。


(……あ……私……)


 気付いてしまった。

 私は、ガムザッティを理解することを拒否していたのだ。

 自分はそんな人間ではない。彼女とは違うのだと。

 あれは物語で、現実なら重い罪に問われる。

 そうやって、心に線を引き、ガムザッティを演じ続けていた。

 だから、彼女に共感することができなかったのだ。

 こんな状態で、私はガムザッティを踊ることが出来るのか。

 答えの出ない問いが胸に渦巻く。


 鞄の中でスマホが振動し、私は発信人を確かめる。

 

(……結翔さん……)


 一人にまにましては、慌てて周囲を見渡す。


(……よかった……誰にも見られていない……)


 ほっと安堵する。

 

 彼は四月から大学生になり、講義の後は父親の会社でアルバイトをしている。

 忙しい中、連絡をくれる心遣いが嬉しい。

 温かい幸福感は、むしろニキヤに近いと思う。

 苦行僧からソロルの帰還を告げられ、ニキヤの喜びはどれほどのものだったろう。

 神殿舞姫と貴族の禁じられた恋。

 人目を忍びながらも、ニキヤは恋の喜びに包まれていたのではないか。


 反面ガムザッティは……。

 祝福されながらも、ソロルの心は他の女性のものだった。

 それを知った時の苦しみはどれほどのものだっただろう。

 ……でも……。

 婚約式では誰もが羨む女性として振舞ったのだ。

 

「……やっぱり理解出来ない……」


 いくら気丈だからといって、人の命を奪って平然としているなんて。


 駅が近づいて来る。

 答えが出ないままに一日が終わろうとしていた。


「そうだ!」


 勢いをつけて歩く速度を上げる。

 そう。あそこへ行けば。

 私は駅へ向い足早に歩を進める。

 だが、目的地は変わった。

 私が向かう場所。


 それは楡咲バレエ団だった。



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