第14話  背中


 土曜日の夜。

 結翔から電話があった。


「こんばんは、実は明日のレッスン、三人が揃って都合が悪いんだ……」


「三人とも?」


 三人というのは、結翔の父親の会社、MORIYAに勤める若手社員だ。

 ひょろりと背の高い竹下悟。

 中肉中背、やや角ばった顔に、厚底レンズの眼鏡をかけた飯島康太。

 彼等の中では比較的見栄えのよい坂上洋一。

 三月から、空中庭園でおこなわれるスペイン語のレッスンに加わった目的は、サンティアゴ巡礼のためだ。

 舞花から、“冴えないズ”と命名された彼等だが、飾らない様が微笑ましかった。

 

「竹下さんは仕事、飯島さんは法事、坂上さんは同窓会だって……」


「偶然って重なるんですね?」


 何かと騒々しい青年達だが、会えなければ寂しい。

 ……でも……。

 結翔と二人きりになれるのは久しぶりで、わくわくする。


「……で、レッスンを中止にしようと思うんだ」


「……え?」


 そ、そんな!

 私達まで休みだなんて。

 せっかくの日曜日なのに、会えなくなってしまうの?

 

「だめ? 沙羅ちゃんは熱心だなぁ。スペイン語の上達が早いわけだ……」


「ううん……結翔さんは用事があるんですよね?」


 中止だなんてよほどのことなのだから、それを尊重しなくては。


「実は買い物があって……」


「買い物?」


「ちょっとした小物なんだ」


「小物ですか?」


「……で、よかったら、沙羅ちゃんに付き合ってもらえればって……」


「行きます! 一緒に!」


 結翔と買い物に出かけられるなんて!

 私は即座に返事をする。


「沙羅ちゃん? 沙羅ちゃんて、そんなに買い物が好きだったんだ……」


 電話越しに、身を乗り出す私が見えたのか、やや引き気味の結翔。


「……かっ、買い物は楽しいもの! 一緒に行ければいいなぁって……あはは……」


 確かに買い物は大好きだ。

 陳列棚を見ながら歩いたり、選んだり。

 でも、そんなことじゃないのに。

 彼の鈍感さをもどかしく思う。


「そっか、沙羅ちゃんがそのつもりなら助かる。じゃあ、明日。沙羅ちゃんの家に迎えに行くから。ほら、駅前にいろいろあるだろ?」


 最寄り駅にはショッピングモールがあり、それなりに用は足りるだろう。

 でも、品揃えは結翔の家の近くの方が良いのではないか。

 疑問を残しつつ、私は結翔に同行することになった。


 翌日、午前十時少し前。

 結翔が家にやって来た。

 彼は一足早く衣替えを済ませたようだった。

 白いシャツに、ネイビーのジャケットを羽織っている。

 こざっぱりとした装いが、夏の訪れを感じさせた。


「どうかした?」


「う、ううん……」


 私も綿のカットソーにボレロ。水色のフレアスカート。

 少し肌寒いけど、これを選んでよかった。

 彼に合せたようだから。


「あ、あの……駅前に行けばいろいろあります。ここから十分くらい……覚えていますか?」


「うん……【左側】に住んでいた時、通学に使ったから……」


 私と結翔は、それぞれ別の駅を利用して通学していた。

 結翔の最寄り駅の方が、都心に出るのに便利で、商業施設も揃っている。

 歩きながら結翔をチラ見すると、彼は少し大人びたように見えた。


「何? 沙羅ちゃん?」


「……ううん……あはは……」


 盗み見したことが気まずく、話を逸らすために話題を探す。


「あ、あの……今日は何を買うつもりなんですか?」

 

「うん。ちょっとしたものなんだ……まずはスーパーに行きたい」


「じゃあ、ヨントクにしましょう……」


 ヨントクは、食料品から日用雑貨、衣類まで調達出来る大型店だ。

 着く早々に、私達は一階の食料品売り場へと向かう。


「まずは、インスタントコーヒー……それとティーバッグのお茶……」


 インスタントコーヒー。

 ティーバッグ。


 お茶の他に、スティックシュガー、ガムシロップのポーション、ミルク。

 結翔は陳列棚を物色しながら、手に取った品をかごに放り込んでいった。


「おっ! これは安い!」


「お買い得です! 三割引き!」


「こっちのビスケットも、この量で……コスパ高っ!」


 彼が自分の住む町よりも、ここに来た理由がわかった。

 結翔の家の近くでは、この価格では食料品を買うことは出来ないからだ。

 値引きにこだわる結翔。

 彼は以前旅費を稼ぐために、節約に励んだ経緯がある。

 だから、こういったことはお手の物だろうが、今の彼にそれが必要なのだろうか。


 私はジト目で結翔を見る。

 何かよからぬことを考えてはいないだろうか。


「……えっと……沙羅ちゃん? そっか、また心配かけた? 大丈夫! 今回はバイト先に持っていくんだ」


「バイト先ですか?」


 つい復唱してしまった。

 四月から、彼は父親の会社でアルバイトを始めていた。


「あ、あの……どんなお仕事をしているんですか?」


 私は彼の具体的な仕事内容を知らない。


「うん……資料室で働いているんだ。嘱託の人がいるけど、フルタイムで働けないから、穴埋め的に……」


「嘱託?」


 初めて聞く言葉だ。

 首を傾げる私に、結翔が説明をする。


「うん、正規とは違う契約で働く社員で、日本では定年後にそのまま会社で働く人達を指すことが多いんだ」


 わかった。

 その人は、フルタイムの契約をしていないから、結翔が穴埋めをするのだろう。


 嘱託については理解した。

 だが、まだ納得できない問題が残っている。

 何故、彼が資料室勤務なのか。

 資料室というのは、図書館のようなしんと静まり返った場所なのではないか。

 彼は人当たりがよく、社交的なのだから、もっと人と関わる業務の方が向いているはずだ。


「忙しいですか?」


「んーー暇……」


 やっぱり。

 社員ともなれば仕事が忙しい。

 資料室を頻繁に訪れたり、籠ったりする者はいないだろう。

 結翔の日常は、来訪者を待つことで終わるのではないか。


「資料室に置いてあるのは、製品の設計図とかなんだ……で、必要な人が閲覧に来る。一日に十人未満。ゼロの日もある……」


「……」


 なんという人材の無駄使い。


「せっかく来てくれた人の為に、お茶を用意したら、これが好評でさ……息抜きになるって……実費分の料金は取ってる。バイトの身で自腹を切るのは厳しいからね……」


「……」


 社員達が仕事の合間に息抜きをする。それはいいことだ。

 いいことだ。

 ……でも……。

 まさか、本業が暇過ぎて、喫茶店を開業したのではないか。

 彼は将来、父親の事業を継ぐ身だというのに。


「中には商品について質問する人もいる。最近では、相談してくる人も……他には顧客のこととか……」


 資料室でどんな会話が交わされるのか。

 私は竹下の話を思い出す。

 結翔は彼の父親の経営する工務店の存在を把握していた。

 結翔は専門的な商品知識があるのかもしれない。

 顧客のニーズを考慮すれば、より深い情報が必要となる。

 だが、それを求めるのは、ごく少数の社員かもしれない。

 菓子を摘まんで茶を飲み、世間話をして去っていく。

 そんな人が大半で、ごく一部の者が彼の本質を見抜いたのではないか。


 天使の笑顔を浮かべる結翔。


 「求める者にのみに与える」


 それが彼のスタンスなのかもしれない。


「あとは……紙コップとマドラー……あれ? 沙羅ちゃん、いつの間に後ろに?」


「……あっ、あの、紙コップなら、B棟に100均があります!」

 

 いつの間にか、私は彼の背中を見つめていた。

 慌てて結翔の隣に走り出る。


「そうだった。何回か行ったことがある」


 現在私達はA棟にいて、三階の渡り廊下からB棟へ移ることが出来る。

 その二階に100円ショップSODAIがある。

 外からも行けるが、目の前にエスカレーターがあるので、その方が効率的だ。

 私達はエレベータで三階に上がり、B棟へ移動し、目的地に到着した。

 紙コップとマドラーを買った後、一時間ほど店内を回った後、ミッションは終了した。


「助かった! お礼にお茶をご馳走させてくれ。いい店を見つけたんだ。こっちが近道だ……」


 結翔に誘われ、住宅街を抜ける細い道へと入り込む。

 生け垣が連なる小径に人影はなく、私と結翔の二人きりだった。

 少し遅れて後を辿れば、彼の背中が大きく見えた。

 結翔は変わった。巡礼のせいなのか、その後の出会いや出来事に影響されたのか。

 逞しく、頼れる存在として私の前を歩いている。


「……さっ、沙羅ちゃん?」


 いつしか、私は額で結翔の背に触れていた。

 そして、吸い込まれるように彼の体にもたれかかった。


「……どっ、どうした!?」


 驚いた結翔が、前を向いたまま立ち止まる。


「……ごめんなさい……重かった?」


「……いや、ちょっと驚いただけ……でも、どうして?」


「……」


「……そか……どう?」


「……温かい……」

 

 背中越しの声を耳に、結翔の体温を感じる。

 私の鼓動は彼に伝わっているのだろうか。


 日曜の午後が終わろうとしていた。


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