第13話  迷い

 四月。

 新学期になり、私は二年生に進級した。

 クラス替えはなく、紬、絵美、麗奈も同じクラスになった。

 真新しい制服を着た新入生を見かけると、どの子も初々しくて、“頑張って”!と声を掛けたくなる。

 自分もあんな風だったのだろうかと、懐かしい気持ちになった。


 私の成績を案じた担任教師からは、毎日宿題が手渡されていた。

 採点済みのプリントには、いつも一筆箋が添えられている。


 「よくできました。この調子で頑張りましょう」


 「今日は疲れていたのかな? 勉強も大事だけど、健康にも気を付けて」


 一筆箋には、コメントが書かれていて、私を励ましてくれるのだった。


 自室で勉強するときには、傍らにサイドテーブルを置くようになった。

 電気ポット、カップ、カフェインレスのお茶が載せられている。

 集中力が途切れた時に休憩するためだ。

 カフェインレスにしたのは、睡眠の妨げになることを防ぐため。

 でも、ここのところ、白湯さゆもいいと思う。

 白湯をゆっくり飲むと、暖まるし、リラックス効果もあるみたい。

 

 環境を整えることもした。

 意欲を削ぐものを、視界に入らない場所に移動しただけだが。

 今自分が何をしているのか。

 それを明確にする工夫をした。

 勉強する時間と、そうでない時間を分けるのだ。

 こうして私の持久力は徐々に上がっていった。

 自分にしては上出来だと思う。


 それにしても、踊る時の集中力は増したというのに、勉強のそれが落ちてしまったなんて。

 スケージュールが過密したせいで、優先順位が変わってしまった。

 無意識の選択が現状を招いたのだ。

 心って不思議だと思う。


(……いけない……)


 勉強中にバレエのことを考えてしまった。

 今、目の前の事だけに集中する。

 私がすべきことはそれだけなのだ。

 先のことを心配したり、結果を焦らないようにしよう。


 そして、自分をケアすることも忘れない。

 バスタイムはたっぷりとる。

 湯船に入浴剤をいれて、リラックスするのだ。

 

 そして就寝。

 私はもともと寝つきの良い性質たちだが、音楽は欠かせない。

 自分の安眠のコツはBGMだと思う。

 休みの日には、お気に入りの音楽を探して、プレイリストを充実させた。

 タイマーをセットし、ベッドに入ると、一日の出来事が思い浮かぶ。

 なるべく楽しいことを考えよう。

 悪いことがあれば、そこから何かを学びとることにしよう。

 きっと、明日の私の力になってくれるはずだ。

 バレエと学業を両立させ、コンクールを乗り切ろう。

 こんな風に、私は毎日を過ごしていた。


 四月の末から、五月の初めにかけての日々。

 連休中は平日も含め、バレエ学校も、舞花のレッスンも休みだった。

 私は両親と短い旅に出た。

 家族旅行は久しぶりで、初夏の自然を満喫することが出来た。


 休み明けと同時に、舞花のレッスンが再開された。

 練習着に着替え、バーに手を添えると、気持ちが引き締まるようだ。

 いつも通りに、ストレッチ、基礎練習を済ませて舞花を待つ。


 鏡に映る自分に私は誓う。

 「今日もがんばろう!」

 と。


 舞花が現れ、ヴァリアシオンのレッスンが始まる。

 まずは咲良から。


 プレパラシオン。

 エカルテ。

 グラン・パ・ドゥ・シャ。

 ルティレを二回しながら、その場で一回転。


 ルティレはその都度、五番ポジションに降ろす。

 咲良のポジションは正確だった。


 ドゥ・ヴァン(前)へ足を上げる。

 ジャンプ

 腕を斜め上に伸ばしてポーズ。


 シェネ・ターンは、スピードを上げるほど回転数が増える。

 咲良は素早いターンでそれを可能にしていた。

 ワルツは軽やかで、アティチュードのポーズも美しい。

 ピルエットは三回転。

 

 そして三連続のグラン・パ・ドゥ・シャの時だ。


「咲良ちゃん! グリッサードの足はポジションを正確に! 踵を前に出して! きちんと見せて! シャッセも基礎通りに!」


 咲良は勢いよく、三連続のジャンプをする。

 グリッサードは舞花の要求するレベルには到達しないが、十分形になっていた。

 

 ポーズで終了。


 咲良は汗を拭いながら、舞花の言葉を待っていた。


「よかった。咲良ちゃん。順調に仕上がってる……シェネ・ターンもピルエットも綺麗。アクセントを付けることでメリハリもついたし……」


 咲良はポーズの度に、アクセントを付けるようになった。

 顔や手首の位置、ポーズの前の溜め。

 僅かな動きで、印象は大きく変わる。

 咲良はメリハリの付いたダンスを踊れるようになっていた。

 ストゥニュの時の上体の使い方、スピード感のあるターンで、華やかさを演出している。

 ジャンプが高く、切れの良い、はっきりとしたダンスが得意なのだ。

 その個性が生かされ、ガムザッティは仕上げの段階に入ったと言えるだろう。


「……でも、グリッサードやシャッセがもっと丁寧に出来ると綺麗よ?」


「……はい……」


 咲良が困っている。

 自分の踊りに、もうこれ以上改善の余地がないと思うようだ。

 グリッサードとシャッセ。

 目立たないが大切な動きだ。

 咲良も十分に承知しているはずだが、これを完全に決めることは至難の業といえる。 

 完璧さを追求するよりは、自分の限界を知り、得意な動きを伸ばしていった方が、よりガムザッティらしくなる。

 私には、咲良がそう割り切っているように見えた。

 

 舞花は細部を疎かにしない。

 だが、自室で動画を見れば、それを実現しているダンサーは稀で、彼女の要求は厳し過ぎる気がした。


「次は沙羅ちゃん。準備はいい?」


 「はい」と返事をしてプレパラシオン。

 エカルテ。

 グリッサードをしてグラン・パ・ドゥ・シャ。

 

「沙羅ちゃん! 踵を前に! 観客に見せるつもりで! シャッセはポジションを守って高く!」


「はっ、はい!」

 

 舞花の基準は高過ぎるのではないか。

 そう思いながらも、私は指示を流すことが出来なかった。

 細かなステップを意識しながら踏むと、勢いに欠けるような気がする。 

 これではガムザッティらしさが表現出来ないのではないか。

 

 ワルツを踊りながら、アティチュードターン。

 ワルツは滑らかに、ターンは自然に。


「よいわよ……綺麗に出来てる……」

 

 シェネ・ターンはスピードを落とす。

 ストゥニュは上体を歌うように使う。

 ピルエットは一回転。


 私は咲良のようには踊れないのだから、無理はせずに、正確さを大切にしよう。

 ……でも、それでいいのだろうか。

 心に迷いが忍び込む。


 そして、グラン・パ・ドゥ・シャ。

 再びグリッサード、シャッセ。

 踵を前に出す。ポジションを守って高く跳ぶ。

 意識しながら、考えながら踊り続ける。

 

 三連続のグラン・パ・ドゥ・シャ。

 小さく。

 少し大きく。

 自分の力を出し切って!


 私は自分を励ましながら踊った。


 クレッシェンドのように、徐々に高くジャンプ。


 ポーズで終了。


 息を切らしながら汗を拭う。

 私は踊り切った。

 だが、いつもの達成感はなかった。

 


「よくなったけど、もう少し、メリハリが欲しいわね? それに、迷ってるみたいで……らしくない……」


 らしくない。

 ガムザッティを演じていないとうことだ。

 舞花は私の迷いを敏感に察知していた。 

 

「今日はここまで。二人とも素敵……このまま仕上げていきましょう」


 “素敵”

 賛辞を素直に受け取れぬまま、レッスンは終了した。


 



 

 

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