第11話  ファミレスで宿題

 学校の春休みに合わせて、バレエ学校も休みとなった。

 これを機会にと、私は宿題に励むはずだった。

 ……だが……。

 どうしても集中出来ない。

 私は、これまで勉強とバレエの両立をしてきたが、これほど意欲が薄れたことなどなかった。

 机の前で問題集と睨み合うも、時間だけが過ぎていく。

 ようやく一区切りついた時、スマホが鳴った。

 結翔だ。外出しようと誘いを受ける。

 いつもの私なら喜んで応じただろう。

 

「……あの……宿題が……」


「宿題? そんなに沢山?」


「えっと……その……」


 こんな話をスマホで済ませていいものだろうか。

 だが、私は現状を知らせ、彼を説得しなくてはならない。結翔は遮ることなく、最後まで話を聞いてくれた。


「そっか……大変だね……じゃあさ、宿題持って来なよ!」


「……え?」


「だからさ、一緒に宿題をしよう! たまには外でやるのもいい……駅前の“ポムポム”で一時間後に……」


 “ポムポム”は、最寄り駅のそば、道路沿いにあるファミレスだ。


「……は、はい……」


「とりあえず、数学と英語の問題集を用意して……」


「わかりました……」


 私は机に広げられた問題集をかき集めると、鞄に押し込んだ。

 コートを羽織り、鏡の前でチェックをすると、母に結翔に会うと告げて、

家を後にした。

 ポムポムに到着したのは、結翔に指定された丁度一時間後。

 自動ドアが開くと手を振る結翔が見えた。


「ごめんなさい……誘ってくれたのに……こんなことで……」


「気にするなよ……まずは、詳しい話を聞きたい……」


 私は、短期間で成績が急激に下がった経緯を話した。

 恥ずかしく思いながらも、気持ちが軽くなっていくのがわかった。


「……なるほど……授業は理解できているんだね?」


 私はこくりと首を縦に振る。


「……そうなんです……理解できているのにミスをします……問題を読み違えたり……最後の詰めが甘かったり……ケアレスミスばかり……だから悔しくて……出来るはずの問題を解けないなんて……全体的に下がりましたけど、特に数学が……」


「……ふーん……」


 結翔は腕を組んで考え込んだ後、言った。


「それって、問題が理解出来ない以上に厄介なんだな……」


「……え?」


 発せられた言葉は思いもよらないものだった。


「あのさ……ケアレスミスが続く……正解出来るはずなのに間違う……これは集中力や注意力が低下しているせいなんだ……これを矯正するのは、理解出来ないことを理解する以上に難しい……」


「そ、そんな……」


 自分がそんな状態に陥っていたなど、考えもよらなかった。

 ちょっと間違えただけ。

 解き違えても、次に気を付ければいい。

 もっと勉強すれば克服出来る。

 今は調子が出ないだけ。努力をすれば元に戻る。

 そう考えていたから。


「……無理もないか……沙羅ちゃんはいろいろあり過ぎた……今も、舞花とコンクールに向けて練習しているんだよね?」


「……」


 もしや……。

 結翔もコンクールを諦めろと言いたいのか。

 優しい彼から、そんな厳しい言葉を聞くことになるとは。


「……沙羅ちゃんはいろいろとありすぎた……だから、物事の優先順位がずれてしまったんだ……バレエと比べると……勉強は十位くらいかな?」


 結翔の指摘は正しい。

 私の中で、勉強に対する順位は急降下していたのだ。

 でも……舞花の指導を受け、コンクールに出場したい。


 その時、オーダーを取りに店員が現れた。


「沙羅ちゃん、お腹は?」


「あ、あの……そんなに……電話をもらう前に……」


 昼食は既に済ませていた。


「俺も……じゃあ、ドリンクバー二人分」


 店員が頷き去って行った。


「早速だけど、まずは問題を解いてみて……」


「わかりました……」


 鞄から数学の問題集を取り出し、テーブルに広げる。

 今回、最も不振だった科目だ。

 公式をあてはめ、計算をして問題を解く。

 

(……あれ? ……ドリンクバー頼んだのに……飲み物をまだとって来てない……)


 ふと、疑問が浮かんだ瞬間だった。


「はいっ! 休憩!」


 私の目の前に結翔が飲み物を差し出した。

 カップから湯気が立っていて、どうやらハーブティーらしい。


「……えっ!? まだ、一問も解いてません!?」


 時間にすると三分に満たない。

 それで休憩だなんて、いくら何でも短すぎる。

 唖然とする私に、結翔が天使の笑顔を向ける。


「だって……今、数学以外のこと考えただろ?」


「は、はい……」


 そうだった。

 私は数式に取り組みながら、飲み物の事を考えていたのだ。

 自分の集中力が、これほど乏しいものだと知り、ショックを受ける。


「……な? わかっただろ? 問題に対する真剣さが欠けていること……」


「はい……ふっと他のことを考えてしまうんです……」


「そうなんだ……でも、その短時間に問題を読み違えたり、計算を誤ってしまう……それが何度も繰り返される……」


 それが今の有様を作ってしまったのだ。

 落ち込む私に結翔が言った。


「でも……自覚することができた……それがまず第一歩だ……勉強をする時間と、そうでない時間を意識的に分ける……勉強と休憩……バランスをとる練習だ……」


 結翔に微笑まれると、欠点を克服する勇気が湧いてくるようだ。


「……まずはお茶を飲んでリラックス……次に問題に取り掛かるときは、“よしやるぞ!”って気合を入れる……それを繰り返す……そうやって、気持ちが切り替えられるように訓練するんだ……バレエのせいでモチベが下がったとしても、勉強の時間はそれだけに集中する……そうやって、一つ一つ問題を解く……今この時だけに心を注ぐ……焦らないで少しずつ進もう……」


 “休む時は休んで踊る時は踊る”


 咲良の言葉を思い出す。

 彼女は進学校に通う優等生。

 もしかしたら、こんな風にバレエと学業を両立させているのかもしれない。

 いつか彼女の話も聞きたいと思う。


「じゃあ、勉強再開!」


「わかりました!」


 やる気満々で、テキストに取り掛かるも、


「はいっ! 休憩!」


 いつの間にか飲み物を差し出される。

 今度は温かいほうじ茶だ。

 分量はカップ三分の一ほど。

 集中力が途切れる度に飲み物を出されるのだ。

 先を見越した結翔の気配りだろう

 ここはドリンクバー。飲み物はいくらでもある。

 そして、休憩時間にはお茶を飲みながら結翔とお喋りをする。

 彼の話は楽しくて、気分転換には最適だった。

 そして再び勉強。


「沙羅ちゃん春休みだよな? 俺のバイトも入学式の後なんだ……それまでは、勉強に付き合う……どう?」


「わっ! ありがとう!……でも、今日は頑張ったから、ご褒美が欲しい……」


「わかった……今日はここまで。デザートでも頼もう……何がいい?」


「苺とチョコレートのパフェ!」


 メニューから顔を覗かせ、私はおねだりをする。

 パフェは普段はあまり食べない。

 でも、食べ過ぎなければ、たまにはいいだろう。


「じゃあ、それで……」


 結翔が注文すると、パフェが運ばれ、食べ始める。

 甘くて冷たいアイスクリームが口の中で溶けていく。


 ふみゅー! この感触は久しぶり! 


 あっという間に、パフェは残り半分となった。


「結翔さんは?」


「俺はいい……ドリンクバーで十分……」


 結翔が何杯目かの珈琲を口にする。

 パフェは美味しいけど、一人で食べるなんてつまらない。

 せっかくのご褒美なのに。


「どうかした? 沙羅ちゃん?」


「……あ、あの……やっぱり、少し多いかなって……」


「そっか、沙羅ちゃんは太るわけにはいかないからな……じゃ、俺が残りを食べる」


 通路を挟み、斜め前方の二人連れが視界に入る。自分達よりも少し年上の、大学生か社会人。女性は私と同じパフェを注文していたが、途中から代わって男性に食べさせ始めた。


「あ、あの……」


「どうした? 代わりに食べるから器とスプーンを早く……」


 結翔に促されるも、再び女性をチラ見する。

 彼女は、いそいそと相手の口元にスプーンを運んでいた。

 目が合うと、にっこりと笑顔を向けられる。

 微笑みは優しく、眼差しには共犯者を誘う親密さがあった。


「……あ、あの……」


「何?」


 口ごもる私を結翔が不思議そうに見ている。


「……私が食べさせます……」


「えっ!? なんで!? いきなり罰ゲーム?」


「……ちっ、違います! お礼です!……食べさせてあげたいんです……」


「えっ、えっと?…… 沙羅ちゃんがそうしたいなら……」


 渋々ながらも結翔は承諾した。

 スプーンにアイスクリームをのせ、彼の口元へと運ぶと、かちりと歯にあたる感触がした。


(これって、……もしかして……間接キス?)


 そんなことは今更だ。


「美味しいですか?」


「……お、おう……随分甘いな……パフェなんて久しぶりだ……」


 斜め前の女性を真似て、私はスプーンを結翔の口元へと運ぶ。

 彼は恥ずかしそうだが、自分は楽しくなってきた。

 これから毎日、こんな春休みが続くのだ。

 勉強に励まなくてはと、私は心に誓うのだった。














 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る