第8話  憧憬 2

「……私は……」


 飯島が口を開き、私と青年達は彼の話に耳を傾ける。


「……父が工務店を営んでおりまして……初めは勤め人でした……独立したのは、私が四歳の時で……当時、母は苦労したと思います……そして、その二年後、大きな仕事が舞い込みました……父にとっては一世一代の好機でした……ご存じですか? ヴィル神野谷……」


「……聞いたことはあります……でも……」


 詳しいことは知らない。

 察した坂上が、補うように説明をする。


「近郊にある集合住宅群です……元は古い団地で、それを建て直したものです……建替えに合わせ、緑地帯、舗装された歩道、公園、コミュニティサロンに広場も設置されました……レンタル農園もあって、ちょっとした町のような存在です……」


 その仕事に関われたというのなら、大変なチャンスではないか。


「……ところがです……仕事を請け負ったのは、父の工務店だけではありませんでした……大型団地の建て替えです。業者たちは資材を奪い合うように仕入れ、あっという間に品不足になりました……父はそれらを入手することが出来なかった……このままでは、せっかくのチャンスをふいにしてしまう……そこでです……」

 

 飯島は一息つくと、再び語り始める。


「材料を回してもらえるようにと、MORIYAの本社へ直談判に行きました……父は私の手を引き、本社ビルへと乗り込んで行ったのです……」


 本社に資材の在庫があるのだろうか。

 なければ、幼い子供の手を引き、すごすごと来た道を戻るだけ。

 飯島の父親は、随分と思い切ったことをしたものだ。


「……ビルの入り口に、おとなしそうな青年が立っていました。父はその人に要件を言った後、担当者に取り次いで欲しいと頼みました……たまたま見かけた人間に声をかけた……そんな感じです……彼は父の名を聞くとこう言いました……。


 『飯島さんですね?……深川で工務店を経営なさっている……存じ上げております……確かな技術と経験がおありだと……弊社へのお支払いも滞りなく……いつもありがとうございます……』


父はひどく驚きました。“なんでこんな兄ちゃんが俺の事知ってんだ?”って感じでした……私もです……そして、父が事情を説明すると……彼は、『ご注文を承ります』と、手帳を取り出しました。我に返った父が品名と型番を告げると、『承知しました……至急手配させて頂きます……小売値ではなく、卸値で……業者を通さず直接お売り致します……どうぞ……私の名刺です。追加注文があればいつでも……誰が受けても分かるようにしておきます……今後ともよろしくお願いします……』


 そう言って頭を下げ、去って行きました。それが若き日の塔ノ森学でした。彼は、先代の下、資材部門の主任として働いていたのです……独立当初、父は苦戦続きで、不渡りを握らされたこともありました……でも……どれほど困っても、自分が支払いを遅らせることはありませんでした……そのために、私達家族がぎりぎりの生活を強いられたこともありました……でも、父の誠実さが認められた。私は父を誇りに思い、そして、塔ノ森学に深い尊敬の念を抱くようになりました……塔ノ森と糸谷が合併し、MORIYAが設立されたばかりの頃のことです……当時彼は結婚をしていましたが……結翔はまだ生れてなかったのではないかと……」


 結翔が生まれる前。彼の両親が結婚して間もない頃の話。


 品不足の中、塔ノ森学は飯島の父親に資材を調達した。

 しかも卸値で。業者が間に入らない分安価になる。

 飯島の父親を見込んでの優遇だろう。

 

「それを機に父の事業は軌道に乗りました。その後、兄は父の下で働き、私はMORIYAへ入社しました……そして……」


 飯島は手元にあったグラスを掴むと、一気に水を飲み干した。


「そして……結翔の悪い評判を耳にしました……母親の詰め込み教育で心を病んだだの、溺愛されダメにされただの……」


 結翔が家に引きこもり留年をした頃の話。


「……挙句、自分探しの旅に出たと……SNSでこんがり焼けた彼を見た時には、複雑な気持ちになりました……悪い噂が流れる中、何をしているのかと……こんな人間が会長の一人息子なのかと……子供時代の憧れが打ち砕かれる思いでした……ですが、会ってみたかった……彼がどんな人物なのかを、この目で確かめたかった……それでコンタクトをとりました……」


「……どうでしたか?」


 恐る恐る私は尋ねる。

 結翔はおっとりとしていて、頼もしい印象を受けるようなタイプではないから。


「塔ノ森氏は、若くして軽営者としての頭角を現し、実績を出していました……輸出向けの商品開発に成功したのです……結翔に初めて会った時の印象は……社交的で育ちの良い青年というイメージでした……でも、なんというか平凡で、カリスマ性のようなものが感じられなかった……結翔に会長の面影を探しましたが、見つからず、残念な気持ちでいっぱいになりました……私は自己紹介の時、父の名を告げました……ついででした……小さな町の工務店など、彼が知るはずもないのですから……ですが、彼は言ったのです……。


 『飯島工務店さんですか? 深川の? 存じ上げております……お兄様が後を継がれるそうですね……お父様はお元気ですか?』


 幼い日の思い出が蘇りました。あの日本社ビルの前に立っていたのは、物静かで、どこにでもいそうな若者だったことを。そう。目の前の結翔そのものだったのです。その時初めて、結翔に偉大な父親の片鱗を見ました……根拠はありませんが、深雪夫人の教育は、彼を一人前の経営者にするものだったのだと確信を得ました……嬉しかった!」


 飯島が話し終わると、坂上、竹下が力強く頷いた。

 彼らの瞳は期待に熱く輝いていた。

 結翔には心強い味方がいる。

 三人だが……いや、三人もいるのだ。


(……どっ、どうしよう……)


 涙腺が……。

 涙腺が!


 私が慌ててハンカチを取り出し、目頭を押さえた時だ。


「お待たせ! 紬が帰りに買ってきて欲しいものがあるって……えっ!?……沙羅ちゃんどうした?」


 目を潤ませた私に、結翔がぎょっとする。

 飯島が必死の形相で、腕を空中でばたばたと泳がせた後、胸の前で交差させてバツを作った。

 彼は結翔の背後にいて、結翔がそれを目にすることはなかった。

 本人に聞かせるには、あまりにも気恥ずかしいのだろう。


「……な、なんでもないです……あ、あの……目にゴミが……」


「そう! そう! 風が強いから! 花粉かな?」


 必死で口裏を合わせる私と三人。


「大丈夫? ……辛そうだぞ? 目が赤い……目薬は?」


 結翔が心配そうに、私の顔を覗き込む。

 顔が近すぎて、ドキリとするが、芝居を続けなくてはならない。


「は、はい……部屋に取りに行きます……少し席を外します……」


 私は、あたふたと自室へと戻って行った。


 こうして、三人と私の間には、小さな秘密が出来たのだった。


 





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