第7話  憧憬 1

 春休みも間近な日曜日の午後。

 今日は、結翔のスペイン語のレッスンがある。

 場所は一階居間の予定だったが、暖かな日差しに誘われ、急遽空中庭園に変更となった。


 生徒は私の他に三人。

 ひょろりと背の高い竹下悟。

 中肉中背、やや角ばった顔に、厚底レンズの眼鏡をかけた飯島康太。

 彼等の中では比較的見栄えのよい坂上洋一。


 三月から、結翔の父親の会社、MORIYAに勤める竹下、飯島、坂上の三名がレッスンに加わった。

 今年の夏にサンティアゴ巡礼の旅に出るためだ。

 この場では主に日常会話の練習をする。単語や文法を覚えるための勉強は、結翔の出した宿題を各自提出する。勉強は順調に進み、今日は三人でロールプレイングをすることになった。ロールプレイングは現場や実際に近い疑似場面を想定し、その中で自分の役割を演じること。ホテルにチェックインするという設定で、竹下が宿泊客、坂上がフロント係の役を振り当てられた。


「坂上! お前は語彙量が足りないぞ! もっと単語の暗記を真面目にやれ!」


 竹下が抗議をすると、


「何言ってんだ! お前は発音がダメすぎ! 何言ってるかさっぱり分からない! そんなんじゃ、今夜は野宿だ!」


 坂上が切り返す。


 互いに切磋琢磨し合うのは良いことだが、何かと騒々しい。

 だが、彼らは年上の社会人なのに微笑ましく、心がほっこりする。


「……あ、あの……失礼します……待っていてください……」


 私はレッスンが終わる三十分前に空中庭園を離れた。

 キッチンに向かい、控えていた母と大急ぎで仕度を始める。

 そして、レッスンが終わる時刻に、母と共にトレーを持ってガゼボに戻った。


「お疲れ様……おやつの時間にしましょう」


 母がトレーをテーブル置くと、


「コロッケ!」


 一斉に歓声があがる。

 私は母と、キッチンでコロッケを揚げていたのだ。トレーには揚げたてのコロッケが山と積まれ、香ばしい湯気が食欲をそそる。


「これと一緒に……」


 私が置いたトレーには、千切りキャベツ、濃厚ソース、マスタード、バター、そしてハンバーガー用のパンのバンズがあった。

 バンズに具材をはさみ、自分でコロッケパンを作って食べるという趣向だ。


「……ぜ、贅沢……手作りコロッケ……」


 黄金の山に熱い視線が注がれ、ごくりと唾を飲む音か聞こえてきそうだ。


「召し上がれ……」


「いただきます!」


 母の勧めが号令となり、彼らは一斉にトレーに手を伸ばした。

 バンズにバターを塗り、コロッケとキャベツを挟む。

 そして、ソースとマスタードをたっぷりかけると、それを頬張りだした。


「……うっ、旨い!」


「サクサクだ!」


 コロッケもバンズも十分に用意してあるのに、青年達は競うように、バンズにコロッケをはさみ、食べる。それを繰り返した。

 その様は豪快で、見ていて気持ちよい程だった。


「うれしい! 家にはこんな風に沢山食べてくれる子がいないから……」


 母が私をチラ見する。

 そう。私は美味しいものは大好きだが、こんな風に後先考えずに食べることは出来ない。栄養のバランスを考慮しつつ、常に適切な量を意識して食事を摂る。 

 だから、旺盛な食欲を見せつけられるのは新鮮だし、感動ものだ。


「……旨い! 揚げたて!……じゃが芋がほくほく、……ひき肉もたっぷり!」


「キャベツも!」


 口に物を入れたまま話すのはマナー違反だが、それさえ今日は許せそうだ。


「……うっ、……うぅぅっ……」


「だっ、大丈夫ですか!?」


 飯島が咳き込み、私は慌てて飲み物を差し出す。

 「ありがとうございます」と、水分補給の後、彼は再び食事に没頭していった。

 私と母もコロッケパンを作り食べ始める。

 コロッケはきつね色で、見るからに食欲をそそる。食べれば、サクサクでほくほく。ふかふかのバンズに、瑞々しいキャベツ。コクのあるソースに、ぴりりと味を引き締めるマスタード。彼らが夢中になる気持ちがよく分かる。

 我ながら良い出来だもの。


 こうして山盛りのコロッケとバンズ、キャベツの千切りは二十分足らずで平らげられたのだった。

 空になったトレーが激戦を物語る。

 残されたのは、食欲を満たされた四人の若者。

 私と母は、感慨深くそれを眺めるのだった。


「お茶のお代わりをどうぞ……」


 私が飲み物を勧めていると、


「……あ、ちょっと待って……」


 結翔がシャツのポケットをまさぐり始めた。

 スマホが振動している。電話がかかってきたのだ。


「ちょっといいかな?」


「あ、はい……、あの、一階の居間を使ってください……今なら誰もいません……」


「ありがとう……紬?……なんだろ?……じゃあ、失礼……」


 私の家は、【右側】と【左側】に分かれている。以前、結翔は【左側】の間借り人だった。空中庭園は、【右側】、【左側】、一階客間からそれぞれ出入り可能だ。結翔は階段を使い客間へと降りていった。


 結翔がいなくなり、片づけを終えた母が立ち去ると、ガゼボには私と三人が残された。


「……すみません、沙羅さん……いつもお邪魔して……」


 と、坂上が申し訳なさそうに頭を下げた。


「そんなこと……一緒に勉強する人がいると楽しいです……社会人の人とお話する機会ってあまりないので、楽しみにしているんです……」


「そうですか? それを聞いて少し安心しました……」


「本当です! 一生懸命に働いている人って、尊敬します!」


 リスペクトの目を向けると、三人は照れくさそうに顔を見合わせた。


「……ははは……そんな風に言われたのは初めてです……な?」


 坂上の言葉に、飯島と竹下が首を縦に振る。


「人の生活に関わるような仕事がしたかったんです……MORIYAは住居に関わる企業です……製品はデザインも使い勝手もいい……施工技術も格別……夢が叶ってよかったと思ってます……」


 坂上の言葉に、飯島と竹下が再び首を縦に振った。

 この三人は夢を叶え、愛着のある職場で働いている。

 なんて素晴らしい生き方だろう。

 私も彼らのようになりたいと思う。


「……あの……私は……」


 飯島が重い口を開き、私と青年達は彼に目を向けた。

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