第6話  二人の王女 2

 私は定位置に付き準備のポーズプレパラシオン

 音楽と同時に腕を広げる。


(……あ……動きが小さくなった……)


 咲良のアームスの動きは、大きな鳥のようだった。

 “メリハリを付ける工夫をしてね”

 舞花のアドバイスが脳裏をよぎる。

 でも、まだ始まったばかり。

 気持ちを切り替えて踊らなくては。


 エカルテでア・ラ・スゴンド。キープ。


「よいわよ……沙羅ちゃん……綺麗に出来てる……」


 舞花の言葉に気を取り直し、私は踊り続ける。


 半回転ずつルティレをして元の位置に戻る。


「沙羅ちゃん……ルティレの足を降ろすとき、きちんと五番ポジションにして……」


 咲良と同じ注意を受けた。

 舞花は基本を重視しているのだ。

 確かに、ここが決まれば、このステップはずっと美しくなる。


「そう……いいですよ……ドゥ・ヴァンに上げた脚もきれい……」


 ジャンプをした後、腕を斜め上に伸ばしてポーズ。


「絹の袖飾りを揺らすように……指先を見る目線は優しく……向こうに愛する人ソロルがいるの……」


(……あ……ら……?)


 舞花の助言が心にすとんと入って来た。

 いつの間にか、私は夢見心地に指先を見ていた。

 “視線はどこか遠くを眺めるように”

 子供の頃から言われ続けてきたことだ。


 ワルツは柔らかく優美に。

 アティチュード・ターン。

 一回転で良いから、バランスよく回らなくては。

 そして再びワルツ。

 今日はタイミングよく出来た。

 

 ピケターンにストゥニュ、シェネターン。

 ピケターンも一回。正確に丁寧に。


「ストゥニュは歌うようにね……ソロルが見ているのよ……」


 上半身を柔らかく使いながらストゥニュ。今日は婚約式。ガムザッティは幸せの絶頂にいる。

 着飾った王侯貴族、父王にひれ伏す家臣達、羨望の眼差しで見つめる民衆。人々は皆私を見ている。私の美しさに心を奪われているのだ。誰もが私を愛し、憧れている。世界中が自分達を祝福しているのだ。

 そして、三連続のグラン・パ・ドゥ・シャ!


 まずはグリッサード……と、いうときだ。


「そこ! 走り出すところ! 踵を前に出して! ポジションを守って!」


 いつになく厳しい舞花の声に、心臓が止まりそうなほどドキリとする。


 踵、踵……。

 踵をどう出せばいいのか。

 いつもの慣れたグリッサードなのに、頭が混乱し、私はパニックに陥ってしまった。


(……あ、……)


 足が止まってしまった。動けない。


(どうしたの? いつも通りに踊ればいいのに!)


 自分を叱咤するも、足が床に張り付いたように動けずにいた。ステップを踏まなくてはと焦るばかりで、私は立ちすくんだまま。三連続ジャンプの旋律が高らかに盛り上がっていく。

 そして……。


 ――音楽の終了。


(……どうしよう……)


 うなだれる私に舞花が声をかける。


「……途中で失敗することもあるわ……でもね……切り替えて続けなきゃ……」


「……すみません……」


 いたたまれない程、恥ずかしくて悔しい。


「いいの……これから気を付ければ……」


 いつもの柔らかい舞花の声。


「はい……」


 舞花は、私と咲良に向かって話し始める。


「二人ともこの前よりもよくなった……でも……課題はそのまま残っているわね……」


 二人の課題。


 咲良のガムザッティは個性が強すぎる。

 だが、この一週間で大きく改善されたし、今後も成長し続けるだろう。

 でも、私は……。


「……特に沙羅ちゃん……ガムザッティは幸福の絶頂にいる……でもね……決してそれに酔うことはない……出来ないの……何故か?……わかるでしょ?」


 ガムザッティが幸福感に浸り切れない理由。

 ニキヤ暗殺の黙認。


「ガムザッティは心に冷たい意志を抱えている……でも、誇り高い女性だから、心の内を人には見せない……誰もが羨む高貴な女性にしか見えない……殺意を表現する必要はないけど……」


 と、咲良をチラ見する。


「……でもね、そういうことが出来る強い人……冷静で気位の高い王女なの……沙羅ちゃんはそれを表現しなくては……あれでは……ガムザッティではなくて……その……ダンス好きの普通の女の子よ?」


 ダンスが好きな普通の女の子。

 それって。それって。

 自分の事だ!

 私は幸福感にどっぷり浸かったまま、ガムザッティを踊っていたのだ。


 私は経験を積むことで上達したと思っていたのに、未だ自分のままなのだ。舞台に立つダンサーが、素でいいわけがない。演技をしなければ、アマチュアのバレエ愛好家と同じだ。

 もの凄くショック!

 落ち込む私に、舞花が優しく語り掛ける。


「……役にはその人自身が込められるものなの……だから、必ずしも悪いことではない……沙羅ちゃんのダンスは品があって優雅……でも……もう少し、演技の勉強が必要……でもこれから……失敗を引きずらないで……ね?」


 舞花は私を諭した後、


「二人とも素敵……上品で、王女らしくて合格……でも、貴方たちならもっと素敵なガムザッティを踊れるはずよ!」


 と続けた。


 レッスンの終了後、私と咲良は駅への道を歩いていた。


「私、好きなんだ……ガムザッティ……なんか、こうっ、強い女って感じが!」


 咲良との間に流れていた気まずさは、いつの間にか薄らいでいた。一時はどうなるかと案じたものの、程よく会話が出来るくらいに回復した。時間が解決してくれることってあると思う。


「キリっとして、はっきりした振り付けも格好いい! 穂泉さんの指導も受けられるし、頑張る!」


「わっ、私も!」


 咲良はブレない性格だから、意志の強い女性が理解しやすいのだろう。それに、見せ場の多いダンスが得意なようだ。彼女が張り切る気持ちは十分に理解出来る。だが、私も負けてはいられない。このチャンスを生かして成長するのだ。


 私はガムザッティの人柄に思いをはせる。彼女は気性が激しくとも、浅慮な人間ではない。激情を押さえる自制心や知性を持ち合わせているはずだ。それが王族というものではないか。なのに、私は、孤高の王女を、ダンス大好き女子のように演じてしまったのだ。自分がガムザッティに共感出来ないせいかもしれない。

 私は疑問を咲良に投げかけてみる。


「あのね……咲良……」


「何?」


「ニキヤを暗殺する必要があったと思う? 身分が違い過ぎるよね? 貴族の戦士と神殿舞姫……もともと結婚なんて出来ないんだから、そこまでしなくてもよかったんじゃない?」


 ――なぜニキヤは死ななくてはならなかったのか。


「……確かに……でも……もしかしたらだけど……王は二人が神の前で愛を誓っていることが無視できなかったのかもしれない……告げ口したのは聖職者の大僧正だし……」


 咲良の分析は的を得ているかもしれない。

 でも、父王は神と恋人達の約束を、ニキヤの命で精算できると考えたのか。

 大僧正にいたっては、聖職者でありながらニキヤに言い寄っていたのだ。

 身勝手な理由で命を奪われたニキヤが気の毒過ぎる。


「……難しいね……人の心って……」


「そこまでこだわる必要ある?……らしく踊ればいいじゃない……迷うなんて時間の無駄! 早くガムザッティを自分のものにしないと……私は無駄なことは嫌いなの」


 咲良は変わった。以前はソロルに強い反感を抱いていたのに、今は物語の矛盾を割り切り、役作りに専念しているように見える。

 コンクールなのだから、それでいいのかもしれない。

 でも、私はもっとガムザッティを知りたかった。

 共感することが無理でも、理解することは可能なのではないか。


 私と咲良。

 二人の王女ガムザッティは、ゆるゆると家路を辿るのだった。






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