第5話  二人の王女

 舞花によるヴァリアシオンのレッスンは土曜日の午前十一時からの三十分。

 楡咲バレエ学校の一階、予備の稽古場を使っておこなわれる。

 私と咲良は、一時間前に稽古場に到着し、ストレッチ、基礎レッスンを済ませて舞花を待つ。多忙な彼女の時間を、一分足りと無駄にすることは出来ない。トウシューズを履き、足慣らしを終えた頃、舞花が現れた。


「こんにちは……二人とも準備は整っているわね? 早速だけど、咲良ちゃんから……踊ってみて……」


 「はい!」と返事をし、咲良は定位置について準備のポーズプレパラシオン

 音楽と同時に、腕を大きく広げる。冒頭から、手の動きだけでガムザッティを表現するのだ。

 音とリズムを感じさせる動き。

 “咲良ちゃんは音楽を意識して”

 舞花の助言が生かされている。


 エカルテで脚をア・ラ・スゴンド(横)に足を高く上げる。


「……そう……キープして……とても綺麗……」


 シャッセしてグラン・パ・ドゥ・シャ。

 シャッセは片足を進行方向へ出した後、両足で踏切って跳ぶジャンプだ。

 空中で後ろ脚を前脚に引き寄せた後着地する。

 目立つステップではなく、繋ぎのような存在といえる。


「……ルティレで半回転……もう一度ルティレ……元の位置に戻って……ルティレの足を降ろすとき、きちんと五番ポジションにして……」


 ルティレの膝の高さ、着地した時のポジションの正確さ。

 どちらも申し分ない。


「ドゥ・ヴァン(前)に脚を上げて……そういいですよ……」


 そしてジャンプをした後ポーズ。


「そこは……もっと優しく……絹の袖飾りを揺らすように……」


 意味が分からないというように、咲良が怪訝な顔をする。

 これはいわゆる、物の例えというもの。

 だが、彼女にはこういう表現はイメージしづらいのかもしれない。

 それでも咲良は踊り続ける。


「ワルツは優美に……少しゆっくりなくらいに……」


 そして、アティチュード・ターン。

 速度と切れの良い回転。

 ワルツに移り変るタイミングも絶妙だ。


「よいわね……アティチュード・ターン!」


 惚れ惚れと吐息を漏らす舞花。


 ピケターンにシェネターン。

 ピケターンは速度のある三回転。

 ストゥニュは上半身を歌うように使って回らなければならない。

 ガムザッティの強さと、女性らしさを表現するものだ。


「……振り返るように……誰もが自分を見ている……それを確かめるように……」


 初めは戸惑っていた咲良だが、アドバイスに呼応するように、踊りが変化していく。舞花の助言を吸収し、イメージを膨らませているのだ。

 そして、最初のグラン・パ・ドゥ・シャが始まる。

 まずはグリッサード、そしてシャッセ。


「グリッサードの踵! もっと前に! ポジションは正確に!」


 舞花の声が鋭く響き、私はびくりとする。

 グリッサードはジャンプの助走のようなもので、シャッセと同様に、繋ぎのステップといえる。

 だが、舞花の口調には、この小さな動きを見逃さない厳しさがあった。


「グリッサードは繋ぎのような動きだけど、軽んじてはだめよ?」


 いつもの柔らかな口調に戻り、私はほっとする。


「シャッセの足のポジションも守って……」


 シャッセやグリッサードを、完璧にこなすことは至難の業と言える。

 これらは独立したステップとしてよりも、一連の流れとしてとらえられることが多い。

 咲良はグリッサードをそつなくこなした。シャッセもだ。舞花の求めるレベルには至らないようだが、十分様になっている。咲良はグリッサードを、ジャンプに続く助走と考えているようだ。咲良はエカルテとグラン・パ・ドゥ・シャを繰り返しながら、稽古場を一周する。


 pasパ・ de ドゥchat・シャ。猫のステップという意味だ。

 足を空中でルティレにして飛ぶために、ふわりとした軽さが印象に残る。

 横に進むパ・ドゥ・シャは、両膝を曲げ、空中で一瞬両足のつま先が付く。前に進むものをグラン・パ・ドゥ・シャと呼び、片膝だけを曲げ跳躍の頂点で両足を180度に伸ばす。どちらも、空中でのルティレは一瞬だが、より高く跳んだように見える。


 いよいよラストの三連続のグラン・パ・ドゥ・シャ!

 「クレッシェンドのように」。舞花は言った。

 咲良のジャンプは一回目から高さがあり、回数を重ねるたびに増していく。終盤は体力的にきついはずなのに、衰えを見せることがない。


「三回目は自由に……上体を反らして、天を仰ぐように……」


 大地を蹴るように力強く。空中では、フライパンで跳ねるポップコーンのように軽々と。咲良は三回目のジャンプを終え、アティチュードでポーズ。


 咲良の演技が終了した。

 彼女は一週間という短期間で、大きな変化を遂げた。個性のきつさが気になるも、今後改善されていくだろう。


「よいわねぇ〜咲良ちゃん……グラン・パ・ドゥ・シャ完璧!……自信に満ちた力強い踊りは、咲良ちゃんの持ち味ね……」


 「ありがとうございます」と、咲良が頭を下げた。


「そうねぇ……グリッサードやシャッセがもっと丁寧に出来るといいわね……シャッセは空中でも五番ポジションを守って……それから、もう少し高く跳んで……シャッセも大切なステップよ?」


 舞花は小さな動きだからと、妥協する気はないようだ。


「じゃあ……次は沙羅ちゃんね?」


 いよいよ自分の番だ。

 私は、「はい」と返事をし、定位置へと向かった。





※ パ について

 パ(Pas)は、フランス語で、ステップや歩みなどを意味する単語で、バレエのステップやバレエにおける動き、踊りの種類という意味でも使われます。パ・ド・ブレ、パ・ド・バスク、パ・ドゥ・シャなどがあります。


※ルティレ

 伸ばした脚の膝に、もう片方のつま先を付けたポジションです。

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