第2話  初レッスン

 白峰コンクールにエントリーをした翌週の土曜日、午前十一時少し前。

 私と咲良は基礎レッスンを済ませて舞花を待った。

 緊迫した空気が稽古場に漂う。


「お待たせしました……」


 舞花は定刻通りに現れた。

 彼女はレッスン着に巻きスカート、カーディガンを羽織っていた。

 高く結い上げられた髪は、丁寧に整えられている。


「二人とも準備は整っているみたいね……」


 舞花が笑顔を見せる。


「じゃあ、振り付け……軽く流すから見ていて……まずはエカルテ。ク・ドゥ・ピエからルティレに足を引き上げて、その足をア・ラ・スゴンド(横)に放り投げる……」


 エカルテは、体を斜め向けて自分の横に脚を出すバレエのポジションの一つだ。

 ク・ドゥ・ピエは軸足の足首に、伸ばしたつま先を付けるポーズ。

 ルティレは、そのつま先を膝の高さまで引き上げるもの。

 舞花のステップは美しかった。

 足を高く上げているわけではなく、振りをなぞっているだけなのに。

 エレガントでポジションも正確だ。

 何一つ見逃すまいと、私は舞花を凝視する。

 咲良は平然と構えているが、気持ちは私と同じだろう。


「……ポアントでキープ……」


 ポアントというのは、トゥシューズの先端にある、プラットフォームという平らな部分で立つこと。バレエ特有のつま先立ちだ。

 ア・ラ・スゴンドに上げられた足の先端を見る。

 甲からつま先に至るラインは理想的で、バレエダンサーにとって、まさに垂涎の的。

 完璧なポワント・ワークを目の当たりにし、私は感動のあまり震えてしまった。


「……ポーズの後はアティチュード・ターン……その後、またバランセでワルツ……タイミングに気を付けて……音に遅れないように……グリッサードをしてグラン・パ・ドゥ・シャ……」


 バランセは振り子のように左右の足に重心を移動させる動き。

 パ・ドゥ・シャは、前足で踏み切り、後ろ足で着地するジャンプだ。

 空中で一瞬前足を曲げるために、ふわりと高く跳んだ印象を与える。

 前と横に進むものを分けて、前に進むものをグラン・パ・ドゥ・シャと呼ぶ。

 グリッサードは、進む方へ足を出し低く跳んだ後、その足にもう片方の足を合わせる動きだ。

 これを繰り返すことで、ジャンプの助走のように使われる。

 シャッセには「すべる」という意味があり、滑らかに移動しなくてはならない。

 ポジションは正確であることが望ましい。

 目立たない動きだが、丁寧に決めないと、踊り全体が雑に見えてしまう。

 ジャンプや回転に劣らない大切なステップなのだ。

 

「……ピケターン……ストニュにシェネターン……ストュニュは上半身で歌うように……」


 ピケターンは進行方向の軸足を床に突き刺すように立ち、もう片方の足をルティレにした状態で回転する。

 ストゥニュは両足を揃えて回る。

 シェネターンは両足を伸ばした状態で、五番ポジションをキープしながら体重を移動し、進行方向に進む。

 シェネには“鎖”という意味がある。


「……最後に、三連続のグラン・パ・ドゥ・シャ……少しずつ大きくして、音楽記号のクレッシェンドみたいに……」


 クレッシェンド。演奏を徐々に強くしていくことを指示する記号だ。


「どうかしら? この振りで踊れそう? ガムザッティは強い女性。メリハリを付けることで表現してね……」


「はい! ありがとうございました!」


 私達は一斉に返事をする。

 舞花は私達のレベルに合わせてステップを組みなおしている。

 だが、ヴァリアシオンの基本は同じなので、直ぐに覚えることが出来た。


「じゃぁ、……まずは、咲良ちゃん……」


「よろしくお願いします!」


 咲良は定位置につき、準備のポーズプレパラシオン

 気力漲る表情に緊張の色が過る。

 

 ―― 咲良のヴァリアシオン


 ア・ラ・スゴンドでキープ。

 キープは一瞬だが、歯切れ良さが印象に残る。


 ワルツ。そして、アティチュード・ターン。

 これも申し分ない。


 グラン・パ・ドゥ・シャは高くてダイナミック。

 強い女性、ガムザッティそのものだ。


 ピケターン、シェネターン。

 咲良は難なく三回転のピケターンを決める。


 そして最後の三連続グラン・パ・ドゥ・シャ。


 一回目。

 

(……え?……)


 “音楽記号のクレッシェンドみたいにね”


 舞花はそう言っていたのに、初めから高く距離のあるジャンプだった。


 二回目。


 跳躍は一層高くなる。


 三回目。


 天井に届くかと思われるような、壮麗なグラン・パ・ドゥ・シャ。


 音楽が終わった。


 すごい。

 見事に踊り切った咲良が、満足げに汗をぬぐっている。

 ……でも、……。

 なんだろう。

 この違和感。


 舞花を見れば笑顔のまま。

 この笑顔を鵜呑みにしてはいけない。

 理由は分からないが、そんな気がした。


「次は沙羅ちゃんね……」


「……は、はい……」


 咲良の勢いに気圧されつつも、定位置に付き準備のポーズプレパラシオン


 ア・ラ・スゴンド。

 ポアントでキープ。

 つま先の位置は高く。

 決まった! ポジションも正確だった。

 自分で言うのもなんけど、バランスは良い方だと思う。


 ワルツ。


 優雅に華やかに。

 美貌の王女ガムザッティをイメージしながら。


 アティチュード・ターン。

 勢いにまかせない。上体を上に引き上げて。


 再びワルツ。


(……えっ? ……音と合わない……タイミングが!)


 気を取り直して、グラン・パ・ドゥ・シャ。

 ここはのびのびと出来る。

 音楽に合わせて軽やかにジャンプ。


 ピケターン、ストゥニュ、シェネターン。

 咲良は三回転のピケターンをこなした。

 私は二回転を試みるも、ぐらついてしまった。


(……気を取り直して……次!)


 トュニュは上半身で歌うように。


 ラストの三連続グラン・パ・ドゥ・シャ。


 咲良は初めから大きなジャンプで勢いをさらに増していった。

 でも、私は咲良のようには跳べない。

 それならば……。


 一回目。

 小さく。


 二回目。

 少し大きく。


 三回目。

 最後の力を振り絞って!

 私はクレッシェンドをイメージしながら三連続のジャンプをした。


 ――退場。


 私の番が終わると、二人は同時に舞花を見た。


 小さく掌を打ち鳴らしながら微笑む舞花。


「咲良ちゃん……凄く良かった! まさに強い女性、ガムザッティね! 彼女は心に揺るがない意志を秘めている……愛をつかみ取るために決断しているの……でも……この場面は婚約式よ? 晴れの舞台なの……その……感情が……その……剥き出しなのは……」


 舞花が困ったような笑みを浮かべる。


 ガムザッティの決意……それが剥き出しって……。

 ニキヤを亡き者とすること。

 ガムザッティは父王がニキヤを暗殺することを黙認している。

 殺意満々の王女様ってこと?

 それでは、祝いの席が台無しになってしまう。

 宴に招待された家臣も民衆も祝う気になどなれない。

 私は舞花の困惑を理解した。

 咲良のガムザッティは強い。強すぎるのだ。


 次は私へのアドバイスだ。


「……沙羅ちゃん……あのね……とっても優雅……それにエレガント……でもね、ガムザッティは胸に決意を秘めているの……そういうことが出来る女性なの……沙羅ちゃんは……優しいのね? でも、役とイメージが違い過ぎる。繊細過ぎるの……それにメリハリがない……」


 “強い女性をイメージさせるためにメリハリをつけて”


 舞花に言われたばかりだった。

 優美なワルツとスピード感のあるターンの組み合わせは、ガムザッティの上品さと気性の激しさを表現するものだ。

 それなのに、私はワルツとターンの切り替えでぐらつき、音とずれてしまった。


「でも、最後のジャンプはよかった……少しずつ盛り上げていくところ……ヴァリアシオンの全体をとらえながら踊れるのは、沙羅ちゃんのいいところね……」


 舞花の助言は的確で、客観的に自分を知ることが出来た。

 だが、彼女はそこに留まることなく、当面の目標を示唆してくれるのだった。


 まずは咲良から。


「……そうね……咲良ちゃんは、音楽を意識しながら踊りましょう……婚約式に相応しい華やかなワルツでしょ?……ストゥニュは上体を上手く使って……女性らしさが出るように……試してみて……」


 そして私にも。


「沙羅ちゃん……ピケターンは一回転にしましょう……その分丁寧に……それとメリハリを付ける工夫をしてね?」


 舞花はそれぞれの長所を認めながらも、二人の課題を浮き彫りにした。

 

 こうして、プリマバレリーナ・穂泉舞花による、第一回目のレッスンは終了したのだった。

 



※エカルテ:右または斜め前に向かい、足を横に出したポジションです。

ですが、この場面のように、足を出した方向に放り出す一連の動きを指すこともあります。

 

※ポワント・ワーク:トウシューズを履いた状態で、つま先の先端を使いステップを踏むことです。また、つま先の動きそのもの、足さばきなども指します。

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